江戸時代の華屋與兵衛も出していたサーモンの鮨
「高級な寿司屋にサーモンはない」「江戸前の伝統ではないから」という話は、まあ酒のつまみとしてだとは思うが、良くされるところである。ところが、実際の所、江戸時代にはサーモンは珍しくない鮨種だったようである。
江戸時代の鮨の浮世絵はいくつか残っているが(例えば広重のものなど)、江戸を代表する寿司屋が自ら描かせた、『四代目主人の縁者が、明治十年頃の実際に「與兵衛ずし」で売られていた鮨を20種類のメニューの中から15種類をピックアップして、日本画家の「川端玉章」に写生させたという「絵」』(sushitimes)、が資料性が高いだろう。
この絵の真ん中、こはだの左に赤い身の魚が鎮座しており、「ます」と書かれている。つまり、江戸の伝統的な鮨にサーモンは普通にあったわけである。
寄生虫リスクを無視して川魚の刺身を食べていた時代
現代では淡水魚は寄生虫リスクが極めて高いので生食は厳禁とされている。
当然天然のサケマス類は寄生虫があるものという前提となり、今のサーモンの刺身は戦後にノルウェーの養殖技術があったからこそとされる。
しかしながら、淡水魚の生食は厳禁というのが守られるようになったのは、おおよそ冷蔵輸送が発達して海水魚の刺身がどこでも手に入るようになってからではないかと思う。少なくとも昭和でも戦前の時期には、川魚でも一部の種は洗いという形で刺身として食べることは常識であるかのように扱われていた。江戸期にマスが鮨種として生食されていたのもこれと同じだろう。
今でもこれらの生食を出している店もあるようだが炎上しそうなので例示するのは避けておくが、鯉のあらいは農林水産省の「うちの郷土料理」に入っており、まあある意味で「公認」された格好になっている。
川魚の生食のエピソードを収集していると、ライギョなどは外来種であり、淡水魚中でも特に寄生虫がハイリスクであると認識されながら、それでも美味い刺身が食いたいという人たちによって消費されていたようである。
他にサケ・マスを生食する方法として、一度凍らせて寄生虫を殺す、アイヌ発祥のルイベという料理が知られており、これも農林水産省の「うちの郷土料理」に選ばれている。ただこれも完璧ではなく、特に家庭用の冷凍庫では寄生虫が殺しきれないらしく、野食ハンター茸本朗は「それでも殺しきれないリスクがあることを認識したうえで」より寄生虫への殺傷能力が高い業務用の低温冷凍庫を使用している。
江戸前鮨で定番だった煮イカ
江戸期と今で一番食べ方が変わっている食材はイカ、特にスルメイカなのではないかと思う。イカは鮮度落ちが激しいため、流通の悪い時代には鮮度が低い前提で煮イカにするのが普通だった。前掲の與兵衛ずしの絵でも左下に身に鮨飯を詰めた煮イカが描かれている。
私はさすがに冷蔵輸送が当たり前の時代しか知らないが、それでも家庭料理として煮イカというかイカ大根に親しんでいたくらいには、その時代の名残は今にも生きていると思う。
鮨を語らせたら(本人があらゆる鮨種を試しているという点で特に)日本でも屈指であろうぼうずこんにゃく氏も、煮イカについて下のように記している。
今の流通の良さがもたらした生イカの美味さを否定するものではないし、実際自分も生イカは好んで食べるが、江戸前の伝統みたいな蘊蓄を語りたいなら、是非とも煮イカにも親しんでほしいというのが私の個人的な感想である。
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