【読了記録】 『魔の山(下)』(トーマス・マン) 感想
その文章ひとつひとつの言葉の中に、立ち止まって考えること3ヶ月、遂にというか、ようやくというか、この上下巻で1,500ページぎっしり埋まった難解な大長編を読み終えることが叶った。
そこでその読後感をシェアしようと思う。上巻の大雑把な感想は以前に書いたので、そちらをご覧頂くとして、この記事では下巻に焦点を合わせた感想を書いてみたい。
俗にいう『総合小説』であった
主人公が物語の中で成長していく、いわゆる教養小説として名高いこの作品は、同時に、例えば村上春樹氏などが言うところの総合小説でもある。つまり作者がおよそ考えついたことの全てが注ぎ込まれた作品なのだ。
そのきわめて多様な場面で展開されるテーマも、また非常に多岐に渡り、時間、自然観、生と死と病気、愛とジェンダー論、音楽、生物学、哲学、差別的感情、怒り、人類愛などが含まれ、時にはスピリチュアルな超常現象にまで及ぶ。(ノーベル賞作家の作品なのに!)
そのため、この小説について一貫した感想を書くとなると、それだけで本が一冊出来上がってしまいそうだ。とてもここに一つの記事としては取り上げることはできないだろう。そこでこの記事では、末筆ながら大まかな感想を述べるだけにする。
作中の多様な人物との別れが感動を呼ぶ
数えていなかったためよくわからないが、その長さから容易に想像できる通り、登場人物もかなり多かったと思われる。
たくさんの人物が出てくると言うことは、それだけ読者もたくさんの別れを経験させられるということだ。
ここではその中でも三人の特に印象的な別れを概括的に述べてみよう。その三人とは他でもない、ヨーアヒム、セテムブリーニという二人の副主人公、そして主人公ハンス・カストルプである。
あたかも現実の時間が流れているかのように緩慢なこの小説であるが、登場人物の多くはきわめて印象的な別れのシーンを持っている。
その中でも特に副主人公二人との別れは、詳細は書けないものの、いずれも珠玉とも言えそうな出来栄えの感動的な展開で、人によってはここを読むだけでも価値がありそうだ。
そして、主人公ハンス・カストルプとの別れはそのままこの小説と読者との別れを意味する。大抵の読者はそこまで行くのに(僕ほどではないにせよ)長い時間を要するだろうから、長く付き合った主人公、つまりこの小説自体との別れを名残惜しく思うだろうと推察されるのだ。
僕もそうだった。
不穏な予感の中に見える不思議な感動
さてあたかも橇が煌びやかな山頂から暗い谷底に向けて加速度的に疾走するように、クライマックスに近づくにつれ、この小説の世界は不穏な空気の中に一気呵成に飛び込んでいく。
その世界とは作品の舞台たるサナトリウムと、その周囲を取り巻く大きな世界全体の両者なのだが、サナトリウムの緊張感がそのまま後者の不穏をも同時に描写していると思われる。
そしてクライマックスすなわち山場に至って、弾けるように物語が終わるのだが、そこはなにか尋常でない場面なのに、不思議な感動を読者のどこかに呼び起こさずにはいられない。
それは平凡に考えると、この長大な小説およびその登場人物と、(再読でもしない限り)今生の別れをしなければならないという読者の悲しさなのかもしれない。
普通の小説ならば、最後のページには達成感や満足感が待っているところだが、それが悲しさや感動で置き換わっているところ、やはり不思議である。
『魔の山』のタイトルは英語では "The Magic Mountain" なのだが、その魔術はここにあったように僕には思われるのだ。
主人公の成長ぶりが如何なく味わえる小説
先ほども述べたが、この物語はいわゆる教養小説であり、文字通り主人公ハンス・カストルプの成長記録だ。この成長とは主人公の考え方や行動が、後半に迫るにつれ、これまた加速度的に深化していくことにある。
僕も序盤のうちは主人公の頓珍漢な振る舞いに、「おいおいこの主人公ちょっと大丈夫か?」と思ったものだ。
だが下巻の真ん中あたりから次第に言動の洗練されていく彼に、知らぬ間に「なかなか大した主人公じゃねぇか」などと思わされていた。
終盤につけては「なるほどこれは立派な主人公だ」と考えていた。読者に無意識のうちに考え方を改めさせるあたり、さすがは ”The Magic Mountain“ だと思わさせられた。
長々とまとまりのないことを書いたが、ともあれ、この小説では主人公ハンス・カストルプの飛躍的な成長が見てとれることは確かだ。そしてこの成長ぶりを追体験として読者も分けてもらえる。その読書体験をするだけでも、この小説を読む価値は充分にあると思われる。
長いだけでなく難解で、考えなければわからない文章も多く、読み登るのは並大抵ではないかもしれないが、確かに価値のある本であることは僕も保証するので、気が向いたら読んでみて欲しい。
レッツ、クライミング!
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