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敵軍からの銃撃が普通、そんな残酷な世界で美しく生きる人々 ナゴルノ・カラバフ難民100人取材


メリカシャン村に住んでいた女性は”夫は戦争に行き亡くなった。子供は先に避難しており、私は一人で村にいたわ。”そう絶望感に満ちた表情で語った。

今現在彼女には、、、、、、もう戻るべき暖かい故郷も、守ってくれる夫もいない。絶望しかない状況。それでも、進むしかない。帰る場所はもう無いのだ。彼女はそんな覚悟を決めた強い人だった。そんな強い難民の人に何人かこの取材で出会った。彼らはとてもかっこよく、美しく見えた。でも、そんな絶望に打ちのめされた人々にそんな悲しい覚悟を強いるこの世界はとても残酷で救いが無い。この世界は闇に包まれた、クソみたいな世界だ。だからこそ、この残酷でクソみたいで、救いが無い世界で覚悟を決めて一生懸命生きる難民の人々。彼らは美しく、この真っ暗闇の世界でとても小さな、しかし、とても強い消えない光を放ち続けるのだろう。

今日はクハァナツァクで出会った3組のナゴルノ=カラバフ難民のインタビューを要約した記事になります。

発電所が爆破され電気を奪われた村の人たち

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44日間戦争で大黒柱のお父さんを亡くした家族(写真なし)

アルメニア兵だけでなく、アゼルバイジャンの若い兵も命を落とさないように平和を祈るお母さん

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彼女たちの声と叫びをお聞きいただけたら幸いです。

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アルメニアとアゼルバイジャン、戦争状態の2カ国間の国境に3方を囲まれたクハァナツァク村。クハァナツァク村の丘の上にある、村の景色を見渡せる家で次のナゴルノ=カラバフを追われた難民の人にインタビューを行うことになっていた。

家の中に入るとおばあさんと少女が笑顔で出迎えてくれたが。彼女たちは元々クハァナツァク村に住んでいる村人で難民ではない。彼女たちの家でここにやってくる難民の人たちのインタビューをするのだ。少女はちっちゃいカップに入った可愛らしいアルメニアコーヒーを出してくれた。コーヒーを飲んでいると二人のおばあさんが家にやって来た。彼女たちが今から話を聞くナゴルノ=カラバフ難民の人だ。

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”こんにちは。どこの国から来たの?”

写真右の女性が満面の笑みで英語で話しかけて来た。!!!?英語ができる人がこの村にいたのか?しかも、見た目から推察するに彼女が若い頃アルメニアが旧ソ連だった時代じゃないのか?通訳もまさか英語を話す人がいると思っておらずびっくりしていた。

”こんにちは日本から来ました。初めまして。英語が話せるのですか?”

”ええ、私は英語がはわかるわ。”満面の笑みで女性は答えてくれた。

”どこで英語を勉強したんですか?”

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”大学よ。第2外国語が英語だったのよ。”

”大学生だった時代はアルメニアがソ連の頃ですよね?敵であるアメリカの英語が大学で勉強できたのですか?”

”ええ、英語が勉強できたわ。当たり前でしょ”そう言っておばあさんは笑った。


旧ソ連はアメリカと敵対国で情報統制が強いと聞いていたから英語は勉強できなかったと思い込んでいた(時代にもよるだろうが)。

おばあさんが英語を勉強したのはもう何十年も前。話せる英語は本当に簡単な日常会話だけだった。少し込み入った話になるため、インタビューは他の難民の人たちと同じく通訳を通して行った。

Q”2020年の44日間戦争前はナゴルノ=カラバフのどこの村に住んでいらしたんですか?”

”ここからわずか、2〜3キロ先のチツェルナバンク村よ。”おばあさんは笑顔でそう答えた。わずか、2〜3キロ先、、、、。日本の舗装された道では徒歩で1時間もかからない場所にある住み慣れた故郷を44日間戦争で追われ、彼女は2〜3キロ先の故郷にもう帰ることができない。そんな人たちが国境の村クハァナツァクにはたくさんいた。

Q”いつこの村に移動したんですか?”

”11月17日(2020年)に電気が村にないからこのクハァナツァク村に移動したわ( 44日間戦争、開戦は2020年9月27日)。11月11日に発電所が爆破されたから。”そう笑顔のおばあさんは語った。ということは、6日間は彼女は電気がない中で生活をしたのだ。今現在ウクライナにもインフラが破壊され、電気がない中で生活する人たちが数え切れないほどいる。

Q”電気のない生活はいかがでしたか?”

”もちろん、電気がない生活は怖かったわ。危なくて家に居たくなかった。私の家は村から少し離れた独立した場所にあったから怖かったわ。アゼルバイジャンは私たちを怖がらすために家や村を爆破したのよ、、、。”笑顔だったおばあさんが、初めて少し暗い顔で語った。発電所を爆破され、暗い中、村や家が爆破される中での生活、、、想像すらできない、、、どれだけ恐ろしいことか。もし自分立場なら正気でいる自信もない、、。そんな恐ろしい体験をしたのに、英語で笑顔で簡単なコミュニケーションを取ろうとしてくれたおばあさんはとてもフレンドリーでいい人だ。そんな人が、そんな恐ろしい体験をして故郷を追われたのだ。


Q”昔の村はどうでしたか?” 

” 昔の生活は良かった話。”笑顔のおばあさんは再び人懐こい笑顔でそう答えた。

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”2キロしか違わないのに今の生活はひどいわ。菜園を行う土地もないし、仕事もない。”このタイミングで、笑顔のおばあさんとともにインタビューを行った貫禄のあるおばあさんが口を開いた。彼女の生活はたった2キロの移動で一変した、故郷の菜園も仕事もあった生活から地獄のような今の生活になった。戦争で2キロ先に避難して、生活が地獄になる。そんなこと日本人の俺には想像もつかないことだ。

Q”アゼルバイジャンの基地が近いがどうですか?”
”外出すら怖いわ”そう笑顔のおばあさんは答えた。
”運転するのが怖いわ”貫禄のあるおばあさんはそう語る。故郷を追われて、クハァナツァク村に逃れたのに、いまだにアゼルバイジャン軍に怯えて暮らしている。彼女たちが穏やかに暮らせる日はいつくるのだろうか、、、。

”今日の取材はちょっと急いだほうがいいわね、、、何せ、この行列だもの。時間がないわ。”通訳がインタビューを行う部屋で列を作り、興味津々にだべりながら待っている老若男女8人ほど、3組のナゴルノ=カラバフ難民の人たちを見てそう答えた。

”まさかこんなに人が集まるなんてな笑。”俺は思わずそう笑ってしまった。本当は戦場に囲まれたクハァナツァク村の前線の近くなど、村の様子をもっと撮影して記事にするはずだった。しかし、インタビューを受けたい難民がたくさんいると聞いて、できるだけたくさんの人の話を聞きたい俺は全員の話を聞きたいと通訳に伝えたが、、、まさか、行列ができるなんてな笑。、、、、予定外だった。他の家にも行く予定があるし、、、こりゃ話を聞くだけで今日は終わりになるな笑。クハァナツァクのいろいろな場所撮影したかったけど、、、声なき声を伝えたい人たちを無視するわけにはいかない。

”海外の人からインタビューなんて普段受ける機会ないからみんな興味津々なのよ。多分楽しそうだから来てるのよ笑”そう通訳は苦笑いしていた。声なき声を伝えたいというか、多分物珍しくて、面白そうだから来たんだな笑。でもなんだろうな。彼らは毎週アゼルバイジャン軍に威嚇射撃を受け、家畜を日々奪われたりして過酷な状況で暮らしている。そんな状況下でも、人生を一生懸命楽しもうとしている。だから、過酷な状況でも物珍しい日本人のインタビューに興味を持ち列をなしたのだろう。今もインタビューを見ながら、談笑をして笑ったりしている。そんな彼らの生き様は、生きる上で見習うべきものが多い。絶望や悲劇の中でも笑顔を今を楽しむことを忘れてはならない。

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”##############笑”

インタビューを待っているおじさんが大声でアルメニア語で笑いながら何かを聞いて来た。

”なんて言っているんだ?”

”日本人ビールは好きか?って聞いて来たのよ笑”通訳は笑ってそう教えてくれた。

”ああ、ビール大好き笑”思わず笑ってそう答えた。よりにもよってその質問はかよ笑。だけどいいなあ。過酷な中でも、こう笑顔で生きる彼らは何よりも美しくて強い。そう思った。(この男性のインタビューはわりとガッツリ聞いたので別に一本の記事にします。)


Q”クハァナツァク村で一番怖かったことはなんですか?”再び笑顔のおばあさんたちにそう尋ねた。


”4日前(1021年1月16日セヴ湖事変)アゼルバイジャン軍が銃を撃ち始めた。銃撃が始まったと思い怖かった。家で息を殺していたわ。11月16日銃声は何時間も続いた。銃を10分ごとにアゼルバイジャン軍は撃ってきたから、気がきでなかった。アルメニア政府は戦争をクハァナツァク村お近くでしたくないからアルメニア兵士が銃で反撃するのを禁じた。アゼルバイジャン軍のみ撃って来て、挑発して来たのよ。”そう笑顔が多かったおばあさんは恐怖に満ちた表情で答えてくれた。


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最愛の夫を44日間戦争で亡くした40歳女性の場合(写真はNGとのことで文のみ)

取材を待っていた難民の人たちの中にはませた中学生の女性と元気いっぱいの小学生の男の子と難しい顔をしたお母さんもいた。彼女たちの最愛の人は2020年の44日間戦争で命を落とした。さらに、戦争で前いたカシュタ地方のメリカシャン村を追われ今はこの戦場の隣の村クハァナツァクにいる。

Q”前の村はどうでした?”

 ”前の生活が良かった。たくさんの友達がいた。”小学生の男の子は元気に答えた。お父さんを亡くした悲劇の子とは思えないような元気な声だった。

”メリカシャン村は冬も暖かく、いつも緑でいい土地だったわ。今の生活は何もない。とても大変だわ。”お母さんはため息混じりでそう答えた。最愛の人を戦争に奪われただけでなく、生活も大変になったのだ。そんな悲劇を44日間戦争はいくつ生んだのだろうか。

Q”戦争前と戦争後一番変わったことはなんですか?” 

”夫が亡くなったのが一番変わったことよ。子供の世話大変なのよ。”お母さんは淡々とした雰囲気で答えていたが、目は絶望感に溢れていた。そりゃ、、、夫をの命を奪われた以上の変化はないだろう、、、また、愚かな質問をしてしまったな、、。彼女絶望感に満ちた瞳と言葉ほど戦争の悲劇を訴えるものはないだろう。写真で伝えたかったな、、。それは俺のエゴだが。

Q ”いつクハァナツァクに移動しましたか?” 

”11月28日よ。村が引き渡されるのが決まった後よ。”


Q”44日間戦争中の生活はいかがでしたか?”

 ”夫は戦争に行き亡くなった。子供は先に避難しており、私は一人で村にいたわ。”そうお母さんは絶望感に満ちた表情で語った。

Q”一人の戦時中の村はどうでした?”


”とても危なく、戦争の音が怖かった。だけど、村を守らねばならなかった。”子供は先に避難し、夫は圧倒的に軍事力が低い軍勢に兵隊として参加。そんな中、村を守るために一人村に残った彼女。一体どんな思いだったのだろうか。想像もできないような恐怖、絶望感、、、しかし、村を守るための義務感などもあったのかもしれない。俺には彼女が体験した思いを想像することもできない。しかも、村はアゼルバイジャンに奪われ、夫は帰ってこなかったのだ。今彼女はどんな思いで日々を生きているのだろうか、、、。

Q 未来に何を望みますか? 

”この村に居たいわ。(クハァナツァク村)。”彼女は強い瞳でそう答えた。なぜ?アゼルバイジャンの基地が近くて危険なのに、、、。先ほど前の村のが良かったと語っていたのに、、、。なぜこの村に居たいのか俺には理解できなかった。


Q”クハァナツァク村は危ない状況なのに何故この村にいたいんです?”

”お金の問題よ、、他に移る費用はない、、それにもし戻るならアルツァフ共和国(ナゴルノ=カラバフの未承認国家)以外ありえない。”彼女は絶望に満ちているが、どこか力強い表情でそう答えた。

、、、、、もう戻るべき暖かい故郷も、守ってくれる夫もいない。絶望しかない状況。それでも、進むしかない。帰る場所はもう無いのだ。彼女はそんな覚悟を決めた強い人だった。そんな強い難民の人に何人かこの取材で出会った。彼らはとてもかっこよく、美しく見えた。でも、そんな絶望のに突き落とされた人たちに、悲しい覚悟を強いるこの世界はとても残酷で救いが無い。闇に包まれた、クソみたいな世界だ。そう思った。だからこそ、この残酷でクソみたいで、救いが無い世界で覚悟を決めて一生懸命生きる人々。彼らは美しく、この暗闇の世界で小さな、しかし、とても強い消えない光を放ち続けるのだろう。そう思った。

覚悟を決めた人々の記事



Q”子供の未来に何を願いますか?”

”15歳の長男は2年後兵役がある(長男はインタビューに来てなかった)。長女は大学で勉強したい。(この村で受験勉強は大変だというのに、それは難民取材最後のインタビューの記事に投稿する家族のエピソードで深掘りする。)”そう彼女は淡々と語った。

Q ”難民に何が一番必要だと思いますか?” 

”すべてのことにおいて助けがいる、食事、防寒着、家”


Q”アゼルが近いこの村での生活はどう思いますか?”

”私たちには、これが普通よ。もう慣れたわ。”お母さんは淡々とそう語る。、、、、、、これが普通、、、、。毎週すぐ近くの夫を殺した、故郷を奪った軍に威嚇射撃されるのも、家畜を奪われるのも、、、普通。その言葉に絶句するしかなかった。今取材メモを見ながらこの記事を書いていて思う。ウクライナ情勢に対して、偉そうに分かったようなことを第三者視点でネットで語り、こうすれば平和になるとかロシアがこうなるのは偏った知識で必然だったとか、ロシアに勝てるはずないから降伏しろとか、上から現地の苦しんでいる人に語る人ばかりだ。そんな上からお前ら、よく現地で誰よりも苦しんでいる人より自分たちは知っているみたいに偉そうに語れるよな!!そして、そんな記事に共感する人も多い。本当に反吐が出る。彼らの苦しみも知ろうとしないで。、、こんな、ネット上の平和主義者や(俺もそうだろうが)、分かったように語る自称学者さんたちにこんな文句を吐いても現状は変わらない。これは、ただの偉そうにジャーナリストなんて言った挙げ句何もできなかった俺の八つ当たりに過ぎない。こんなことしても何も変わらない。でも、言わずにはいられないくらい俺は今悔しいし、この世界に憤っている。


Q” 村を追われてからのこの1年間で一番危険だったことはなんですか?”

”動物や子供の安全のための強いセキュリティがこの村には必要よ”そう彼女は真顔で語った。罪なき人々の平穏な生活を守るためのセキュリティそれは何よりも必要なものだ。しかし、世界は無慈悲だ。彼らには自分たちの身を守るセキュリティすはもちろんのこと、平穏に生きる権利すらないのだ。


Q”最後に世界に伝えたいことは何かありますか?” 

”私たちには助けがいる”それは彼女たちナゴルノ=カラバフ難民の、多くの人が知らず、聞こうともしない、声なき声、叫びだったのだ。助けがいるこの村の状況を聞くとそれは紛れもない真実だ。何か力になりたい、、、何か、、、その時強くそう思った。ごめんなさい。今はその思いしかない。俺には結局何もできませんでした。多くの人に伝えられなかった、、、。俺はあなたたちの苦悩も、素晴らしさも。伝えることすらできなかった。あなたたちのために何一つできなかったのだ。あなたたちのエピソード、生きる意思にはとてつもない力がある。でも、俺が語ることでそれが矮小化されてしまったのだ。心からそう思う。今は皆ウクライナにの人々に関心があり、ウクライナの人の平和を皆語る。それでも、そんな状況でも、シリアやミャンマーはもちろんのこと、ナゴルノ=カラバフなんて知らないし興味もない。あなたたちの声を聞こうともしない。それらの地域の平和など皆知らないのだ。そんなことより、ウクライナの人のが大変でしょうと人は言うのだ。そして、訳知り顔でウクライナ情勢の都合のいい一部を切り取り、自分の意見を正当化し承認欲求を満たす人が本当に多い。ろくな奴がいない。本当に、、、。あなた方の苦悩も知らずに。これは、せめてもの抵抗だ。あなたの話を誰か一人にでも伝えたい。だから、フォトジャーナリストと名乗りながらも写真がないが記事にさせてもらった。でも、まだ、まだ諦めない。あなたの声を物語を、一人でも多くの人に届ける。そのためにベストを尽くす。

、、、、、とても暗い記事を書いている、どうしよもない悲しい、虚しい気持ちになる。さらに、自分の無力さも日々実感させられるそんな気持ちも全てを奪われた難民の人たちに比べたら、なんともないものなのだ。この世界はなんとも暗い世界なのだろうか。

最後に、44日間戦争で村を追われ、ナゴルノ=カラバフの村で飼育していた300等もの羊を失った女性の平和への思いを書いてこの記事を締めさせていただく。彼女は10数年、人生をかけて増やしてきた羊を全て失った。そんな彼女の子供は2年後、徴兵で兵士になる。戦争に行くことになるかもしれないのだ。

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Q”最後に世界の人に伝えたいことは何かありますか?” 

”強い国に、平和にしてくれるように求むわ。アゼルバイジャンに何もしないように言って欲しい。アルメニア兵はもちろんのこと、アゼルバイジャンの兵士すらなくなるニュースを聞きたくない。何故なら私の子供も2年後兵役に行くから。子供を失う悲しい気持ちがわかるの。”

彼女は故郷も、家も、仕事も、300頭の羊も、村も全てを2020年の44日間戦争で失った。今もこのクハァナツァク村でアゼルバイジャン軍の銃撃に怯えて暮らしている。それなのに、一人の親として、アゼルバイジャンの若者が亡くなることすら悲しく思い、誰も理不尽に命を落とすことのない平和を求めている。彼女の優しさが世界に届くのをただ望む。

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