“優秀≒危機感”だな、てつくづく思う #日記
2024/11/24
理系向いてない、大学向いてないと、この2年半の大学生活で何度思い悩んだことだろうか。
試験は余裕で通ったはずの大学、でも今ではGPAが低すぎて教授から心配のメールを頂くような事態もしばしば・・・。大学院の推薦とかは早々に諦めてしまったのでもはやGPAはほぼ関係ない。しかし、大学生にとってGPAとはその人の『真面目さ』を表しているといってもいい。だからGPAが低いと怠惰認定されるという現象が起きる。(ぐうの音も出ない)
僕の周りに集まる人々は、みんな昔から優秀だった。なぜか皆学校でトップを争っているような人が自然と周りに集まる傾向がある。これは自慢とかじゃなくて、中学高校大学、はたまた塾でも、今までずっとそうだった。“僕以外の友達は”皆優秀なんです、て話。
そんな優秀な友達たちと、怠惰な自分、いったい何が違うんだろうか。
これは長年僕を自己嫌悪の渦に巻き込んできたテーマだったのだが、大学に入ってつくづく思うことがある。
それは危機感を持つのが早い
てこと。単純明快。二週間後の課題とか、2年後の大事な試験とか、僕は未だにこういったものが自分の中にある時、だいたい行動を先延ばしにしてしまう。
周りでコンスタントに結果を残している友人たちは、よくよく見ればそれなりに先の用事に対して、僕にとっては十分すぎるくらいに早くから行動してるんだよな、て事実。気付かないフリをしていた事実。
思い返せば中学時代、母に連行される形で中学入学前から大げさじゃなく家よりも塾に籠って勉強していた。先生が塾の入り口を開錠する前から、塾の営業時間が過ぎてるからいい加減帰れ!て言われるまでずーーーっと自習室にいた。あまりに長時間人と話さないから、突然話しかけられると話し方を忘れて焦る、みたいな嘘みたいなことが起きてた。
そのおかげで中3の最後の最後にやっと成績が伸びて希望の高校に合格できた。つまり、行動を開始してから最終目標に到達するまで、高校受験というハードルに対して丸3年かかったということだ。
対して、うまくいかなかった大学受験。希望の高校に合格して浮かれ切っていた僕は、周りのライバルが勉強し続けている脇で何に打ち込むわけでもなくマイペースに生きていた。
高校受験の何倍も過酷な大学受験、ただでさえ高校受験に3年必要だった不器用な僕は、それ以上の時間を費やす必要があったのだと今になって思う。
学校の勉強というものは、オリンピック選手みたいな特殊能力じみた才能はほぼ必要ないと思う。それでも人それぞれ残せる結果に天と地の差が出てしまうのは、結局事の重大さにどれだけ早く気づけるかで8割くらい決まるからなんだろうな、と自戒も込めて自分に言いたい。
きっと危機感を持てるか否かで生じる差というものは、年を重ねるにつれ指数関数的に増えていくような気がする。よりよい結果を残してそれ相応の環境に身を置けば、その先でできる人脈も経験もより洗練されたものになるだろうなと思う。
こんな説教みたいなことをわざわざ書いて自戒にしなきゃと思うくらい、僕は今、危機感を持てずに生きてきたことを猛烈に後悔している
とにかく目前の課題と試験を乗り切ろうカフカ( ;∀;)