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『独り言』を吐き続ける

KINGです。おはこんばんちは。

本投稿は、藤原華|編集者 さんが開催されている、
noteコンテスト「なぜ、私は書くのか」】に、勝手に参加させていただきながら、
少し自分自身を見つめ直す機会にしようと思って書いています。



◆ 自分で思っている自分自身

◇ 読むのがキラい

以前の投稿でも少し触れた通り、俺は 文章を読むことがとても苦手だという自覚があります。
知識を得ることが無駄だとか、人の意見になど興味はないだとか、そういうのじゃない。単に、苦手。疲れる。とても、疲れるんです。

世の中には「速読」なんてテクニックがあるようだけど、俺にはとてもそんな芸当は無理で、字面をそのまんま、頭の中で声に出して読み上げる。口で音読するのと全く同じスピードでしか読み進められない。そうしないと、その文字達が、単語が、文章が、何を言っているのか理解できない。正しく言うと、その速度でしか理解が追い付かない。
映像作品であれば、目からは映像で、耳からは音声で、ダイレクトに「分かりやすく情報伝達してきてくれる」から、スッ…と自分の中に入ってくるけど、文章は、目だけで情報を仕入れ、しかも文字で表現されているから 自分でそれを解釈して、映像化する必要があるなら 脳内で記憶などを頼りに映像化してみたり、ビックリするような描写があったら 脳内でそれに適した雰囲気作りをしたり大音量化してみたり。
とにかく、やらなきゃならない作業が多い。なぜなら、そうしないと、理解ができないから。
だから、とても、疲れる。だから、苦手なんです。普通に、イヤなんです。

子供の頃に、となりのトトロの小説を 7ページまでしか読み進められず断念したってことも 以前に触れていますが、ちなみに となりのトトロ、その時点で既に 何回か映像作品として観てますからね?w
もう、ストーリーも、必要な映像化ネタも、声色も、脳内再生させるのに必要なネタは充分あるのに、です。
7ページ、そこで疲れ果てちまいました。
というか、その疲れに見合うだけの楽しさを 感じれなかった、というのが正解なのかも知れません。まぁ、逆に働いちゃったんでしょうね、既にストーリーを知ってる作品を選んでしまったことが。

とにかくそれ以来、小説というものを手に取ったことは一度もないし、
勉強のためにどうしても読まなきゃならない参考書や技術書などは、図解などを豊富に取り込んだ 文章の咀嚼の必要性の低いものを なるべく選んできていました。


◇ 書くのがキラい

【 字 】を、書くこと自体は、好きなんです。実は。あ、肉筆で の話ですけどね。
幼少期から、周りの子より「勉強しなくてもできる子」の類いだった俺は、普段から勉強する時間って さほど取ってこなかったんですよね。学校での授業を受けているので充分だったんです。
その代わり、字を書きました。たくさん。
国語辞典をペラペラ見てるのも それなりに好きだったんだけど、漢和辞典の方がもっと好きで。この漢字の形が好き!とか、成り立ちが面白い!とか、書き順 そうだったの!?とか。
気になる字を見つけると、その字をひたすらノートに書き続けたりしてました。その字を、もっと綺麗に、カッコ良く書けるようになりたい!という思いだけで、ノート見開き 2ページを、その字だけで埋め尽くしたりなんかしてましたね。
お陰で、今でも結構 字が綺麗な方で。「男の人で これだけ綺麗に字が書ける人って、珍しいよね」と、そこそこ言われてきてます。
まぁ、時代と共に 字を書く頻度も下がってしまい、書く字がだいぶ汚くなったなぁ と嘆いてはいるんですが。

でも、書くのはキラいなんですw これは、文章のことです。
小中学校では様々な 課題・問題・宿題・試験・役割・活動 が課されてきたと思うんですが、その中で 一番イヤだったのが、作文や読書感想文の類いでした。読書感想文なんて、読んで、更に書いて ですからね! もうコンボで俺を苦しめてくる。。
まえがきとあとがきを要約して イイ感じに書き写して提出してました。

書くことの 何が苦手なのか。
きっと、正解がないから だったのかなぁと、今は思っています。
頭が完全に理数系の人間なので、数学みたいな「解に辿り着く手法は色々あっても、正解はコレのみ!」っていう方が、好きなんですね。
文章を書くことは、果てしなく自由じゃないですか。どんな書き方であってもいい。何を題材にしてもいい。そこで何を表してもいい。
なんか、その曖昧な、目指すべきゴールが何も示されていない その作業が、とても苦手なんです。
ある意味、自信のなさの表れ なんでしょうね。自分が【読書をしない人】なせいで、世の中で一般的にどのような文章が「良し!」とされているのかを『知らない』と決めつけて。課題が見えているのに、それを解決する手段も分かっているのに、【それ】はキラいなんだ、苦手なんだ と、逃げ続けていることで、一向に自信など育まれないできてしまっている。
だから、今でも 書くことはキラいなまま。

そうして、負のスパイラルが延々と渦巻いて、文章アレルギーのようになってしまっています。



◆ これまでに過ごしてきた自分自身

◇ 役者だったことがある

大学に入学してすぐに「役者になりたい」という夢を持ち、上京して役者をやっていました。
途中で休止期間などもありましたが、25歳までの 約5年ほどではありつつも、その間は本気で取り組んでいました。

役者としての活動には、何よりも【自分の内面磨き】と【技術の習得】が必要です。【センス】とか【運】とか【ルックス】とかの要素だけで ポロッと世に出てしまったとしても、先述の努力がなければ 絶対に長くは続きません。そんなに甘くはない。(まぁ、どんな業界・職種であっても同じですけどね)
なので、書物を読むことほどではないにせよ そんなに得意ではない「映像作品に触れる」ことも、貪るように取り組んだり。
『コレは必要だ!』と感じた書物には、頑張ってチャレンジしてみたり(読むことを、ですww)。
日々の生活を過ごす中にも 様々な発見があることに気付いてからは、人間観察を趣味にしてみたり、自分自身の心の動きに注目するようになったり。

まぁ、習慣として今でも残っているのは、人間観察が趣味 というところぐらいですけどね。

とにかく、そんな感じで

  • どうすれば、この状況を自分のことのように理解できるか

  • どうすれば、この人物になれるか

  • どうすれば、この表現がうまく伝わるか

  • どうすれば、観ている人が共感できるような表現者であれるか

と、正解に近しい方法はあれども 確たる正解はない、そんな活動をしていたわけです。


◇ 執筆・投稿をしていたことがある

note を始める前のこと としてです。
ブログというと言い過ぎかも知れないですね。mixi で、です。なんかありましたよね?日記とか書ける機能。アレです。

実は、その mixi で綴っていた日記のタイトルが、『独り言』だったんです。
『独り言』と名付けるにあたっては たいして意味なんて考えてなく、なんとなく書き始めたから 大層な発信物というイメージも持ってなかったので、
独り言と称することで「発信者としての責任(?)」から逃れようという意図だけで名付けたような気がします。
そもそも mixi という SNS が色んな機能を持っていたし、ゲームプレイを主目的としていたので、日記と呼ぶには あまりにもお粗末な頻度でしか投稿していませんでした。月に 1~2本?ぐらい。

で、何を綴っていたかというと、毎回 1つのテーマを決めて、そのテーマについての持論というか、俺はこう考えている!っていうのを、ダラダラ書いてました。
当時は、今で言う いいね的な機能って、あったかな? 覚えてないけど。
でも mixi ユーザーからコメントをもらう機能があったのは覚えてる。好感触なコメントを数々いただいたりして、いい気になってましたね。
総数にして 10投稿あったか無かったか ぐらいだったと思いますが、ネタ切れで書かなくなって、次第に mixi 離れによりそれっきりです。

とはいえ、この投稿体験自体は、楽しかったのを覚えています。
文章を書くのが苦手なはずの俺が、時間こそ掛かってしまうけど 自分なりの 自分の言葉で、自分の価値観や考えを綴って、それに対して他の人からの反応があって。
ネタがなくて書けない というのは別軸の問題として、
「書く」ということへの苦手意識・ストレス というのは、そこまでじゃないのかな?とも感じ始めました。


◇ メーリングリスト好き

職場にもよると思いますが、
社内の部署毎に 所属員全員が宛先になるものだったり、
お客さん企業内での 会社を跨いだ関係者全員が宛先になるものだったり、
色んなシチュエーションでのメーリングリストって作られてると思います。(今は、そこまでメールが主体のコミュニケーションツールではなくなってるから、そうでもないのかな?)

当然、多くの方に届いてしまう宛先なわけで、送信の際には細心の注意を払う必要があるのは当然のこととして。
俺は この「メーリングリスト」が宛先(Cc・Bcc問わず)に入っているメールを送るのが、単に好きだったりしますww
何でなのか理由まではあまり考えてきてなかったんですが、
恐らく【不特定なわけではないけど、多くの人に対して 自分の書いたメール文章を届ける】ことになるから だと思っています。
要するに、発信することに対して、楽しさを覚えていた ってことなんでしょうね。



◆ 思っていた自分と実際の自分との違い

幼少期から今も変わらず自認している自分自身というのは、読むことも 書くことも、とにかく文章に触れることが キラい!苦手!というものです。

一方、実際に過ごしてきた自分自身は、表現者であったり 情報発信をしてみたり、発信者であること自体を楽しんできた自覚があります。

どうやら「文章で」という前書きが付くと身構えてしまうだけで、
自分の思いや作り上げたものなどを【発信すること】自体には 抵抗がない、というか むしろ好ましく思っている様子ですw
ならば、あえて『文章を書くのがキラい!』だなんて、言う必要が無いことなのではないか と、思えてきました。


◇ 『独り言』と称して、note で自己紹介

正確に言うと、
『生きてるだけで丸儲け! とある SE の 気ままな独り言』ですがw

note 投稿ヘッダー画像 【標準ヘッダー】 | エンジニア777

タイトルに込めたメッセージとしては、あくまでも『独り言』、なんです。
note を始めるにあたり、まず自分の中で決めたことが『俺のブログのメインタイトルには「独り言」を含めよう!』でした。(note 内の機能としては そんなもんありませんでしたがw)

そうして書き始めた 長編自己紹介【 波瀾万丈な半生を歩んで、人生折り返し地点でようやく立ち上がるまでのお話 】も、
自分の中での【標準ヘッダー】からの 派生ヘッダー画像であることを示すように、右上の方に【標準ヘッダー】を入れ込んでいました。

長編自己紹介投稿ヘッダー画像 | エンジニア777

もう当該投稿は削除してしまいましたので、再度書き起こすことはないですが、ザッとあらすじを書き出すと、

  • 普通にサボり癖の強めな少年時代を過ごす。工業高校から大学進学。

  • 唐突に『役者になる!』という夢を抱き、大学中退を経て上京する。

  • 役者として本格的に始動して早々、21歳で できちゃった結婚する。

  • 役者道を中断して IT系と言えなくもない仕事をしながら、役者仲間達との交流は保つ。

  • 娘の父となるも、妻を支えてあげられず育児ノイローゼにさせてしまい、娘が1歳にも満たない頃から別居となる。
    同居期間よりも長い別居期間を経て、24歳時に離婚する。(バツ1)

  • メディア露出がメインの芸能事務所に所属したりもしつつ、役者仲間達との舞台役者活動を中心に続けていたが、IT系を生業とすることへの気持ちの方が大きくなり、25歳時に役者から足を洗い IT系企業へ転職する。

  • 28歳時、突然 パニック障害発症。公共交通機関での移動が困難になる。
    以降、今も完治せず。

  • 29歳時、二度目の結婚をするが、結婚後に【解離性同一性障害】を抱えていることを明かされた妻を 自分1人では支えきれず、29歳のうちに離婚する。(バツ2)

  • パニック障害の症状が安定しないどころか悪化し、仕事にも悪影響が出るようになり、31歳時に解雇を経験。

  • 32歳時、元カノとよりを戻し、さほど間を置かず三度目の結婚。
    妻の息子(当時5歳)とも養子縁組し、程なく娘も産まれ、4人家族となる。

  • 33歳時、東日本大震災発生。
    当時は埼玉住まいだったが、放射線被曝の影響と思しき不調が 俺以外の家族それぞれに起こり、急ピッチでの避難を決意。色々と検討した結果、縁もゆかりもない広島へ、同年7月に家族4人で転居。

  • 広島での生活もなんとか順調に。しかし、パニック障害の症状は相変わらず波あり。

  • 新しい会社での評価も上々で、課長にも昇進。広島を以降の今生の地とするつもりで、新築の注文住宅を購入。当然、住宅ローンで。

  • 長男は、少々のトラブルを度々起こしながら成長していたが、次第にトラブルの内容が笑って見過ごせないレベルに。長男の心の内を理解しきってやれず、子育ての難しさに悩まされる日々を過ごす。
    最終的には児童相談所に相談することに。結果、長男が中学2年の時に 妻の実家のある埼玉県に長男だけ転居させることになる。

  • パニック障害の症状がかなり悪化。初めの会社を解雇された頃よりも酷い状況で、休職と復職を繰り返すようになる。
    当然、収入も安定せず、全体的に激減。

  • 理由は色々あるんだろうけど、とうとう妻に愛想を尽かされて、42歳時に離婚する。(バツ3)
    住んでいた新築の持ち家も手放さねばならず、多額のオーバーローンを抱えることにはなったが売却。

  • 結局、広島での会社もまともに仕事を続けることが出来なくなり、43歳時に またも解雇による退職。
    パニック障害をしっかり完治させない限り まともに仕事をしていけないと判断し、単身 地元の愛知に戻る。

  • 治療により少なくとも快方に向かわない限り 仕事に就いて収入を得ることができないため、やむなく生活保護をもらうことになる。
    生活保護の受給要件にも借金があってはならないとあるし、そもそもまともな収入がないのに オーバーローンで持ち家を売却した際に借り換えた多額のローン返済が出来るはずも無く、自己破産することに。

  • 45歳時、ようやく働けそうなぐらいになってきたので、個人事業主として開業し完全在宅ワークで仕事をし始めてみるが、やはりまだ体調は安定せず、さほど働けないまま案件も終了する。

  • とあるセミナーへの応募をキッカケに、師匠とも呼ぶべき名トレーナーと出会う。結局セミナー受講は適わなかったが、その方との関係は水面下で継続させていただき、トレーニングをつけていただく。

  • トレーニング期間も早々と終了し、正式にビジネスパートナーとして認めていただき、お互いの事業を相互に協力し合って拡大していくことが可能となる。(今ココ)

あらすじを箇条書きしただけなのに、長くなりましたww

と まぁ、このような半生を過ごしてきているんですが、
それを全13回に亘り執筆・投稿し、この note にて公開していました。
(諸般の事情により 現在は削除済み)

この投稿を note というプラットフォーム上で執筆・公開することにした、note を始めるキッカケとなったのは、ビジネスパートナーになった名トレーナーから note で書いてみたら?と言われたからでした。
それまで、自分の歩んできた半生を そこまで特別視してもおらず、ただ半生をツラツラと綴ったところで、読者の方なんて居るのかな?とも思いながら、それでも『何か 自分の中での変化が起きること』に期待して、書き始めたのです。

そして、その【書く場】の看板には『独り言』と名付けたかった。そこには、きっと想いがあったのだろうと、思いました。


◇ ブログタイトルを『独り言』としたい理由

mixi での日記投稿時に名付けていた『独り言』は、発信者としての責任逃れのような、どちらかと言うとネガティブな意識での名付けでした。
しかし、今もなお『独り言』と名付けたかった理由は、それとは違っていると感じたので、この機会に自分の想いを探ってみました。

◇◆◇◆◇

「独り言」という言葉の意味としては、

聞く相手がいないのにひとりでものを言うこと。また、その言葉。独語。
「ぶつぶつと-をつぶやく」

goo辞書

だそうです。

執筆を進めている最中は、当然 自分の中から言葉を紡ぎ出しているのであり、誰かとの会話の記録として書いているものでもないのだから、まぁ言葉の意味する通りとも言える。
でも、そんな理由ではない気がする。
それに、「聞く相手がいない」には当てはまらないし。公開する以上、読み手の皆さんが居るので。

◇◆◇◆◇

今の俺は、個人事業主である。
事業を持っている以上は、収益とは切り離せないのではないだろうか?

だからと言って、マネタイズに特化した機能を提供している note を発信の場に選んだ理由が「収益を伸ばす」ためか?と問われると、
…、んーーーー、、、無関係です!とまでは言い切れないけど(笑)、
少なくとも始めるまでは、note というシロモノがそういった面を持っていることすら知らなかったというのは事実。アメブロみたいな ただのブログサービスだと思ってました。

もちろん、note での投稿から 俺の HP への流入が伸びて、お仕事の獲得に繋がれば良いとは思ってます。確実に。

それはそうなんだけど、note で俺の投稿を読んでくれる皆さんのことを
【見込客】として見てるか?というと、なんかちょっと違うかも。。
一部、そうなってくれる方が居られるのであれば、それはそれとして大変ありがたいことだし、誠心誠意ご対応させていただきますがw

note での投稿を続けることを【事業のプロモーションの一環】とする考えがあるにはあります。『独り言』と銘打った各種投稿により、エンジニア777 という個人事業主に興味を持ってもらい、収益化を図っていきたいという思いがあるのも事実です。

興味を持ってもらうための投稿。
自分をさらけ出すことで、俺 個人をより知ってもらうための投稿。
自己紹介としての投稿。全ての投稿が、自己紹介。その名が『独り言』。

コレが、正直なところの正解のような気もします。

でも、それだけでもないような。。

◇◆◇◆◇

では、note でも相変わらず『独り言』と名付けたかった理由の、
足らないピースは何なのか?

自分には、特別に人より優れた知見を持っているという自覚はない。
人に新しさを提供できるような、斬新な文章を書けるとも思っていない。
故に、やはり『独り言』という隠れ蓑を被り、発信者としての自信のなさを覆い隠しているのかも知れない。

しかし、以前の (mixi での)『独り言』と明らかに異なるのは、
これまで苦手としてきた【文章を書くこと】と正面から向き合い、
自分を紐解いていくことを サボらず実施し続けることの決意を持って取り組んでいること。

過去の投稿でも触れている通り、note からは、これまで触れてきた SNS とは ちょっと異なる価値を感じています。
だからこそ、長編自己紹介を書き終えた今でも、続けています。

あえて、以前にも使っていた『独り言』を冠して 執筆を続けているのは、

  • 自分を変えるために始めるのだということ

  • 書くことが好きになりたいと思っているのだということ

  • 一度挫折した名を再度銘打つことで 戒めとすること

  • その決意を忘れないようにすること

そんな想いがあったのかも知れません。
…いや、ありました。今、そう決めましたw



◆ なぜ、私は書くのか

幼少期から変わらず抱き続けている苦手意識というのは、
もうある意味、生まれ持った性質であるとか、深刻なトラウマであるとか、
そういった類いの「簡単には変えられない特性」だと思います。
その内の 1つである【文章を書くこと】を、これからも note でやり続けようと思っている理由。

それは、自己紹介という形で発信し続けることで、これまでの自分も否定することなく、自分を変えたい!と思っているからだと、思います。
『独り言』と称しているのは、その覚悟なんだと、思っています。

波瀾万丈な半生を歩んで、人生折り返し地点でようやく立ち上がった俺は、
新しい自分に出会うために、生まれ変わるために、書き続けます。

『独り言』として。



なんか、うまく纏まらなかったやww
まぁ、良いか。これが、今の俺の 独り言だ。

それでは。

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