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自分を見失ってから、自作フリーゲームが「窓の杜」に掲載されるまで(1/2)

あるすごく病んでいた時期のことだった……と言ってもいつもそういうとこあるし、万全な状態というのがたぶん人生を通して一度もない。

ともかく体調は安定せず、自分の中にあるものを形にして表現することも難しかったし、作業時間もなかなか取れなかった。

それでも合間をぬって、フリーゲームを趣味で制作していた。RPGツクール2000(PC用ソフト、作ったものはネット等で自由に公開可能)を使って。


なぜ苦しい状況なのにわざわざそんなことをしていたかというと、創作は癒しだからだ。

自分にとって、それは「足場を作る」ということに等しい。足場が増えれば増えるほど、素早く安全に動ける範囲が広がる。そんなイメージだ。


[ RPGツクール -名作美術館- (@RPGtkool0000)より、
ツクール2000で作られた名作の画像を貼ります ]


(タイトルにある「窓の杜」は、株式会社インプレスが運営する有名な老舗サイトで、ここで紹介されることは一つの評価だと受け止めて良いと思います)


プレイステーション用ソフト、RPGツクール3から始まった

さて、自分のゲーム制作の元をたどれば、RPGツクール3までさかのぼる。

(サンプルゲームおもしろかったな。ほとんど忘れてしまったけど、脇役も大事みたいな話だったと記憶している)


RPGツクール3は容量的な制約が大きかったし、色んなところでロード時間が長かった。敵モンスターの設定をするときにも、画像のロードにやたら時間がかかっていたことを覚えている。

そのRPGツクール3では何もろくに完成させていなかったけど、武器とか魔法の設定を考えているだけで楽しかった。ゲームとは遊ぶだけのものではなく、自分で作ることもできるということが衝撃的だった。


自作ゲームを簡単にネットで公開できる、RPGツクール2000という革命

次に、RPGツクール4(PS用ソフト)を買ったが、とくに状況は変わらなかった。

変化があったのはその後だ。ようやくRPGツクール2000(PC用ソフト)の話になる。

RPGツクール2000は家庭用ゲーム機用ではなくPC用ソフトであり、作ったゲームはネットでかんたんに公開することができる。

自分ではこのときもまだ、まともにゲームを完成させられていなかったんだけど、ネットからダウンロードして他の人が作ったゲームを遊ぶことができるという体験がとても革命的だった。

かなり多数のゲームを遊んだ。それらは商業的なゲームとは全く違うものだった。



断絶、クリエイティブなものの死

しかし、(毎度の話だけど)大学受験を意識し始めた頃から断絶が生じ、あらゆるクリエイティブな試みは死に絶えた。それは言うまでもなく受験勉強に時間と心を支配されていたからだ。

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余裕がないところには咲けない花のほうがずっと多い。しかし環境を選ばずに生育できる雑草にしか居場所はなく、また雑草だけが称賛されている。

あらゆる植物が雑草になろうと試みていた。それはとても「個性的なこと」であるらしい。その枠からはみ出すことは「個性をはき違えている」らしい。

その様子を見て「みんな同じに見える」と言ったら、他人を見下しているということになり、反社会的で未熟な存在(いわゆる中二病)であるかのように扱われる。


高校の後、大学へ行ったら行ったで流行や風潮に流され(強烈な圧力があった)、自身が本当にやるべきことを見失っていた。いつしかゲーム制作に限らないあらゆるクリエイティブな関心自体を忘れてしまった。

この時期の結果としては傷つけあうだけで実りは少なく、ひたすら消耗し損なわれ続け、それに耐えるだけの日々だった。


被害者であったはずの自分も、やがて加害者性を帯び始めていった。そんな自分ほど醜い存在はないと思ったが、やめることは出来なかった。

それはたまりにたまった毒素を排出しようとする、嘔吐のような反射的な行動だった。自覚していても制御することが出来なかった。


さらに糸はもつれ、何も積み重ならず、罪だけが重なっていった。

どこにも出口は見えなかった。ついには破綻した。


(前に書いた人生の二つの後悔。その一つは、友人の死の前後の自分の振る舞い。の後半は、この時期の話)


こういう違和感を覚えている過去の自分(のような人)に、「出口」を見つけるきっかけとなるような発信ができればいいなとずっと思っている。

強くならなくていい。「弱さ」は単なる弱さじゃない。戦う場所を選ぶべきだ。

不利な戦場からは素早く撤退すべきだ。被害が致命的に拡大する前に。


流刑地での再会

こうしてたどり着いた流刑地のような精神的な地点で、自分が本当に向き合うべきことと再会した。

ここには何もない? いや逆だ。今まで豊かな資源があると思っていた場所にこそ何もなかった。

期待だけがぶら下げられ、実りを得ることはほとんどなかった。翻弄されているばかりだった。砂漠でオアシスの蜃気楼を見て迷っているような状態だった。


ここにはもう何もないと思っていた出発地点に、「出口」が公然と隠されていた。

しかしそのことには、「最終的な局面」を迎えた後でしか気づけない仕組みなのかもしれない。


……彼は皮肉めいた、それでもどこか憎めないような笑みを浮かべていた。


傍から見ればみじめでかっこ悪い奴、でもようやく灰色の曇り空に一筋の光が差したような気がした。

一度壊さなければ再生することは出来なかったのだと思う。


……再び、RPGツクール2000をパソコンにインストールし、起動した。


(後編へ続く)


(このnoteは前回の苦手なりにもアピールしていくために、約8年間のネットでの活動と実績を振り返る(その動機+ブラウザゲーム制作・運営編)からの流れで書かれています)


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前編のあとがき:似ている話が何度も出てくる理由

自分が書いてきたnoteには、似ている話が何度も違った表現で出てきます。例えば今回だと、高校や大学時代を概観するイメージの話は過去にもしてきています。それでも書きたくなります。

それは、自分のnoteを毎回真面目に読んでくれている人ばかりではないだろうし、人は忘れる生き物だし、新たに出会った人もいるから、という戦略的な(実際的な)意図も確かにあります。

でもそれよりはむしろ、その出来事にベスト・フィットする表現(言葉選びやメタファー)を探しているということなんだと思います。

村上春樹の長編小説に頻出のモチーフがある理由も、こういうことなんじゃないかと推測しています。


その部分を繰り返さなければならないほど傷ついていて、出来事をまだまだ消化しきれていない。言葉に出来ていない部分が大きいと心が感じているのだと思います。

「~と思います」という言い方になるのは、「ここにこういう文章を入れよう」と頭で考えて書いているのではなく、なぜか気づいたらいつもそういう話をパソコンでタイピングしているからです。


そして長編でもないのに「あとがき」を毎度のように書きたがるのは、「書くこと」よりも「読むこと」のほうが得意なので、公開する前に推敲すると思うことがいつもあるからです。

そのうち、本編よりもあとがきのほうが重要度が高い人になるかもしれない。

あるいは、「あとがきのあとがき」とか書き始めそうな怖さがある。


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