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百人一首の見方が変わった本【徒然読書67】
私の百人一首 (新潮文庫) https://amzn.asia/d/fwJiEfF
白洲正子さんの本です。
祖母の影響で小学生の頃から百人一首をやっていました。
大体百首今でも覚えています。
だけど、意味はわかっても詠んだ人がどういう人なのか、どんな時代に詠まれたのかは殆ど知りませんでした。
そんな時、古本屋で本書を見つけました。
くずし字で描かれているかるたの画像にも惹かれて購入。
読み始めると、ただ表面的な紹介ではなく、一首一首作者のエッセイみたいな、造詣の深さに感嘆しました。
こんなにも百人一首を知らなかったんだ、10年以上やっていたのに。
白洲さんは、ご自分の百人一首の世界というものがあって、その世界に誘ってくれるような感覚。
歌と書は不可分のものであり、それに絵が加わって、百人一首というひとつの世界をかたちづくっていた。
歌でも絵でもほんとうに鑑賞するということは、全ての先入観や偏見を忘れることであり、無心で付き合うことが大切だと思う。
このような歌論をお持ちながら、歴史的背景にも目を向けています。
万葉集から新古今和歌集への歌風の変遷に着目しており、各時代の歌人を周囲の人物や家系図も踏まえながら説明されています。
面白かったのは、作者が架空の偶像という性質を帯びている視点。
猿丸太夫(「奥山に」)や柿本人丸(「田子の浦に」)を民俗学視点から「ほかいびと」と称し、実在はしていたけれど特定の個人ではなくて何人かの集合体という立場を取られています。
これは全く知らなくて、でも芸能民は「境界」に立つ人という歴史的背景と歌人を組み合わせるのも興味深いと感じました。
※芸能民に関しては、網野善彦『日本の歴史をよみなおす(全)』に詳しいです。
長い年月と多くの人々の手を経て、創造されたひとつの偶像なのである。
その流れで、小野小町(「花のいろは」)では上記のように評していました。
小野氏の独特さにも触れていて、あまり書くと暴走しますから留めますけれど、もっと知りたいと思わされました。
もともと十八番は伊勢大輔の「いにしへの」でしたが、この本を読んでさらに好きになった歌があります。
それがこの2首。
やすらわで寝なましものを小夜ふけて かたぶくまでの月を見しかな
和田の原漕ぎいでてみれば久堅の 雲居にまがふ興津白波
赤染衛門は『栄花物語』の作者ではという仮説もあります。
目立ってはいないけれど、内助の功エピソードが残っており、しっとりした歌風だと実感しました。
もう1首は藤原忠通のことです。
やたら長いのは出家後の名前ですね。
和歌や書道に長けていて、九条兼実や慈円の父でもある重要人物です。
この2首は歌に惹かれたと言うよりは、歌人に惹かれました。
ここまで歌人やその歌人の他の歌も引用して評している本はなかなか無いので、さらに奥深く楽しみたい時にまた戻ろうと思います。
「能」の題材にされた歌も欠かさず触れていて、この歌が能になっているんだ!という新たな驚きも得られました。
ただ歌を覚えるだけでなく、その奥も知れたら札を取るのもさらに楽しくなるに違いないと読みながら思いました。