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【SeaEO図鑑】小川 凜(Rin Ogawa)

株式会社布施商店
1996年生まれ。三重県出身、高校卒業後、北海道大学文学部で社会学を専攻。休学中にカンボジアで体験した豚の屠殺がきっかけとなり、食領域へ興味を持つ。その後、水産の世界を知るべく、漁業協同組合でのインターンや魚食の普及活動に取り組む。卒業論文では社会学を切り口に北海道の昆布の流通について執筆。2022年4月、布施商店に新卒入社し、営業などを担当している。


学校の先生になりたいと思っていた


私は三重県桑名市という名古屋から1時間圏内のいわゆるベットタウンで生まれ、両親を含めおじさんやおばさんのほとんどが学校の教育に携わっているというTHE教育一家で育ちました。
両親が学校の先生だったため平日は基本的に家にいなかったのですが、隣に祖父母が住んでおり、それはそれは大事に育ててもらいました。自分がやりたいと思うことはなんでもやらせてくれたし、そこに対して「すごいね!あなたは天才や!」と言われ続けてきたからか、今のこの謎なほどの自信や自己肯定感に繋がっているのかもしれません。
小学校時代は「平日は学校、休日は両親の学校でお手伝い」、中高時代は「平日は学校、休日は部活」と大学に入学するまでは学校の中で生活をし、将来は社会の先生になりたいと思っていました。

幼稚園のお遊戯会の時(小川は一番左)

周りの評価を気にしすぎてしまったモラトリアム


高校時代に読んだ『銀の匙』にハマり、「牛を育ててみたい!でも社会の先生にもなりたい!」ということで一浪の末、母校の文学部に入学したのですが、そこからは激動でした。三重県から北海道へ進学する人は同期で30人いるかどうか。しかもほとんどが理系で文学部には誰もいないという環境。”良い”人間関係を築こうとするあまり、周囲の目線を気にし、自分がどうしたいのかよりも周りにどう合わせるかだけを考えていました。そうなると受け身の行動しかできず、能動的に動いている人と自分を比べて自信を失い、将来の夢であった「学校の先生」を一度白紙にしました。

そんなダサダサな状態で大学にいるのが嫌だったので、世の大学生もすなるバックパッカーというものをしてみむ ということで東南アジアへ数ヶ月間行くことに。言葉は全く通じなかったけれどもボディランゲージで意思疎通を図り、行き当たりばったりながらも色々な体験をすることによって今まで失っていた能動性や自信を取り戻しました。

その中でも特に「豚の屠殺」に衝撃を受け、帰国後は文学部ながら農学部の授業に入り浸り、フードシステムについて勉強をし始めました。

挑戦の中で出会った水産業


帰国をしたのち、周囲の評価を気にせずに自分もやろう ということで様々なことに挑戦しました。高校から始めた「空手」を大学でも行って全国大会を目指したり、ヴィーガン料理を大学のランチで販売したり。その中でも農学部の授業の中で出会った「食品ロス」とはどのようなものなのか?ということを知るために、実際にフィールドワークに出かけました。

最初は農業や畜産をメインで勉強していたのですが、さすが農学部。先行研究があり、自分がやらなくてもいいやと思いました。陸上のフィールドはもう誰かがやっている、じゃあ海はどうだろうか?と思い、とりあえず近くにある漁協に電話をしてみたのが水産業に出会った最初のきっかけでした。

そして豚の屠殺と同じようにまた衝撃を受けます。食品ロスがあるのかを調べるためにとりあえず漁業を体験してみよう ということで真冬の石狩湾でのニシン漁に1週間同行することになったのですが、これがキツいなんてものじゃなかった。朝2時に出航し、体感温度−20度の中ニシンをとり続けたのち、夕方3時ごろまで網外し&出荷を行うと夕方の5時近くになっていました。

そしてふと漁師さんが「この仕事は子どもには継がせられない。キツいし儲からないから大変だ。」とふと言葉をこぼしたのを聞き、水産業は今どうなっているんだろうか、、、と思いました。そして文学部ながらもたまたま専攻していた社会学という手法を切り口に、独学で水産業について学んでいきました。

石狩湾でのニシン漁(刺し網)の時の写真


SeaEOでやりたいこと


正直なことを言うと、最初は全くやりたいことがイメージできていませんでした。
というのも自分は起業して誰かに褒められようとしていたのですがそれがうまくいかず、その時には大手の就活が終了していたこともあり、たまたま知り合いの紹介もあってSeaEOを選んだからです。笑

しかし1年半、現場のプレーヤーとして働いてきて思うことは、水産業(特に天然漁業)はこれから資源管理に端を発する諸問題が複雑に絡み合い、どんどんと衰退していく可能性が非常に高いということ。そして漁師さんや加工会社や小売店は魚を取り扱うことができなくなり、廃業。そして消費者は魚を食べられなくなっていく。真綿で首を絞められていくように、水産業の状況は悪化していくかもしれない。

そんな残酷な未来を知ってしまったからには何か自分ができることをまずは現場で行っていきたいと思っています。

少し抽象的だったのでもう少し具体的に話すとSeaEOを通じて「魚種変更に伴う付加価値の創出」「学びが深まる互助の関係の設計」「水産に興味を持ってもらうための広報活動」を行っていき、日本の水産業に関わっていきます。

水産業の難しくも面白いところは「1人では何も出来ない」ということ。魚を獲る漁師さん、それに付加価値をつける加工会社さん、それにストーリーをつけて販売をする小売さん、それをフォローする第三者機関や地方自治体などなど、色々な方々の協力なしには成立しません。

刻一刻と状況が悪化している水産業において、みんなで力を合わせて石巻というフィールドから水産業を変えていけると私は信じていますし、そこで活動する仲間と日々移ろいゆく景色を一緒に味わい尽くすことができたら「まぁこれも良い人生だよね」と思える気がしている今日この頃です。

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