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これからの時代における教師のあり方、それは「ジェネレーター」。

1.LCLで「ジェネレーター」という「あり方」に出遇った。


※教師に限らず、チームリーダー、新しいプロジェクトに取り組んでいる方、これからの時代における自身のあり方を模索してる方、色々な方に読んでもらえれば幸いです☺︎

今年度は、待ちに待ったLCL「Learning Creator's Lab」に6期生として参加。多様な経歴をもつ教育に熱い方々と共に過ごし、早5ヶ月が経とうとしている。ちょうどLCL 夏合宿(これがまた最高だった)が終わり、実際にプロジェクトチームを組み、探究学習を実践するフェーズに突入した。リンク先HPに記載の通り「探究学習を実践するものは自らが探究者である」というコンセプトのもと、単に教育哲学や探究学習の各種理論・手法を学ぶだけでなく、リアルなプロジェクトの実践を通して「そもそも探究学習とは」や「自分なりの探究観とは」何なのかについてじっくり考える良い機会をもつことができている。自分の教員としてのあり方について迷子になっている自分にとって、LCLに入ったのは、必然であり希望の光となりそうな予感。

そんな迷子状態に一筋の光を灯してくれたのは、今回の合宿だった。東京都の檜原村で実施したこの合宿プログラムの一つは、手付かずの山に入り、江戸時代から続く原始的な方法で「道づくり」をおこうことだった。

好奇心や面白がりが伝染し合い、気がついたらみんなが夢中になって、つら楽しんでいた。

ちなみに、次の日からアスファルトで整備された道に感謝するようになった笑。協力・連帯して上手く機能していた分業社会が、効率化を追求するあまり、仕事が細分化・専門化され、いつしか分断社会になってしまったのだと改めて感じた。この機会が無ければ、道なんて一生作らなかっただろう。近所の道路整備の騒音とか、工事による車線規制や渋滞なんかにも文句を言わず、有り難みを感じられる。コラボレーションしてみんなで自分たちのモノやコト、場所を「つくる」って素晴らしい。他者への批判・不寛容から共感・寛容への一歩につながる。

話は戻り、この道づくりを初め、終始、一番に好奇心を発揮し、何事も面白がって場を盛り上げていた人がいる。それはなんと、主催者の一人であり、私たちの先生として来ていただいている探究学習の第一人者、全国の高校の探究授業に飛び入り御行している、市川 力先生(さん)だった。「ジェネレーターという概念・あり方を提唱したのは、この人に違いない!」「まさにジェネレーターを体現しているじゃないか」と納得し、電撃が走った。ジェネレーターとは一体何なのか。講座から学んだ内容と下記2冊から引用しつつ、大切な知識・概念も整理して、自分なりに説明させていただこうと思う。

合宿の集合写真(中心大きな木の前にいらっしゃるのが市川 力さん)
参考文献として扱う最高の2冊 「ジェネレーター」について詳しく知りたい人は必読。 


2.ティーチャー、ファシリテーター、そして「ジェネレーター」へ

ジェネレーターとは、わかりやすくいうと一緒に参加して盛り上がりをつくる人だ。ファシリテーター的な役割としてみんなを巻き込んで盛り上げてゆくが、自分も参加者であるところが最大の特徴と言ってよいだろう。

B『ジェネレーター』学びと活動の生成 市川 力 井庭 崇 共著 学事出版

ジェネレーターは、プロジェクトでの創造的な活動に、自ら参加者として入って一緒につくりながら、自分の創造性も他者の創造性も刺激しつつ、たくみにコミュニケーションを誘発し、アイデアを生成するという教師像です。

A『クリエイティブ・ラーニング』創造社会の学びと教育 井庭 崇 編著 慶應義塾大学出版会

ジェネレーター(生成する人)の説明を読んでイメージが湧いただろうか。ティーチャーのように場の外側から内側に向けて知識を伝達するのではなく、ファシリテーターのように場の外側にいて話し合いの支援と交通整理をするのでもない。ジェネレーターは、外側からアドバイスや指導をするのではなく、場の内側に入って、心の底から面白がり、一緒になってつくりあげ、アイデアや発見を生成し、連鎖させる人だ。先で話した合宿中の市川力さんは、まさにジェネレーターとして、好奇心を素直に表現させまくり、面白がりを伝染させまくっていた。時にティーチャーとして知識をくれたり、議論を収束させるファシリテーターとして振る舞っているが、根っこにいつも「ジェネレーター」がいるのを私は感じ取った。3つのモードを上手く使い分けることが重要なのだと、そのとき気がついた。

また、力さんは著書のなかでこうも述べている。

ジェネレーターって実は、誰もが持っている探究心を素直に表現している人であり、探究人のふるまいのことなんですよね。だから、ジェネレートという言葉がしっくりきます。ジェネレートとは「発生する」という意味。自分の探究心が満ちあふれ、それが他の人に伝染して他者の探究心まで発生させてしまう。その結果、探究する場が発生する。自らの探究心で周囲に影響を与え、探究する場を生成する人だからジェネレーターなんです。

 (A,p530)

「自分の探究心が満ちあふれ、それが他の人に伝染して他者の探究心まで発生させてしまう」

「自らの探究心で周囲に影響を与え、探究する場を生成する人だからジェネレーター」

まさに好奇心や探究心がスタートとなり、それが伝染し、共振しあう。そして、アイデアや発見の生成と連鎖が意図せず繰り返し起こる創造の場が生まれる。この創造的な探究の場を生成するのが、ジェネレーターだ。

ちなみに、もともとは「生成的な参加者」(Generative Participant)という名称だったが、少し長いのでジェネレーターと呼ぶようになったそう。

好奇心や探究心に自身がジェネレートされ、参加者もジェネられて共振し、探究の場が生成される
互いの境界線が溶け、場が一体となり、創造のスパイラルが生成される
ジェネレーターにより創造的コラボレーションがおこる(A,p529)


3.これからの時代は「創造社会」である。

自分たちで「もの」や「仕組み」をつくることができる社会

創造社会とは、それぞれの人が創造性を発揮し、モノや仕組みを自分たち自身でつくる社会である。これから私たちが生きる創造社会では、3Dプリンターを駆使して、自分のものを自宅でつくれるようになる。ものづくりの民主化により、状況に応じて、必要な人が必要な分だけつくる。もう工場で大量生産する必要はない。環境問題やSDGsも相まって、この流れは、あらゆる製造分野において加速するだろう。創造社会の到来に関して「モノ」づくりでは、まだ実感しにくいが、組織での働き方、地域づくり等の「あり方・仕組み」づくりならば実感できるのではないかと思う。正解の見えないコロナ禍以降、会社での働き方や家族での過ごし方、どのように暮らし生きていくかを自分たち自身で決めていかなければならなくなった。大量に多様化した社会では、細かいニーズに対応することはできない。国やどこかの偉い人が解決してくれることは期待できない。良くも悪くも自分でつくることができる社会であり、自分たちでつくっていかなければサバイバルできない社会に今後なっていくだろう。

3つのCの社会変化(A,p7)

2つの著書の中では、ここ100年と今後の社会の変化について、3つのCで象徴される変化として捉えている。それぞれ上図にあるよう
Consumption[消費]→ Communication[情報] →Creation[創造] 社会といった流れだ。戦後の「消費社会」では、どれだけモノやサービスを享受するかが豊かさの象徴であった。「いつかはクラウン」といった言葉があったように、車やテレビ、高級ブランド品を持つことが中心的な関心であった。その後、1990年代以降のインターネット・SNSの普及による「情報社会」では、人々の関心の中心は、コミュニケーションとその基盤である人間関係に移った。どれだけ良い人間関係や良質なコミュニケーションが取れるかが豊かさの象徴となった。消費から体験にお金を払うようになった。高級ブランド品を買うにも、インスタグラムにアップすることで、単なる消費以上の価値をもつようになった。
誰もが手のひらにおさまるPC(スマホ)をもつようになって、10年以上経った最近ではどうだろうか。スマホの使い方は、以前まではコミュニケーション中心であったが、今ではTikTokやInstagram,YouTubeに、自分がつくったものをアップすることが普通になった。誰もがメディアになれる。一億総クリエイター時代だ。どれだけ生み出しているか、創っているかが生活や人生の豊かさの象徴となろうとしている。コミュニケーション中心の「情報社会」から、今後はより「創造」「つくる」ことが人々の関心の中心となり、豊かさの象徴となる「創造社会」へと移行していく。

テーマにした「これからの時代」とは、先ほど説明した「創造社会」のことである。私たちは、先の読みきれない時代、答えのない時代を生きていかなければならない。いわゆるVUCA(ブーカ)時代だ。これからの時代は、一人ひとりが創造性を発揮し、問題を発見・解決する社会となる。状況に応じたより良い「個別暫定解」を出す必要があり、その求め方にこそ創造性が発揮される。一人ひとりがその都度、オリジナルの答えを創っていくことが必須となる社会になるということだ。繰り返しになるが「つくる」とは、ユーチューバーとして動画をつくったり、3Dプリンターを使って「衣・食・住」をつくったりすることに限らない。自分たちの生き方すらも自分たちの手で創り上げていく必要がでてきた。誰も答えをもってきてはくれないし、スーパーマンがきて、解決してくれる訳でもない。自分たちの住んでいる「まちづくり(政治・財政・電力など)」、もっと言えば「地球づくり(SDGsへの対応)」も同様なのだ。


4.「ジェネレーター」は、「創造社会」における重要な担い手だ。

時代と教師のあり方の変化(A,p160)

社会変化の3Cに沿って、教師のあり方を見ていく。
消費社会の時代においては、命令に従い、お手本通りに、忠実に大量生産をする必要がある。そのためには、マニュアルに載っている知識を確実に暗記することが求められるため、ティーチャー型の教師像が求められる。「命令」「忠実」といったワードは、教える・教わるという非対称の関係と馴染みがいい。

情報社会の時代になると、「教わることによる学び」から、「コミュニケーションによる学び」へと変化していく。他の考えをもつ他者と議論や話し合い、交流が増加し、コミュニケーションの交通整理(円滑化・収束)をする必要がでてきた。そのため、場を客観的にみるファシリテーター型の教師像が求められるようになった。

新型コロナを皮切りに、創造社会の時代が始まっている。「つくることによる学び」が学びのスタイルの中核となる。真に創造的な学びを実現するには探究・プロジェクト型学習などにおいて、場の外から指示をしたり、コミュニケーションを促したりするだけでは「言っているだけで、自分はやらないんだよな」「自分ゴトじゃないからそんなこと言えるんだ」と思われてしまうだろう。場の中に自ら入り込み、自ら面白がり、好奇心や探究心を伝染させ、創造のスパイラルを起こすジェネレーター型の教師像が求められる。

ジェネレーターは、プロジェクトでの創造的な活動に、自ら参加者として入って一緒につくりながら、自分の創造性も他者の創造性も刺激しつつ、たくみにコミュニケーションを誘発し、アイデアを生成するといく教師像です。

(A,p528)
互いの境界線が溶け場が一体となり、創造のスパイラルが生成される
ジェネレーターにより創造的コラボレーションがおこる(A,p529)

改めて上図を見ていただきたい。皆さんの周りにこんな感じのジェネレーターはいますか?過去に出会ったことはありますか?冒頭紹介した市川力さんはもちろん、落合陽一さん、サロンを運営しているビジネスマンや芸能人、
魅力的な監督や教授、上司、友人、部活仲間、etc…ジェネレーターとして意識・認識していないだけで、思い返してみるとあなたのすぐ近くにいるかもしれない。なんでも面白がって探究の場を生成(ジェネレート)するような生き方・あり方をしている人が、創造社会における重要な担い手となる。

5.ジェネレーターのマインドセット【5つの禺=5G】

LCL 第2回「探究をジェネレートする」 市川さんのスライド資料(2022.4.17)

ジェネレーターは「5つの禺( 遇 偶 隅 愚 寓 )=5G」を追いかける。この考えが僕は大好き。これを読んだ瞬間、自分の探究心がめっちゃジェネレートされた。未知の状況で一歩踏み出せる人、創造性を発揮できる人はきっと、この5Gを面白いと感じているはず。この5Gが板につく、癖になるとジェネレーターらしさが溢れてくるのかもしれない。LCL合宿で見た市川さんの姿は、まさに5Gを体現していた。常に「禺」を「ぐうーっど」引き寄せていて、とっても「Goood」だ笑

5つの禺とは、何なのか。どういうことなのか。順に説明していく。
まず、「千載一遇」ではなく、「潜在一遇であり、もっと言えば「潜在毎遇」くらいのスタンスでいることだ。1000回に一回ではなく、潜在的にいつも面白いことに出「遇」っている。面白いことは、こっそり自分の目の前にひそんでいるのだ。これが1つ目の「遇」

次に、毎回、遭「遇」を面白がっていると、「偶」発的にそれらがつながったり、「偶」然、何かを思いついたりする。日頃から「遭」遇したものを逃さずキャッチアップするからこそ、「偶」然をつかむチャンスが生まれる。
これが2つ目の「偶」。
そして、偶然見つかった発見は、まだ全体像がおぼろげで、全体におけるほんの一部でしかないかもしれない。しかし、そのわずかな片「隅」を追究し始める。ちょっとした「隅」っこさえも照らしたくなる。これが3つ目の「隅」。
一方で、スルーしてしまいそうな偶然の発見や解像度の低い片隅にこだわることは、一見効率が悪いようにも感じる。しかし、遠回りになっても良い、もはや、遠回りかどうかすら気にせず「愚」直にやり続ける。効率性を考えたら愚かだと思っても、後先考えずにとりあえずやってみる。これが4つ目の「愚」。最後は、今までの4つの「禺」を追い求めてきた結果、ストーリーが描かれる。物語が生まれる。創造的なモノ・コト、イノベーションの始まりとなる「寓」話が生まれるのだ。

「遇」ったものを逃さない姿勢でいると、ある時、ビビッと「偶」発的に引っかかるものが出てくる。その取るに足らない片「隅」さえも「愚」直に探究し続ける。そうすると、意図せず、点と点がつながり面白い「寓」話(ストーリー・たとえ話)が生まれる。

これは、まさにスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学卒業式で話した内容「コネクティング ザ ドッツ」と同じだ。最初から線を描くために点をつくるのではない。「なんとなく」「ひたすら」「とりあえず」点をつくり続けていると、ある日、線が生成しちゃう。そんなん感じだろう。

ちなみに、「5G」は、スタンフォード大学の心理学者、クランボルツ教授によって提唱された「計画的偶発性理論」と重なる。この理論によると、個人のキャリアの8割は偶然から作られる。しかし、何もせずにそれをただ待っているのでは、キャリアは拓かれない。計画的にチャンスを掴み取るには(偶発に出遇うには)5つの行動特性がKeyだと考えられている。

  1. 好奇心(Curiosity):新しいことに興味を持ち続ける

  2. 持続性(Persistence):失敗してもあきらめずに努力する

  3. 楽観性(Optimism):何事もポジティブに考える

  4. 柔軟性(Flexibility):こだわりすぎずに柔軟な姿勢をとる

  5. 冒険心(Risk Taking):結果がわからなくても挑戦する

これらは「5つの禺」のマインドセットと重なる部分が多い。不確実な状況でも一歩踏み出したり、偉大なジョブズのように創造性を発揮したりするには、「計画的偶発性理論」の5つの行動特性や「5G=5つの禺」の流れにそって生きることが重要なんだと思う。そういう生き方・あり方が身につけば、これからの時代「創造社会」を楽しんで生きられるかも。

6.「ジェネレーター」の「あり方」ってどんな感じ?

僕が「ジェネレーター」という新しい教師像(社会人像)に惹かれるのは、「技術」ではなく「あり方」だからかもしれない。ティーチャーのわかりやすく教える「技術」やファシリテーターのコミュニケーションを活性化する「技術」は、確かに必要。しかし、創造社会でプロジェクトを推進していくには、ジェネレーターとしての「生き方」「あり方」を示していくことが鍵となる。「生き方」というと少々大袈裟に聞こえるかもしれない。物事・他者・世界に対する姿勢習慣といった感じだろうか。

具体的にその「あり方」を見ていく。子どもとプロジェクトを推進する際、いや、職場でチームとしてプロジェクトをする場合にも当てはまるはず。新規開発などの創造的なプロジェクトでは、どこに向かうかあらかじめ読めない霧の中を進まなければならない。メンバーと一緒に見えないなりゆきを「つかむ(GRASP)」、プロジェクトの行方を必死に「つかもう(グラスプしよう)」とする姿を見せるのがジェネレーターだ。このGRASPの頭文字に沿って、ジェネレーターのあり方や役割について見ていく。

『G』、自分自身の好奇心に基づいて、進んだら面白そうな方向を「Guide(ガイド)」する。あくまでも道しるべを表明しただけで、みんながその方向に進むかはわからない。けれども、躊躇なく自分がワクワクした、ジェネレートされた方向へ「ガイド」することで、メンバーが「こうかも、それは違いそう」など自発的に考え出す。ジェネレーターは、自分のセンスを入れて取り組むが、あくまで、多様な考えのなかの1つのアイデアでしかないとわきまえている。ガイドするだけで決して一色に染めようとはしない。

『R』、「Guide(ガイド)」したら、今度は「Release(リリース)」する。ガイドして介入したら、解き放ち、待つ。待つは「間つ」であり、自分が「ガイド」したことへの反応がすぐに起きなくても自然なこと。暗中模索の中、自分が勇気を持ってアイデアを出したり、「ガイド」したりしても、カオスな状態がしばらく続くかもしれない。多様性の高いチームの初期段階ならば、なおさらだ。しかし、寛容な気持ちで待つことで新しい道が開けるはずだ。同じジェネという接頭辞である「ジェネロシティ(generosity)」「寛容さ」も持ち合わせているのがジェネレーターなのかもしれない。僕が使わせていただいているコラボレーションパターン(カード)にもこんなコツが紹介されている。「意味のある混沌」なのだから、恐れず「リリース」して待つ。

コラボレーションパターン(カード)より


『A』
、解き放つ「リリース」とセットで「Accept(アクセプト)」受け止める拾うことが大切。混沌から抜け出す、混沌が創造的な発酵へとシフトしていくためには、どんな意見や発見も受け入れてもらえる「アクセプト」される雰囲気があるといい。みんなが「こんなこと言ったら変かな」といったことさえ、素直に表明できるよう、ジェネレーターはどんな些細なことも切り捨てずに「拾って受け止める」

『S』、失敗する姿、ダサくてカッコ悪い姿も「Show(ショウ)「見せる」「さらけ出す」。ジェネレーターは、率先して大失敗する姿を「さらけ出す」ことで、みんなが失敗しやすい環境を作る。失敗を糧に諦めず、泥臭く取り組みつづける姿勢を「見せる」。一方で、全てを自分が見せなくてもいい。実際には、他のメンバーと同じように自分も素人のことが多いだろう。その場合、本物の場所・人・技に遇う機会をつくり、すごいところは「本物」に魅せてもらう。ジェネレーターは、プロから知識や技を学びとり、それを自分ゴトとして必死に試行錯誤する姿を「見せれ」ばよい。

『P』、
一蓮托生の場に「Participate(パーティシペイト)「参加する」
「一蓮托生」とは、複数のひとが最後まで運命を共にするという意味のこと。みんなを「G」ガイドし、「R」解き放って待ち、「A」拾い受け止め、「S」さらけ出す関係性で「P」参加するということは、まさに「一蓮托生」の関係であり、ともに困難を乗り越え、ともに責任を負う仲間となる。子どもたちをただ見守ったり、必要に応じて支援するといった間接的な参加ではない。教卓の前から離れ、自ら探究の場を生成し、ワクワクを他者に伝染させちゃうといった直接的な参加をする。これこそ「ジェネレーティブ・パーティシパント 生成的な参加者」=ジェネレーターだ。

ジェネレーターのあり方をGRASPという頭文字に合わせて、紹介してきた。「あり方」に加えて、本書には、以下の3つの「ふるまい」についても書いてある。

1.やって見ないと分からない状況で一歩踏み出す。
2.みんなで試し続け、作り直して、発見を積み重ねること。
3.つら楽しく面倒なプロセスを面白くしようとすること。

探究的な答えのない活動は、「本当に上手くいくのだろうか、先が見えない状況だなあ」と重苦しい雰囲気になったり、緊張感が高まったりして、場が硬直しがちである。この不確実な状況を引き受けるのがジェネレーターの役目だ。GRASPのAが大切。メンバーの考えや気持ちを引き受けるだけでなく、その不確実な「状況」そのものを堂々とAcceptする「引き受ける」
流れが停滞したら、自分から一歩踏み出し「辛いけどなんかやっちゃう」そんな姿を見せ、伝染させる。

また、先ほど紹介した5G=5つの禺を追っていくことも大切。なんとなく遭「遇」した「偶」然をみんなで面白がって、「愚」直にやってみる。諦めずに「隅」から「隅」までみんなで試し続ける、作り直し続けると、意図せず点と点から線(「寓」話=ストーリー)が生まれる。

生まれた一本の線にチーム(学生)が夢中になりすぎてしまうことがある。そんなときは、別の線もあるのだと気が付かせることも大切だ。ジェネレーターは、二者択一ではなく、両方の変わり続ける線を追いかけ続ける。

2つの対立する考えを追いかける図(A,p133)

別の視野や視点を場に投入することで、あえて会話にズレを生じさせる。一見面倒な流れになりそうだが、案外、面白い方向に進むことが多い。ズレながら重なり連なる対話を面白がることが、クリエイティブをより良いものにする鍵かもしれない。

LCL 第2回「探究をジェネレートする」 市川さんのスライド資料(2022.4.17)

7.探究する場の中心には、「好奇心」がある。

今度は、ジェネレーターがつくる「探究する場」について考えてみたい。
これからの時代は、つくることによる学び(プロジェクトなども含む)が主流になる。この学びは、好奇心主導のプロジェクトという形式をなす。

正統的周辺参加と好奇心誘発参加(A,p 536)

ジェネレーターは、古来から続く師弟制度における師匠という存在に近いものがある。師匠に出会い、憧れて、師匠の仕事を手伝いながらだんだん師匠のようになるという学び方を「左:正統的周辺参加」という。新参者が周辺的(軽い:皿洗い等)だけれども、正統な(責任ある、なくてはならない)活動を与えられ、チームのなかで、徐々に空気が読め、役に立てる存在になり、次第に中心的な役割を担えるようになっていく。最終的には一人前の中核を担う古参となるのだ。ホリエモンさんの「修行は無駄」発言があったり、ブラックな環境やハラスメントの温床になったりするといった問題もあるが、伝統的な学習形式である。

一方、「右:好奇心誘発参加」は、正統的周辺参加のような中心の師匠や師匠のワザに憧れ、導かれて成長していく訳ではない。中心は「好奇心」である。「先が見えないし、なんだか分からないけれど、やってみたい」面白さにひきずられてみんな巻き込まれてゆく。最初、ジェネレーター以外の参加者には温度差があり、参加の意義を感じていないものもいる。しかし、ジェネレーターが自分の探究心に素直になり、面白さを「周辺」に伝染させることで、次第に周りがどんどんジェネレートされ(駆り立てられ)ていく。まだ見えない意味や目標、なりゆきを掴もうとコラボレーションし始める。そのうち、互いに好奇心がひらき、没頭し、仕事のプロセス自体を面白がるようになる。そうなれば、自然と表現したくなったり、作品をつくりたくなったりする。まさに近年流行っているサロンや学びのコミュニティは、こういった形式の場となっていることも多い。

好奇心誘発参加では、師弟のような上下関係がなく、相互の関係が対等でありながら、創造に真剣に向き合う場がジェネレート(生成)する。本当の意味で創造に真剣に向き合うのならば、師匠としての教師でいる必要はない。時として教師という殻を破り捨て、生徒とスーパーフラットな関係で、大胆に自分の色を出したり(Guide)、失敗をさらけ出してもよい(Show)。もちろん、ジェネレーターは、リーダーや師匠ではないので、場を一色に染めるようなことはしない。中心にある好奇心に誘発された多様な参加者どうしが、互いの色を共振させてコラボレーションすると、想像もつかない色に染まっていく。

結局のところ、伝統的な技術の伝承ならば正統的周辺参加が有効。しかし、結論ありきの予定調和にはしたくない場合、これからの時代における創造的な活動の場合には、好奇心誘発参加が有効だ。

8.ジェネレーターは、探究学習の問題点を解消するかも。

下記の図は、文部科学省が示した「探究的な学習における児童の学習の姿」だ。この探究スパイラル(課題設定→情報収集→整理分析→発表)を繰り返し、深めていくことは、ある程度できるようになる。

LCL 第2回「探究をジェネレートする」 市川さんのスライド資料(2022.4.17)

しかし、探究学習の問題点は、赤枠で示されている「日常生活や社会に目を向け児童が自ら課題を設定する」これが難しいことである。そう簡単に、興味関心をもてる自分なりの課題が見つかるはずがないのに、さらっと、しれっと書かれている。探究は、索&研であり、研究(課題設定→情報収集→整理分析→発表)以前の、課題を探索するところが一筋縄ではいかないのだ。

そこで、自分なりの課題を見つけるには、ジェネレーターとして生きるのがいい。ジェネレーターとしての「あり方」を続ければ、課題を見つけるのではなく、課題の方からこっちへやってくるかも。「問いは立てるものではなく、立つものだ」なんてよく言うものだ。

素直に探究心を表現し、なんでも面白がっちゃう。それがジェネレーターなんだと思う。最後に改めてジェネレーターの生き方・あり方に関するスライドを載せて、書き終えたい。

まとめ方が不十分で、読みづらい箇所があったかもしれませんが、これからの時代「創造社会」をどう生きていくかについて、考える一助となれば幸いです。このような貴重な学びの機会を提供してくださった市川力さんに、改めて感謝申し上げます。

LCL 第2回「探究をジェネレートする」 市川さんのスライド資料(2022.4.17)


※参考文献

井庭 崇 編著 『クリエイティブ・ラーニング』創造社会の学びと教育  慶應義塾大学出版会

市川 力 井庭 崇 共著 『ジェネレーター』学びと活動の生成 学事出版

Iba, T.; Ichikawa, C.; Sakamoto, M.; Yamazaki, T. “Pedagogical Patterns for Creative Learning”. International Conference on Pattern Languages of Programs (PLoP11). 2011.















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