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美しい夢を戦争に奪われた家族の場合 ナゴルノ・カラバフ難民100人取材


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”アルツァフは夢だった、、、、。そして、心地よい夢は終わりを迎えた、、、。”難民のおばあさんは涙を流しながらそう語る。

アルツァフ共和国、アルメニアとアゼルバイジャンが領土争いを行う、ナゴルノ=カラバフの未承認国家。未承認国家とはとはなんだろうか?。2020年44日間戦争、死者5600人以上を出したこの戦争で、多くのアルツァフ共和国の人が故郷や家を失い難民と化した。

世界にはたくさんの未承認国家が存在する。最近話題の未承認国家といえばウクライナ内のドネツク人民共和国やルガンスク人民共和国、さらには台湾やパレスチナなども未承認国家として存在する。これら未承認国家はある人たちにとっては自分たちの国という悲願であり、ある人たちにとっては分離主義者のテロリストの過激思想にすぎず、ある人はこれを政治利用し、これにより侵略や虐殺を正当化する、そしてある人にとって未承認国家は故郷である。

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30年近く戦争状態にある、アルメニアとアゼルバイジャンという2カ国の国境に近いアルメニアのバガドゥル村。雪と壮大な山に囲まれ世界の最果てのように美しくもどこか切ない雰囲気の村。この近くのセヴ湖では約一週間前(取材当時2021年11月後半)の11月15日に44日間戦争以来最大の両国による戦闘が行われた。

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バガドゥル村の馬を誇らしげに見せてくれた少年

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そんな、バガドゥル村の坂の上見晴らしが良いきれいな家(賃貸)に今回取材するナゴルノ=カラバフ難民の 家族の人が暮らしていた。明るい笑顔の女性が坂の下の道まで通訳と俺を迎えに来てくれた。彼女は今回取材する難民の家族のお母さんだ。

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坂を上がると家の周りにはたくさんの鶏などの鳥がいる様子から生活はそこまで苦しいわけではないようだそう思った。

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きれいな家の中にはアラビアが舞台の映画を食い入るように見る少女と険しい顔をしたお爺さんがいた。軽い自己紹介を済ますと映画の邪魔をしてごめんねと少女に一言謝り、居間の机に腰掛けた。少女緊張しているような、興味があるような、映画を邪魔されて微妙な気持ちなような、なんとも言えない表情をしていた。

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2020年44日間戦争が始まるまで、彼女たち家族はアルツァフ共和国(ナゴルノ=カラバフの未承認国家)のカシュタ地方カレカ村で暮らしていた。

お母さんとおじいさんは1995年から彼女はアルツァフで過ごし、働いて、貯めたお金で家を2軒建てて、最近リフォームしたばかりだ。少女はアルツァフ共和国のカレカ村で生まれたのだ。しかし、44日間戦争で家も長年過ごした故郷も全てが失った。、、、、。
前の村ではお母さんは科学の先生をしており、祖父はフォレストドライバーをしていた。
カレカ村はとてもいいところだった。学校と幼稚園が一つずつカレカ村にあったし、ダンスや歌のクラスもあった。今の村には幼稚園も、歌とダンスのクラスもない。

Q”前の村の暮らしはどうだった?”そう、少女に尋ねた。

”カレカ村での生活はとても面白かったわ。アルメニアの伝統のダンスとインターナショナルのダンスの教室があったから楽しかったの。”少女は初めて笑顔になった。それを見て俺はなぜか安心したと同時に、戦争というのは子供達がダンスや歌を習う機会も奪ってしまうのか、、毎日の楽しみや将来の可能性すらも、、、とそ少し悲しい気持ちになった。

Q”いつこの村に移動したのですか?”

”11月20日に移動したわ(2020年の)。11月9日カレカ村のアゼルバイジャンへの引き渡しが決まり、実際の引き渡しは12月だったわ。政府はカレカ村をアゼルバイジャンに引き渡さないと思ったのに、、、引き渡しを決めたの。”お母さんはそうため息混じりで答えてくれた。信じてきた政府に自分の村、故郷の引き渡しを決められた時に彼女たちは何を思ったのだろうか?

彼女たちが現在住んでいる家は賃貸だと説明してくれた。PIN(PEOPLE IN NEED)と言う支援団体は去年は電気代を払ってくれたが、今年は払ってくれなく、RED CROSSと言う支援団体は今年暖をとるための木をくれると言っていたが実際は何もしてくれないと彼女たちは言っていた。44日間戦争が過去のことになればなるほどその悲劇は忘れられて、支援もなくなっていく。そもそも、日本人で44日間戦争という悲劇を知る人がどれだけいるかは疑問だが。彼女たち家族は44日間戦争で皆無職になった。現在は家畜、11頭の牛や鶏の飼育や蜂蜜の栽培などで生活をしているようだ。

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彼女たちの飼育する牛

日本の無職とは違い自営業の酪農家という状況なのだろう。他の過酷な生活の難民たちと比べたら生活に余裕もあるようだなと思った。ただ、彼らも故郷で全てを失い、今住んでいるバガドゥル村でたくさんの家畜を買うために借金をして返済に苦労しているのは間違いない。戦争がなければ借金して家畜を購入し直す必要もなかったのだ。

過酷な生活を送る難民の人の記事

Q”難民の人達は何が一番必要だと思いますか?”
”全てが必要だ、木、日用品、家”そう険しい顔でおじいさんは答えてくれた。
そりゃそうだよなあ、、、、、。

この瞬間ドアの開く音がして大柄なお婆さんが家に帰ってきた。自己紹介をすると、お母さんと同じようなニコニコした笑顔でおばあさんも自己紹介をしてくれた。明るい人そうだ。

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インタビューに答えたくなくて出かけていたのかな?とも思ったが話してみたときのおばあさんのフランクな感じから、そういうわけでもないようだなと思い彼女にも質問をすることにした。

Q”今の生活はどうですか?”
そう尋ねた瞬間おばあさんは手を見せてきて、必死に何かを語り出した。
祖母の手はただれていた、その様子から彼女は病気なのかなと思った。するとおじいさんが何か怖い顔で言い始めた。怒っているのか?どういう状況なんだ?


”なんて言ってるんだ?”そう通訳に尋ねた。

”おばあさんは体調が良くないみたいで病状を話そうとしてくれたんけど、、おじいさんがそんなことは言うなと言ってきたのよ、、でも、どう見てもおばあさんの体調は悪そうよ、、。”そう、通訳が説明してくれた。明るそうに見えたおばあさんだが、病気なのか、、、。

”そうか、、、”すごい空気になってしまった、、話題を変えないとな。


Q”前の村にはダンススクールや幼稚園もあったようですが、アルメニア の今の村より、前の村の方が教育施設などの公的施設が充実していたのですか?”

”そうね。孫娘はダンスのクラスに通っていたし、カルチャーセンターもあったから忙しかったのよ。習い事で。でもこの村には何もないわ。”そうおばあさんは語ってくれた。

Q”何もない村ということですが、援助などはどうですか?”

”私は村役場勤の公務員だったから12月末まで(2021年の、取材当時2021年11月)給料を受け取れるけど、その後はどうなるかわからないわ。”アルツァフ共和国で軍関係の仕事や公務員をしていた人たちは難民と化して仕事がなくなっても12月末までアルツァフから給料をもらえることになっていると他の軍関係や公務員の難民も語っていた。

”支援ということで言えば、ゴリス(アルメニア南部の都市)のナゴルノ=カラバフ難民の多くの子供達にはお金を支援してくれるオーナーがたくさんいるけど、この村の子供にオーナーはいないわ。赤十字が話を聞きにくるけど、何もしないし。”以前取材したハルタシェン村といい、このバガドゥル村といい難民に対する支援も都市と村では格差があるようだ。

ハルタシェン村のナゴルノ=カラバフ難民の方の記事

”NGOが洋服を難民に寄付してくれるのだけれども、政府の職員が服を取るから村の人には回ってこないわ。”おばあさんはそう語る。政府の職員、公務員が腐敗していて支援が支援されるべき人に来ないのは世界共通の悩みらしい。人間というのは腐っているものだ。

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Q今の生活はどう?”そう少女にも尋ねてみた。
少女は”ノーーー”とオーバリアクションで手を振った。そのしぐさに思わず俺は笑ってしまった。
”この村はつまらないわ、カレカ村の先生はとても良かったけど、この村の先生は殴るから良くないわ。”、、、女の子も殴るとはなかなかだな、、というか、この家族の前に取材した牛を歩いて連れてきた家族の少女もこの村の先生はよくないと言っていたな。基本アルツァフ共和国(ナゴルノ=カラバフの未承認国家)のが教育の質は高いのかな?

この家族の前に取材した家族の記事

”なあ、アルツァフの学校の方が、アルメニア の学校よりも教育や教師の質がいいのか?先生としてどう思う?”俺は通訳にそう尋ねた。
通訳は今アルメニアの村でロシア語の先生を始めたが、アルツァフでも学校の先生をしていた。


通訳”首都エレバンとか大きい街は別にして、村であれば基本はアルメニアより、アルツァフ共和国の学校のが教育も教師の質も良かったわ。前も話したけど給料がそもそも違うし、アルツァフで先生になるには心理テストも受けなきゃいけないから、心理的におかしい人はアルツァフでは教師になれないけどアルメニア では教師になれるのよ。”

”なるほど。心理テストがないから暴力教師もいるわけなのか。”

”それは、旧ソ連の文化なのよ。教育で人を殴るのは。アルツァフの学校の方がもっと欧米的なのよ”

”そういうことなんだ。旧ソ連は体罰が普通だったのか、、。”この家の少女だけでなく、牛の家族のところの少女もこの村の学校の先生は悪いと言っていたあたり、この村の教師は本当に良くないんだろうな、、、。戦争のせいで受けられる教育の質はもとより、居心地の悪い学校に転校せざる得ないとは子供にとっては死活問題だろうな、、、。

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前住んでいたアルツァフ共和国の学校のが良かったと語っていた以前取材した難民の少女

今話題のウクライナ難民の子供達もいつか同じ問題に直面するだろう。今現在、世界はウクライナに同情的で優しい。しかし、欧州や隣国モルドバ、ルーマニアへの滞在が長引き、ウクライナ難民の人たちが現地で現地の人以下の給料で仕事をするとして、それを現地の人は難民が仕事を奪ったと難民を恐怖だと思い始めるだろう。トルコやヨルダンでのシリア難民の人たちがそうで扱われたように。難民の支援にもお金はかかる。ウクライナ語やロシア語と欧州や隣国の言葉も違う。そうなると、差別が始まり、学校でいじめに遭う子供も増えていくだろう、、、。戦争により子供達が平穏に教育を受ける当たり前の権利、そういったものも奪われるのだなとこの少女との会話を思い出しながらふと思った。

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”アルツァフ(ナゴルノ=カラバフの未承認国家)は話を聞いているととてもいいところだったのですね、、。”俺は思わずそう呟いた。

”アルツァフは全てが良かったわ、、。アルツァフは夢だった、、、、。そして、心地よい夢は終わりを迎えた、、、。”そう言った瞬間おばあさんは泣き出した。1995年から彼女はアルツァフで過ごし、働いて、貯めたお金で家を2軒建てて、最近リフォームしたばかりだった、、、。しかし、44日間戦争で家も長年過ごした故郷も全てが失われたのだ。、、、、。

やってしまった、、、。何をやっているんだ俺は、、、彼女に思い出したくないことを思い出させ、心の傷をえぐってしまった、、、難民の人たちを傷つけるだけなら、そんなインタビュー本末転倒じゃないか、、、俺の取材は愚かな自己満足なのだろうか、、。

もういい、もういいだろう、、、これ以上彼女を傷つけたくない。この家族へのインタビューは終わりだ。


”、、、いやなことを思い出させてしまい、すいませんでした。もう終わりにします。貴重なお話ありがとうございました。最後に何か世界に伝えたいことはありますか?”


”私の夫も志願兵として戦争に行ったわ。だからこそ、平和が必要だと思うわ。アルツァフやアルメニアだけでなく、世界の全ての場所に”お母さんはそう、平和への願いを語った。

”平和が必要よ。若いアルメニア兵が殺されないように。平和が必要なの”おばあさんは涙を流しながらそう語った。これは彼女だけでなく、アルメニアのアルツァフの叫びだ。

取材した時はそう思ったけど、ウクライナで戦争が始まった今にして思えば、、、おばあさんの涙も、叫びもそれは世界の涙で叫びだった、そう思う。

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