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文章の受け取り方には個人差があり、快・不快のポイントもそれぞれ違うけど

あなたはウェブ上で何かを批判している文章に出会ったとき、「攻め」と「受け」、どちらの姿勢で読むことが多いですか。


もちろん各々の文章の書かれ方によって、どの立場に感情移入するか、どこに自分の信条やアイデンティティとの関連を感じるか等、千差万別だとは思います。

だとしてもそこにはきっと個人的な傾向があるはず。


(このノートにおいて伝えたいのは、僕は刺激的なことや挑発的なことも書くスタイルでやっていますが、タイトル通り「もしかしたら自分も悪いのかも」と振り返る人をディスってないということでもあります)


文章の読み方には個人的な傾向がある

嫌悪する対象を攻撃する武器を探しているかのように批判的な文章を蒐集している人もいれば、反対に批判的な文章を読むと自分が攻撃されているかのような気持ちになりやすい人もいるようです。

あるいは、筆者に対してまず友好的な態度で読もうとする人もいれば、心の距離を置いて批評的な態度で読もうとする人もいるようです。

多かれ少なかれどの要素も誰もが持っているし、必要なのだと思います。


幅のある表現は受け取り方が分かれる

例えばゲームのルールなど、解釈が分かれると不都合がある場合は誰が読んでも同じ理解になる表現が求められます。

・グーは、チョキに勝ち、パーに敗れる。
・チョキは、パーに勝ち、グーに敗れる。
・パーは、グーに勝ち、チョキに敗れる。

(じゃんけんのルールより)


では「夏のあの部屋はすごく暑い」と聞いた時、あなたはどういう暑さを思い浮かべますか。

炎天下の車内のような暑さ(45℃~55℃)を想像する方もいれば、エアコンは働いているが物足りなくて暑い(26℃~28℃)という状況を想像する方もいるでしょう。

つまりこれは受け取り方が分かれる表現です。こういう時には各々の身体の特性や、過去の経験などが参照されているのだと思います。


もっと絞り込んで「夏のあの部屋は26℃だ」と言うことも出来ます。

しかし、どんな書き方をするかなんてもちろんそれぞれの自由です。可能性を狭めるとつまらなくなります。


やりたいのは表現なので

でも、僕はこの場所において基本的に「表現」をやりたいのであって、論文を書いたりそういう議論をしたいわけではないので、字義通りの正しさや常識的な正しさをそもそも追求していません。

むしろそういうものは粉々に破砕して水に流したいですね。


人間は間違ったり失敗するものだし、愚かであるという自由もあると思っているし、それらはとても大切なことだと考えています。

でないと正しさと効率の中で窒息しそうになる。


また、たいていの人は自分のいいところを他人に見せようとするんだと思うんですよ。とくに多くの目にさらされる場所では。

例えばツイッターとかフェイスブックとかなら、それこそ上澄みの10%くらいを見せようとする。

自身の能力や人格が疑われるような失敗とか、
卑怯な手段で他人を陥れた話とか、
無視しようとしても無視しきれない幼い欲望とか、
他人と衝突しそうな本音とか、
そういうことはわざわざ語らない。


でも僕は逆に、ドロドロに濁り淀み切った底の10%くらいを書きたくなってしまう。露悪的というか。

それは個人的な話なんだけど、単なる個人的な話じゃないつもりで。どこかで人間はみんなそんなもんだと思っている。

アイドルもうんちするしねw 人体の構造上食べたものをどこかに排出しないと生きていけない。それともお菓子にでもなって出てくるのかなw


「もしかしたら自分も悪いのかも」と振り返る人のことはディスってません

少し遠回りにもなったけどここにたどり着きたかった。

ここまでで読み方にも個人差があるということ、書き方にもいろいろあるということを提示しました。

もしかすると今までの投稿で「自分も悪いのかも」とか「責められている」と感じさせることもあったかもしれませんが、そんな風に自分を振り返る人のことはディスってません。

むしろ傷つけたくない相手を傷つけることに罪悪感がある。

各々の違うやり方とか考え方があることは大前提で、必ずしも一致していることが良いとも思っていないし(自分は同意を求められるのが少し苦手)、その上で自分のやりたいこととか思うことがあるという話で。


こういう系の話は以前から何度かしていて、誤解やすれ違いがあったら悲しいし、傷つかなくていい人を傷つけると罪悪感を覚えるので、定期的に書いています。今回は違う角度から掘り下げました。


// 読み方というテーマが関連していてスキが多かった → "知っている人"の小説を読むのが楽しい


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