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消した彼女のセーブデータ

「あなた、また脳みそ落っことしてる」


テーブルに置きっぱなしの白い小さなメモ帳を
そっと拾い上げて彼女に渡す

「ありがとう」

今日は ”そっと” メモ帳を受け取ってもらえた


窓から爽やな風が吹き込み、リビングを抜けていく

青が美しい晴れやかな天候だったから
家中の窓を開けて風が抜けるようにした

皐月の優しい風が吹く

あの日もこんな青空の美しい日だった




キーンと、一機の飛行機が
おしりから白い塗料を吹き出して
青の画用紙に不器用な線を
厚く塗り進めていた

「みんな、みて! ひこうきだよっ」

彼女が大声で叫び、園庭に飛び出せば
教室からはたちまち子どもたちが走り出してくる

「どこどこ! 」

みんなで大空を見上げる

4月に転入したばかりなのに
もうクラスのお友達と馴染んでいて
むしろみんなをまとめてくれるような
彼女はそんな存在なんですよ

緑の通園バッグと、長袖の園服を渡しながら
嬉しそうに先生は彼女の様子を伝えてくれた

ほっと安堵した


幼稚園の記憶と言えば
わたしはいつも泣いている

母と離れるときは
今生の別れかと思うくらいに
号泣し、しがみつき、歯を食いしばる

それはそれは毎日苦労をしたものだと
母は言っていた

うん、覚えている

その時は世界の全てが母だったし
母を失うことは
わたしの死とリンクすることだったから


彼女もそうなるのではないかと
心配はあったけれど

全くどこ吹く風って様子で
飛行機の形をした遊具の運転席に座り込み
みんなを乗せて出発している


無用な心配だった
このままゆっくり
平穏に時が過ぎ去ってくれるのならば

皐月の優しい風が吹く

彼女の未来には
一片の暗雲などなかった





ある日、彼女は消えてしまったの


翌年からは年賀状を送るのをやめた
毎年彼女の写真を載せていたけれど
もう彼女の写真はないの

彼女の話を親戚や友人らにすることも
めったになくなった

せめて彼らの記憶の中の彼女は
元気に笑っているように存在していてほしかったから

ごめんなさい
うまく伝えられなくて


そう、彼女はもういないの




「ねぇ」

めずらしく彼女から話しかけられた

「何? 」

作業を止め、振り向くと
彼女は右手首を90度外に曲げその付け根で
右こめかみを押さえていた


「んー……、」


ゆっくり彼女の答えを待つつもりだった
次第に苦しそうに顔がゆがんでいく


「大丈夫、また話したくなったときすぐに教えて」


出来る限りの笑顔を作って
彼女の目を優しく見つめた

納得できないような、少し悲しげな表情で

「……うん、そうする」

彼女はつぶやいた


「いつものメモ帳使っていいのよ」


わたしは ”アドバイス” をした
思いついたとき、すぐに記録する大切な白いメモ帳

彼女の脳の代わりをしている

記憶が出来ない彼女のための
もう一つの脳みそ

「なんかおかしい、みんなと同じように覚えられない」

彼女自身が気付いてから
いつのまにか自分で持ち歩くようになっていた


一度、洋服のポケットに入ったまま
洗濯をしてしまったことがあった

案の定、一枚一枚が水分を含み張り付いて
重く固まってしまったよう

ゆっくりと乾かしながら
一枚ずつ丁寧にはがしていく

見ないようにしていた中のページを
初めて覗き見る

「彼女の脳」


ふふっ
これなら落っことしても安心ね


大抵の人ならば読み進めるのを
躊躇してしまいたくなるほどの
”象形文字” がびっしり並んでいた

書いた彼女にしかわからない
彼女の記憶


これが「彼女の世界」なの


わたしの常識など通用しないし
押し付けてはいけないこと

願う事しかできないこの先の風


彼女に以前の記憶はない

あの日を境にして
以前の彼女とはまるで別人の彼女

ずっとずっと隣にいた
わたしにしかわからない彼女なの


無邪気に飛行機を運転していた
わたしの記憶の中の彼女は

まるで風が吹きさらうかのように

そのまま皐月の空へ
飛んで行ってしまった


お願いだから
わかってほしい



彼女はもうこの世にいないのよ



「消した彼女のセーブデータ」


~END


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