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許せなくていい。でも、許せることは尊い。

※『エルコスの祈り』のネタバレを含みます。


劇団四季のファミリーミュージカル『エルコスの祈り』を観た。

四季ではエルコスを女性が演じているけれど、私が初めて観たエルコスは男性だった。小学校低学年のときの学芸会で、5~6年生のお兄さんお姉さんたちが演じていた。
男性でも女性でも成り立つって、すごい!作品のキャラクターとして。
そして、今以上に性別への先入観が強かったはずなのに男の子が選ばれていたことに気づいて、「当時の先生方、先見の明ありすぎるな!」とびっくりしたりした。

思い返せば、十何年も前のあの時から『エルコスの祈り』に引き込まれていた。規則と懲罰でガチガチに固められたユートピア学校。そこの生徒たちが番号で呼ばれていることに幼いながらに衝撃を受けた。ユートピアが”理想郷”という意味であることは、当時知らなかったと思う。それでも、”ユートピア”が幸せとは正反対の場所にあることは、そのまっさらな心で理解していた。

未来都市という舞台設定も好きで、印象に残っていたのだと思う。エルコスが騙されてFZIを飲んでしまうところまでちゃんと覚えていた。テーマソング『語りかけよう』にも再会して、「私はこの曲を知っている、、、!」と感動した。それこそ、エルコスが言うように、忘れているだけでちゃんと心に残ってるんだなと思えて嬉しかった。

ただ、こんなにいろいろなことを覚えていたのに、結末は思い出せなかった。当時は参照するような経験もなく、理解できていなかったのだと思う。

だから、「許すことの美しさ」をテーマとして描いていることが大人になった今心に刺さった。私は初めてエルコスに出会った数年後、両親の離婚と養育拒否を経験することとなった。

許せなくても、許さなくてもいい。
そうした言葉があるなかで、「それでも許すことは尊いことなんだ」と言ってくれていることは、私にとってあったかい光だ。

私はあのとき、いらない存在とされたことが本当につらくて、しんどかった。

「許さなくていいし、無理に許そうとしなくていい」。
それはたしかで、でもそれだと、許す自分・許したい自分を肯定できないように感じるときがあった。

だから、「無理に許すことはない。でも、許せるのだとしたらそれは尊いし、すてきなことだ」とエルコスのおかげでフラットに考えられている今が、とても嬉しい。
フラットに、というか、グレーの存在を認められていることが。

劇中でエルコスが言っていたように、世の中は割り切れることばかりじゃない。
もっというなら、私は、割り切れないことの方がよっぽど多い、とも思う。

まだ完全に割り切れたわけではないけど、私は確実に前進している。
あのときのお兄さんお姉さん、そして、劇団四季の方々、すてきな作品をありがとう。私にとって大事な支えです。

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