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世界に見捨てられた涙〜最果ての村での誓い〜 ナゴルノ=カラバフ難民100人取材

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その最果ての村で銃撃に怯え、故郷も家を追われ、涙を流していた彼女との誓いを俺は忘れない。その優しいお母さんの流した涙と彼女との誓い、その誓いだけは忘れてはならないのだ。

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アルメニアとアゼルバイジャンという2カ国の戦争の最前線に最も近い村クハァナツァク。その村に続く道には広大な美しい丘が広がっている。最前線という言葉から思い浮かぶのは荒野や荒れ果てた廃墟だが、その最前線への道はイメージと真逆のとても美しい道であった。

そんな美しい道の途中にアルメニア 国旗が掲げられた、アルメニア軍の最前線が至る所に点在している。

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アルメニア軍の最前線

”なあ、車を止めてくれないか?最前線の写真を撮りたいんだ。”俺は通訳にそう語りかけた。そんな美しくも異様な光景を写真に撮りたいと思ったからだ。

”車を止めることは危険だからできないわ。悪いけど、車内から撮影して。”通訳は運転手と会話した後にそう答えた。そう、ここは一見ファンタジー映画のような広大な自然に囲まれた美しい道だが、戦争状態のアルメニアとアゼルバイジャン戦争状態にある両軍の最前線に囲まれた場所なんだ。俺が対話してきた、ナゴルノ=カラバフ難民の人たち、彼らの故郷や最愛の人を奪ってきた戦争の最前線の一つなんだ、、、。

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険しい丘の道を下ってゆく、干からびた川、寂れた建物の集まる村に到着した。ここが、、、ナゴルノ=カラバフ戦争、30年にもわたる戦争を行うアルメニアとアゼルバイジャンの国境、戦争の最前線に3方向囲まれたクハァナツァク村。この村では毎週アゼルバイジャン軍から威嚇射撃を受け、住民が家畜を奪われている。、、、建物が他の村より寂れている、、、。

”クハァナツァク村の事は話には聞いていたけど来るのは初めてだわ、、、。建物がゴリス近辺の村よりもボロボロだわね、、、。ここにいる人たちの生活はゴリスの人たちよりも貧しいようね、、、。”そう通訳は語っていた。どんな人たちが、、、どんな思いでこの村で暮らしているんだろうか、、、。

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村の青年が一人俺たちを案内するためについてきてくれた。彼は一軒の家の前に俺たちを案内すると通訳にこう語った。

”もし日本から支援があるなら、この家族を一番優先して支援を回してくれないか。この家族の状況がクハァナツァクに住む難民で一番厳しいんだ。”俺は支援団体じゃないから、、、あれだが、、、

”俺は支援団体じゃないからそんな権限はないけど、もしそんな話があるなら、、、そうするよ。”そう答えるしかなかった。

この青年に案内され、クハァナツァク村では10人ちょいの難民の人から話を聞いたが、そんなことを青年が言ってきたのはこの家族だけであった。

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階段の上から寂しそうな瞳をしているが、優しそうなお母さんが降りてきて、疲れ切った瞳で微笑んできた。彼女が今回取材する家族のお母さんだ。彼女に案内され家の中に入ると緊張気味でソワソワしている小学生くらいの男の子と女の子。そして、疲れ切った瞳をした高校生くらいの少女が出迎えてくれた。

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彼女達は2020年44日間戦争が始まるまでナゴルノ=カラバフのジゼルナバンクの村で生活していた。ジゼルナバンクバンクという名の修道院が近くにあったからジゼルナバンクという村の名前だったのとお母さんは説明してくれた。その修道院の近くの村でお母さんは日本で言う小学1年生から3年生の生徒に服飾の授業。服を作ったり、裁縫をしたり、日本で言うところの家庭科の授業の先生をしていた。

2005年お母さんはアルメニア からナゴルノ=カラバフ に移動した。最初は洞窟のような暗く、汚い家に住んでいた。彼女は頑張ってお金を貯めて家を建てた。初めての先生の仕事の給料でパン焼き機を買ったのを今でも覚えている。家に水道はなく、飲み水は1キロメートル先の水汲み場まで汲みに行かなければならなかった。それでも、ナゴルノ=カラバフ での暮らしは幸せだった。子供達との暮らし。子供達が生まれたのはジゼルナバンクで楽しい思い出も悲しい思い出も全てはそこにあったからだ。

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過酷な状況でも笑顔の少年

しかし、2020年9月27日ナゴルノ =カラバフにて44日間戦争が始まった。村の行政は10月30日にアゼルバイジャン軍が攻めてくると予想しており、それまでにジゼルナバンク村を避難しろと避難勧告を出していた。しかし、予想に反し、10月27日アゼルバイジャン軍は彼女達が暮らすジゼルナバンクの村にやってきた。まずアゼルバイジャン軍は村の発電所を爆破した。電気が奪われ暗闇に包まれた村はとても怖かったと彼女は語る。そして、アゼルバイジャン軍は彼女達の故郷、ジゼルナバンク村を武力で制圧した。

”ジゼルナバンク村から、このクハァナツァク村はわずか6−7キロだけど当時は道がなく、発電所を爆破され道は真っ暗で怖かったわ。ここには(クハァナツァク村には)夜来たの、明るい中での移動はドローンが危険だから。たくさんの爆発を聞いたわ。暗闇の中、響き渡る爆発音はとても怖かった、、、。今はアゼルバイジャンがジゼルナバンク村への道を作ったので新しい道ができているわ。大きな車に沢山の人が乗りここに避難してきたわ。”お母さんは悲しそうな瞳でそう語る。

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写真の村の奥、山の手前の道がアゼルバイジャン軍が舗装したジゼルナバンク村へつながる道。6〜7キロ先に故郷のジゼルナバンク村があるが、彼女はもう帰ることはできない。

彼女はジゼルナバンク村で15年間教師として働いていた。長いキャリアがあるにもかかわらず、今現在仕事はない。クナァハツァク村の学校には既に服飾の先生がいるからだ。しかし、学校の校長がもし新しく変われば彼女は先生として働けるかもしれないそう語っていた。

”このクハァナツァクの村でアパートを3回も移動しているの。オーナーに出て行けと言われたから、、、子供もまだ働くことができないため大変なのよ、、、。長女は来年大学に行きたいって言うのに、、、、。昔は動物の世話をしていたわ。今は動達を飼育する広いスペースがないから、、、昔のように多くの動物を飼えないの、、。”彼女はため息混じりにそう語った。

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彼女達の世話する鶏

”子供を朝学校に登校させるのだけでもアゼルバイジャンの基地が近いから危険で、何が起こるかわからなくと怖いわ、、、。”そう彼女は疲れ切った目で語った。何よりも安全であるべきはずの子供達の学校ですらアゼルバイジャン軍の射程範囲内で、威嚇射撃してくるアゼルバイジャンの前線は学校からでも見ることができる。

”アゼルバイジャンがいつ攻撃してくるかわからず怖いんだ”子供達も口を揃えてそう訴えていた。

”そんなに頻繁に攻撃してくるのですか?”

”一週間に2〜3回はアゼルバイジャン軍が威嚇射撃をしてくるわ。”彼女はそう教えてくれた。、、、想像以上の数だ、、、。アゼルバイジャン軍に毎週そんなに銃を撃ち込まれているのか、、、、。なんで、なんでそんなことをするんだ?この普通の家族が暮らす村に銃撃を行い、何になるっていうんだ?俺には理解できなかった。武力で制圧された故郷から避難したのに、、、いまだにそんな攻撃を受けているのか、、。俺は彼女達の現状に絶句した。

”なぜ、アゼルバイジャン軍はそんな事を?”思わずそう質問した。罪もない村人達に毎週、何度も威嚇射撃するアゼルバイジャン軍の考えがまるで理解できない。

”アゼルバイジャン軍は村人を脅して怖がらせて村から立ち去らせたいんだ。そうすればあいつらは簡単にこの村を手に入れることができるからな。”取材を手伝ってくれた村の青年はそう答えてくれた。村全てがアゼルバイジャン軍の攻撃の射程範囲に入るこの村で毎週2〜3回威嚇射撃をされるのはとても恐ろしい、、、。特に子供達は、、、。戦争により村を追われ辿り着いたこの村ですら安心して学校に登下校すらできない、、、。この状態はあまりにも悲惨だ。子供達に何の罪があるって言うんだ、、、。

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来年(取材当時2021年11月)大学受験を控える18歳の長女

来年大学受験を控えるお姉ちゃんの夢は大学の先生。しかし、この村では大学受験ですら他の地域に比べて圧倒的に過酷だ。

”受験勉強をするための塾や家庭教師がこの村にないの、、、最寄りの町ゴリスまでも約30キロほどの距離があり塾に通うにしても高額なタクシー代が必要になるわ。そもそも、クハァナツァク村からゴリスまでの道はアルメニアとアゼルバイジャンの最前線に囲まれていて毎日通うのは危険なのよ、、、。冬には雪も積もるから、、そういう意味でも危険なのよ、、、。”そうお母さんは辛そうに語っていた。日本でも多くの学生が受験勉強のために塾に通ったり、家庭教師から勉強を習う。そんな受験勉強さえも戦争により影響を受けるのか、、、。

教師不足も深刻な村の問題だ。危険な最前線が近いクハァナツァク村に他の地域からわざわざ教師が授業を行うために通ってくれる事はない。今はこの村の学校には物理を教えることができる先生は居ないとクハァナツァク村で取材した他の難民の人が語っていた。平等に教育を受ける権利があるはずの子供達でさえ、戦争の影響で受けられるはずの教育を受けることのできないという不利益を被っている。子供への教育は未来への投資だ。この村の教師不足はアルメニアの未来、世界の未来を損なう問題である。それに何より、先生を志す真面目な少女の明るくあるべきである未来に影を落としかねない悲しい状況だ。


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村北西のこの写真の山の向こうには2021年11月16日アルメニア軍とアゼルバイジャン軍が激突したセヴ湖がある。

Q”4日前のセヴ湖事変の時はこの村はどうでしたか?”

”4日前(2021年11月16日セヴ湖事変)はアゼルバイジャン軍は10分〜15分おきに銃を撃ってきたわ。70〜80発は1日で攻撃してきたと思うわ。セヴ湖のようにいつ戦闘が始まるか怖くて気が気じゃなかったわ、、、。”恐怖に満ちた表情でそう語るが、瞳は疲れ切っていた。この取材を行った2021年11月20日の4日前11月16日この村にある北西の山の向こうセヴ湖で2020年のアルメニアとアゼルバイジャンの44日間戦争以来最大の戦闘が行われた。アルメニア国防省によるとアゼルバイジャンにより12人のアルメニア兵が捕虜になり、アゼルバイジャンとの国境付近の2つの戦闘陣地が失われたとされる。アルメニア議会外交委員会の委員長は15人のアルメニア兵が死亡したと述べている。アゼルバイジャン側の死者は不明だ。

この44日間戦争後の最大の両国の衝突時にこのアルメニアのクハァナツァク村近辺でもアゼルバイジャン軍がアルメニア軍を挑発するために70〜80回もの攻撃を行なっていたのだ。

”たくさんのアルメニアの兵士たちが村を守るためにやってきた。アゼルバイジャン軍から70〜80回もの攻撃を受けたにもかかわらず、アルメニア軍は民間人が住むこの村の近くで戦闘が始まるのを避けたかったから銃を撃ち返さなかった。”いつもアゼルバイジャンは戦争を望んでいるが我々が望むのは平和だけだ。”とこの日あった20人近いクハァナツァク村人のうち多くの人々がこう語っていた。

”クハァナツァク村にもアルメニアの軍事基地があるわ。前はたくさん基地をアゼルバイジャン軍に爆撃されたわ。でも、今は平和維持軍のロシア軍がいるからアゼルバイジャンは何もしなくなったわ。”そう彼女は語っていた。ナゴルノ=カラバフの平和維持軍のロシア軍、、、、。その平和維持軍のロシア軍がまさか四ヶ月後にウクライナに侵攻をして世界中を震撼させるとはこの時彼女も俺も世界も思っていなかっただろう。

”平和は神様がくれた一番大事なものよ。”世界の理不尽、戦争に故郷を奪われ、今もアゼルバイジャン軍の銃撃に怯えて暮らす彼女がそう語っていたのが今でも印象に残っている。

”たくさんの兵士が死んだの、、、戦争でこの子達を守ってくれた兵士がたくさん亡くなった、、、まだ18歳や19歳の若い子供なのに、、。”そう言って彼女は頬から静かに涙を流していた。今まで嘘泣きをしてお金や支援を求める難民を何人か見たことがある。大体話や嘘泣きのパターン、さらには通訳や今まで取材をした難民ネットワークの情報によりそう言った嘘泣きは見抜ける。支援を西欧や海外からもらうことに慣れきり、働く気を喪失し、支援で余裕がある難民の人に限ってオーバーな嘘泣きをしてお金を求めてきた。しかし、彼女瞳から静かにスッとこぼれ落ちる涙はそう言ったお金めあての難民の演技過剰の嘘泣きとは違った。お金の話などせずに、オーバーに喚いて泣く訳でもなく、静かに涙が瞳からスッと流れていた。その水滴は本当に悲しいとき、感情が堪えられなくなった時に流れる涙だ。彼女が泣くのはお金のためでなく、、子供達を守って亡くなった若者達の死を心から悲しんで涙を流していた。亡くなった若者達のために涙が流せるこの人は本当に優しい人なんだ、、、。俺はその涙に、彼女の優しさに胸を打たれた。そして、そんな優しい彼女に涙を流させ、故郷を奪った戦争を心から許せないと思った。

”大事なのは家族。家族が一緒にいること。物があるかどうかじゃないわ。だから、命を落とした若い兵士たちの家族のことを思うと、、、。”お母さんはそう言っていた。大事なのは家族、家族が一緒にいること、、。その家族が一緒にいることという彼女のセリフは家族がいない俺には良くも悪くも響くセリフだ。家族がいないからこそ、家族が一緒にいることに対する憧れはある、、、、。ナゴルノ=カラバフ難民達は故郷や生活多くのものを戦争に奪われた人たちだ。だけど、彼らは家族一丸となって世界の理不尽と戦い、一生懸命生きていた。そんな、家族とともに戦う彼らが正直いつも羨ましかった。しかし、実際に家族が一緒にいる彼女の気持ちは今の俺には一生理解できないだろう。だけど、、、彼女の家族や今まで俺が出会った難民の家族にはいつまでも一緒にいて欲しいな。心からそう思う。

Q”この村に移動してきてから一番大変なことは何ですか?”

”3回も村の中で引っ越さなければならなかったのはキツかったわ。”彼女は神妙な面持ちでそう語る。

”何で3回も村の中で引っ越したんですか?”

”オーナーに出て行けと追い出されたの、、、。”彼女はそれ以上語らなかったが、取材に協力してくれた青年のこの家族がこの村に住む難民で一番厳しい状況という取材前の言葉から、家賃が払えなくなったか、家賃の値上げをオーナーに催促され支払い能力がなく追い出されたか、、、いずれにせよ金銭的に厳しい状況だったんだなと俺は推測した。記事にできなかったお金目当ての嘘をつく難民と違い彼女はお金が払えなかったとも言わなかったし、金銭の要求ももちろんなかった。ただ、この家もいつ追い出されるかわからない状況みたいと通訳は後に語ってくれた。こんなに優しいお母さんが、、、。故郷に今も住んでいれば、オーナーなどに追い出されることもなく、自分たちの家で暮らせるというのに、、、。

”、、、アゼルバイジャン軍からの毎週行われる威嚇射撃はいかがですか?”話題を逸らしたかったのもあり、気になることを質問した。

”アゼルバイジャンの基地から聞こえる銃の音は問題ないわ。もう慣れたもの。”彼女は疲れ切った表情でそう語った。慣れるものなのか、、、。

Q”この村はアゼルバイジャン軍に囲まれていて危険で、学校の先生の仕事もないのでしたら他の街や村へ移動しようとは思わないのですか?”仕事もなく、娘の大学受験のための塾もない、敵軍に囲まれた危険な村、、、去って他の街や首都エレバンに行った方がいいのではないか?都会なら仕事も多いだろうし。そう浅はかな考えで俺は疑問に思い、つい口にしていた。この人は優しい人だから、疑いたくはないが、こんな危険で仕事もない村に住む理由、、、もしかしたら、最前線の村にいることで補助金がもらえたりして、それ目当てでいる可能性もなくはないと愚かな俺はこの優しい人を少し疑ってしまったのだ。

”動物がたくさんいるから移動できないわ。動物をたくさん飼える場所を探すのは大変なのよ、、、動物の餌になる草の生えている場所を探さないといけないし、、、。それに、たくさん動物を連れて移動するのも大変なのよ、、。”彼女はため息混じりでで答えた。冷静に考えれば、それはそうだろう、、。俺は愚かだ。畜を育てるには家畜が食べる牧草がある広い土地がいる。このような家畜を育てるための土地を縁もゆかりもない土地で探すのはかなり難しい、、、。そもそも家畜達を連れ離れた村へ移動すること事態も容易なことではない。当たり前のことだ。かといってアルメニアの村に住む人たちにとって生きる糧であり、財産でもある家畜を簡単に手放すことなどできるはずがない。彼らは生きる為に家畜を育てる必要があり、この戦争と隣り合わせのクハァナツァクの村から離れる事はできないのだ、、、。

”この村の新しい校長候補は、もし自分が校長になれば私はこの村で復職の先生ができると言っているわ。”そう彼女は少し明るい表情で語った。

”それはよかったですね。”

”彼が本当に次の校長になるかは分からないんだけど笑。”そう彼女は乾いた笑みで浮かべて答えた。

”何で校長になるかわからないんですか?”

”選挙の結果次第なのよ笑。だから、彼が校長になるかはわからないわ。”再び彼女は乾いた笑みを浮かべてそう答えた。なるほど、校長になる投票を有利にするために校長候補はそう言っているのか、、、ということは校長になるかもわからないし、仮に校長になっても票集めのための発言を有言実行してくれるかはわからないのか、、。

今は先生ではないけど、この村の学校のグループワークを無料で手伝っているわ。”

”何故無料で手伝っているんですか?”

”子供が好きだから何かしたいのよ。”彼女は優しい笑みを浮かべてそう答えた。優しい彼女らしい答えだ。俺の持論だが、心から子供が好きな人に悪い奴はいない。

”それに私は仕事する能力があるって証明したいのよ笑。”彼女は穏やかな笑みを浮かべてそう答えた。なるほど、現実的な理由もあるのか笑。、、、、仕事を得るために、今を生きるために努力をされているんだな、、、、。

Q”未来に何を望みますか?” 

”子供達の明るい未来よ。いい大学に行き、いい仕事を子供達が得ることを願うわ
幸せになって欲しい。それに、欲を言えば安心して住める家が欲しいわ。でも、大事なのは平和、子供の未来が何より一番大事よ。”穏やかな笑みを浮かべて彼女はそう語った。大事なのは平和と子供の未来。彼女の言葉はこの世界の真実だ。いや、俺たち人間が本当に善良な心を持ち合わせているなら、彼女の言葉は真実でなければならない。しかし、今現在世界の理不尽のせいでたくさんの子供達は明るい未来を奪われ、世界中に決して平和とは言えない国や地域がたくさんある。そして、未来に望むもので平和と子供達の未来と語れるこの人はやっぱり優しくて素晴らしい人だと思う。こういう人こそ幸せになるべきなのに、彼女の現実は、、、この世界は無常で残酷だ。

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Q”最後に何か世界に伝えたいことはありますか?”

今のアルメニアの状況は非常に悪い。世界は沈黙している。アゼルバイジャンがたくさんのアルメニア兵を殺しているのに。大国に来て欲しい。アゼルの横暴を止めて欲しい。平和のために。アゼルバイジャンに最前線で何もしないでと言って欲しい。止めて欲しい。”最前線に囲まれた村に住む彼女の叫びは切実だった。”最後に何か日本や海外の人たち、世界に伝えたい事はありますか?”という質問を毎回最後に今回のナゴルノ=カラバフの取材でインタビューした人たちに尋ねている。100人以上のナゴルノ=カラバフ難民の人々に取材してきた。他の村や街に住むナゴルノ=カラバフ難民の人々の多くはこの質問に平和の大切さや戦争の悲惨さを語ってくれた。しかし、この村の人々は”アメリカやヨーロッパなどの大国からアゼルバイジャンに攻撃を止めるように言って欲しい。””大国の力でどうにかアゼルバイジャンを止めて欲しい。”などと答えてくれた。その様子は鬼気迫るものがあった。それほどまでにこの村の人々はアゼルバイジャンに追い込まれているのだ。俺は、、、俺にアゼルバイジャンを止めるためにできることなど何もない、、、アメリカや西欧の大国はもちろん、日本にすらコネなどない、、、誰にも彼女の悲痛な叫びを届けることはできない、、、俺は無力だ、、でも、、、

”、、、、、俺は政府の人間でも、支援団体でもないし、有名な新聞の記者でもない、権力も持っていない、だから、大国にあなたの声を届けたりはできません、、、。シリア難民の人やアルメニアのハーフの友達がいて、難民の人たちに、苦しんでいる人たちに何かしたいと思って、声なき声を少しでも届けることなら俺にもできると思ってきました。、、でも、現実あなたのためにできることは何もない、、。話を聞いて、少し人に伝えるくらいです、、。でも、ベストを尽くします。一人でも多くの人に伝えられるように。”それが俺に言えるせめてもの言葉であり、無力な俺にできるせめてものことだった。難民の人のために何かしたいという思いももちろんあったが、、、でも、本当は俺はこの世界の真実が知りたかった。なぜこの世界は理不尽なのか?なぜ父親は自殺しなきゃならなかったのか?世界に絶望して死んだのだろうか?なぜ俺は生まれたのか?なぜ難民の人たちは理不尽に苦しまなきゃならないのか?なぜ、そんな残酷な現実に苦しめられているのに、彼らの生き様は美しいのか、、、彼らはなぜ空っぽの俺なんかに優しいのか、、このクソみたいな最低な世界に生まれて、なぜ人は生きるのか。なぜクソみたいな現実に彼らは立ち向かえるのか。父親よりもよっぽど辛い状況にいるのに、、、俺なんかよりよっぽど残酷な現実に苦しめられているのに、、なぜ残酷な現実に立ち向かえるんだ?俺は知りたかったんだ。このクソみたいな世界に自分なりに納得したかった。偉そうに取材などと言い、難民の人に期待させといて俺は、、、。そんな俺に彼女はある言葉をくれた。

”ありがとう個人で来てくれて本当に嬉しい。本当にありがとう。あなたがきてくれてとても嬉しかったわ。”そう言って彼女は涙を目に浮かべていた。

、、、、はあ?、、、アリガト、、ウ、、?何で、何でありがとうなんていうんだよ、、、。俺には何も力がないし、、、、俺は、、、ただ、、ただ、このクソみたいな世界の理不尽に納得がいかなかった。だから、納得したかっただけなのに、、、。でも、そんな彼女の言葉がなぜだかとても、本当に嬉しかったんだ。そして、彼女の声なき声を叫びを。いや、彼らの声なき声をたくさんの人の伝えようとそう思った。それが、彼女達にナゴルノ=カラバフの人たちと対話した俺の責務であり、空っぽの俺にありがとうやたくさんの素晴らしい言葉と物語をくれた難民の人たち、世界中の俺に優しくしてくれて、生きる意味をくれた人たちへのせめてもの恩返しだ。だから、俺はもっとたくさんの人にこれからも会いに行く、声なき声を聞いて、対話をする、そして、一人でも多くの人に伝える。それが、俺が最果ての村で彼女と交わした誓いだから。

”こちらこそ貴重な素晴らしいお話をありがとうございました。絶対に一人でも多くの人に話を聞いてもらえるように全力を尽くします。あなたのような人に会えて良かった。本当にありがとう!!”

その優しいお母さんの流した涙と彼女との誓い、その誓いだけは忘れてはならないのだ。そして、彼女が空っぽの俺に言ってくれたありがとうという言葉、その言葉も絶対に忘れない。忘れちゃいけないんだ。


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