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”縁”に従って生きる、ということ

『”縁”に従って生きる。』最近読んでいる本に書いてあった言葉です。

 なんだか今の私にはとても刺さりましたので、今回は深夜テンションに任せてポエムらしいものを書いてみようと思います。(笑)是非、最後まで読んでみてくれたら嬉しいです。

 人生19年間、大人たちから見たらまだまだガキだとは思います。しかし、短い人生でも思い通りにいかない出来事に苦悩することは、それなりにありました。

 なんなら思い通りに行った試しなんて、あったのだろうか・・・?とすら、今の時点で思っています。(笑)

 受験、物、人間関係、恋愛などなど、私は人より執着してしまう節があり、人よりズルズル思い悩んでしまうことが多いです。

 そんな時、うまくいかなかったことに対して”縁がなかった”と思うようにしました。受験での失敗、大切な物をなくしてしまう、人間関係や恋愛での後悔・・・、それらは、自分には”縁”がなかったことでそうなってしまった事たちであり、そこに執着することは自分のプラスにはならないのかもな、と。

 考えてみれば当たり前の話ですが、この考えのお陰で過去何度も精神的に立ち直ることができたのも事実です。

 だから落ち込んだり自暴自棄になる暇があったら、次の”縁”のために誠実に毎日過ごしていくのが一番いいのかもしれないな。なんて、思います。

 他人に対して薄情であることは、基本的にはよくないのは自明の理です。でも、無縁になってしまった事や、自分を大切に思ってくれない人、嫌な思いをさせてくる人にまで神経すり減らして優しくしたり尽くすのは、こちらが傷つくだけ。

 他人に対してうまく”薄情”でいることは、字面のイメージとは反し、案外大切な人生のライフハックなのではないでしょうか。“逃げ恥じ”理論に近いようにも思いますが(笑)

 何かに過度に執着することで、自分の人生を棒に振ってしまうなんてことは、誰にでも簡単に陥ってしまう事のような気がします。(最近の博多の事件なんかを見てて思います。)

 自分の人生を、自分のやるべきことにしっかりベクトルを向けて、行動できるようにしていきたいです。

 


 こんなことを、私は常日頃頭の中でぐるぐる考えているのがもはや日課状態なので、(笑)。考えがまとまったらその都度小説の練習がてら書いてみようかなあなんて思います。

 最後まで読んでくださりありがとうございます!!フォローしてくださったときの舐め腐ったコメント(確か”あなたは古参です”とかだった気が・・・。恥ずかしー-)は、変更の仕方が分からないのでそのままですが、大変嬉しく思っています(ホントですよ)。

では、また気が向いたら書きに来ます。サヨウナラ✋

 






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