苦手なりにもアピールしていくために、約8年間のネットでの活動と実績を振り返る(その動機+ブラウザゲーム制作・運営編)
ここ2年くらいは「ブロガー」という肩書きで活動してきました。
しかしもうブログだけが中心というわけではなくなってきたので、約8年間のネットでの活動を振り返って違うアピールの仕方を考えていきたいと思います。
こういうのはあんまり得意じゃないけど、必要なことなんだと思います。そしてまた過去を振り返る系の話だ。(そういう人間)
今回違うアピールの仕方を考えようと思った動機は、もはやブロガーが増えすぎていて、それだけでプラスアルファがないと「見飽きたよ」って思われてそうだと思ったから。
そして、アイデンティティの置き場として違和感を覚え始めていたということもある。
なお、この記事は、
・「ブラウザゲーム制作・運営編」
・「フリーゲーム制作編」
・「小説・詩と文学フリマ編」
と続けて書いていく予定です。いままで予定通りに書き進められた記憶はあんまりないけどw(そういう人間)
また、2年続けているブログ(現在進行形)について書いたnoteも、リンクを貼っておきます。
○約2年間続けてきた創作物全般の批評ブログの停滞と、それに伴う挫折感と喪失感をリアルに語る。
○【ブロガーでない方にこそ伝えたい】1か月半ブログから離れてみて気付いた、「検索エンジンからのアクセス」と「アフィリエイト」のありがたみの話
○ブログに1000時間書いてわかった! 「作品」に、誰でも気の利いたレビューが出来る5つのコツ!(対象は映画・漫画・小説・ゲームなど)
そして私の特徴として、色んな分野に手を出すけど、そのうちのどれか一本にしぼっても勝負できるほどの強さがないというものがあります。「三本の矢」のように束ねる方法をずっと模索中。
まず、アピールの必要性について
(行動を起こす前に
それをやる理由を考えるタイプの人間なので
ここから入ります)
こういうアピールって本質的じゃなくて煩雑にも感じられるのですが、アピールできるところはしていかないと誰にも気づいてもらえません。
「誰もがすでに知っている輝かしい実績」があるんだったら謙虚さもプラスになるかもしれないけど、そうでないならネット上のこういうところでアピールしないのはマイナスのほうが大きいと思っています。
むしろ「自分は何をやってきたのか、何を考えているのか、何を求めているのか」ということを、はっきりと言葉にして主張しないと誰にも伝わっていない。
それも一度や二度じゃなく、定期的に繰り返すことが必要。
世界は無名の一般人に関心がない。たとえ目にしても、ほとんどの人がすぐに忘れてしまう。いまやネット上にはそれだけ情報が多すぎる。
書き手は自分が書いた全ての文章を読んでいるけど、読み手はそうじゃない
当たり前だけど、書き手は自分が書いた全ての文章を読んでいる。それもかなり真面目に読んでいる。書くということは読むということでもある。
でも読む側はそうじゃない。興味があるタイトルや冒頭じゃなければそもそも開かないし、開いたとしても「なんか違う」と思ったらすぐに離脱する。
その記事で自分と初めて出会った人もたくさんいる。続けて見ていることを前提にして書くと話が伝わらないこともある。
まずは「文章を書く」とは違う角度から、活動を振り返る
というわけで本題へ。
過去を振り返ってみてまず思いついたのは、昔は主にゲーム制作をしていたということ。最近はほぼやってないけど。
これはブログに書いた長文プロフィールの中で軽めに触れるくらいで、今まであまりアピールしていませんでした。
しかし、ブラウザゲーム(CGIゲーム)とフリーゲームというゲーム性的にもプログラム的にも違う二つの分野で継続的に活動し、それなりの実績を残していたことを思い出しました。
あまり自分を他人にアピールしたいと思って生きていないので、ほとんど忘れていました。
中学~高校生の頃に、プログラムを組んで運営していたブラウザゲーム(CGIゲーム)の話・約3年間
まずはこっちから。中学~高校生くらいのころの話。3年くらいはこれをやっていました。一番最初のネットでの活動です。
むかし、CGIゲーム(ブラウザゲームみたいなもの)がありました。例えば今で言う「艦これ」等に似たものでした。こつこつ経験値をためてキャラクターを育成するというゲームが多かったです。
調べてみたところ、「CGIゲームとはどういうものか」ということについては、このブログの紹介記事がわかりやすかった。画像も多くてイメージがわきやすい。懐かしい気持ちになった。
ここで紹介されているゲームも遊んだことがある。当時流行っていたCGIゲームは一通りやってた。SOS2、FFA、エンドレスバトル、SOLDOUT、罪と罰など。
こういうCGIゲームは、ベースとなるプログラムが無料で配布されていました。
少しの知識があれば誰でもそれを利用して、自分のサイト上に設置することができます。そうすればブラウザから無料でプレイ可能な状態になります。
なので、たくさん遊んでいるうちに自分でも運営する側に回ってみたいと思いました。
でもベースそのままだとゲームとしてはやや薄味でしたし、誰でも同じものを設置できるので差別化できていません。
実際は「ベースになるプログラム+他人が配布している改造スクリプトを追加する」くらいで、だいたい同じゲームがたくさんのサイトに乱立しているという状況でした。
じゃあ独自の要素を追加すればいい?
……これを実現する難易度について思い出してみます。
設置するところまではそれほど難しくありません。「やや複雑なソフトウェアをパソコンにインストールする」よりちょっと難しい程度かな。プログラミングができなくても説明書通りにやれば出来ます。
しかし、そこに(他人のスクリプトを使うのではなく)独自の新たな要素を付け加えるには自分でプログラムのコードが書ける必要があります。
さらに、どういう要素を追加すれば面白くなるのかというゲームデザインを考える必要もでてきます。
これが出来れば可能性はめちゃくちゃ広がるし、かなりの強みになるけど、ただ設置するだけに比べて急激に難易度が上がるので、ここまでやっている人は当時かなり少なかったと記憶しています。
それでも私はすごくやってみたいという気持ちになったので、見よう見まねで勉強しながらプログラミングをやっていました。楽しかったです。
この時期のネット界隈や自分の周辺の雰囲気を描写したいけど、なんて言えばいいのかすぐに言葉にならない。
これについて書き出すと長くなりそうだから、別の機会に改めてやりたいなぁ。あの頃は良かった。人生の中で数少ない「Grateful Days」といえるかもしれない。
紆余曲折の末、気づいたら私はそのCGIゲームの界隈において10本の指には入らないけど、両足も含めて20本の指にはたぶん入るくらいのクリエイターになっていました。
まだスマホもない時代のことなので、インターネットのスケール感や日常生活への浸透度も違っていて、かなりのブルーオーシャン感がありました。
自分がすごいというより、そのCGIゲームに対して真剣に取り組んでいる人があまり多くないという状況でした。プレイヤーはそれなりに多いけど、作る側に回る人間が相対的に少なかったです。
……このゲームに関するデータはもはや失われてしまったので、具体的な数字でアピールすることはできませんけどね。
そのゲームのプレイヤー数のログとか、(自分で作ったスクリプトを公開することもやっていたのでそれの)ダウンロード数とかのログがあればよかったかな。
いや、今とはインターネットのスケール感が違うからあんまり参考にならないかも。どちらにせよ今はこうして物語ることしかできません。
さて「ブラウザゲーム制作・運営編」はここまで。もっとエモい具体的エピソードまで掘り下げられなかったのは心残りだけど、それは別の機会に。
そして「フリーゲーム制作編」「小説・詩と文学フリマ編」と続けて書いていく予定です。たぶん。
「ブログ編」っていうつもりで書いたわけじゃないけど、そういう風にも読めるnoteは、
「約2年間続けてきた創作物全般の批評ブログの停滞と、それに伴う挫折感と喪失感をリアルに語る。」
「ブログに1000時間書いてわかった! 「作品」に、誰でも気の利いたレビューが出来る5つのコツ!(対象は映画・漫画・小説・ゲームなど)」
「知名度の低いブロガーが作った有料noteの具体的な売り上げデータとその考察。良かった事・悪かった事を振り返る。宣伝の方法や導線づくりについても。」
あたりかな。
今回のように、中学~高校生くらいにやっていたことって時間が経つと意外と忘れているかもしれないけど、改めて振り返ってみるのも面白いと思います。
あと、今回はその話までたどり着けなかったけど、休止を挟むことがあっても「情熱を持って何かを続けていること」ってそれだけで特筆に値することだと思います。
今回の物語はここでおしまい。じゃあまたね。
// Twitter:@sdw_konoha
頂いたサポートは無駄遣いします。 修学旅行先で買って、以後ほこりをかぶっている木刀くらいのものに使いたい。でもその木刀を3年くらい経ってから夜の公園で素振りしてみたい。そしたらまた詩が生まれそうだ。 ツイッター → https://twitter.com/sdw_konoha