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Vol.46 映画化にあたってのチューニング。

先日、「これは凄い!」と唸ったのが、ヤマシタトモコさんのコミック「違国日記」(注1)の1~2巻を読んだ時のこと。

前回(Vol.45)取り上げた ” 実写映画版 ” をリピート鑑賞してから、後追いで原作コミックを読んだのですが、前述の「これは凄い!」という感想には二つの意味がありまして、一つは「コミック自体が良かったという事」そして、もう一つが「映画化するにあたっての再構築」

実写映画化するにあたってのチューニング(作中の出来事やシチュエーション、そしてセリフの ” 根本的な部分 ” を大事にしつつの再配置や再構築)の巧さに驚いたのです。

時として「コミックの実写映画化」というと ” ルックが原作コミックと同じ ” とか、 ” セリフが原作コミックそのまま ” という事が「その作品の見どころ」として語られることもありますが、そもそも「コミック」と「映画」では『視覚効果+セリフ』という共通点はあれども、全く異なる表現方法なので、それぞれに置き換える場合の ” チューニング ” は必要な訳で。

具体的に言えば、
『コミックは、「 ” 止め絵 ” と ” セリフ ” で構成されるコマ」から「次のコマ」に(脳内補完しつつも)ジャンプしながら(自分のペースで)読み進める』
…に対して、
『映画は ” こちらを振り向く ” という動作だけでも、実は膨大な情報量( ” その動作が早いのか?、ゆっくりなのか? ” とか、”感情の発露なのか?、無意識なのか? ” 等々)が秘められていて、それらを観客が(作り手の進行ペースで)無意識に情報処理している』
…という「違い」があるので、セリフ一つとっても ” コミックのセリフ ” をそのまま配置すると、それが ” 過剰な表現や説明 ” になってしまう場合があるのです。
そしてそれに加えて、 ” 長編に向いている連載コミック ” と、 ” 上映時間という時間的な制約がある映画 ” という「特性の違い」も絡んでくる訳です。
(※念の為、書き添えておきますが「どちらの表現方法が優れている」と言いたい訳ではありません。「違いがある」という事が言いたいだけです。)

今作の場合、「セリフの根本は崩さずに、過剰すぎる部分を削ったり( ” たらい ” のくだり)」「起きる事象を整理して、事象の位置を前後入れ替えたり( ” 家の整理 ” と ” 卒業式 ” 等々)」、時には繊細な、時には大胆な ” 実写映画化するにあたってのチューニング ” は実に見事でした。

それでもインターネット上では、原作コミックの読者が発したと思われる、否定的なコメントを目にすることもあって、 ” 原作コミック後追い勢 ” の私からすると
「え~!元のエッセンスそのままに、映画化できてるよ~」
…と、一瞬 反論!?したくもなりますが、こればっかりは
「(コミックに限らず)作品に惚れ込むと( ” 別媒体への展開 ” 以外でも、 ” リニューアル ” 等々でも生じる) ” 些細な差異 ” にすら違和感を覚えるのは、ごくごく自然な反応だなぁ」
…と思ったりもします。

…と言いますのも、
先日、個人的に強い思い入れを持っているミュージカル「オペラ座の怪人」ALW版(注2)の、『映画版』を初めて鑑賞した際に、
「え、ここでシャンデリアが落ちないの?」
「え、あのシーン無いの?」
「なんでここでチャンバラなんだよ!」
…等々、元々の舞台版を知っているからゆえの違和感を、私自身が覚えたばかりだからです(笑)

では、今週の締めの吃音短歌(注3)を…

おはようの 「お」の言い方で つまずいて 四十五度目の 梅雨を迎えた

※最近は「おはようございます」の「ご」でつまずくことが多く、そんなこんなで「47歳の梅雨」を迎えます(笑)

【注釈】

注1)違国日記

雑誌「FEEL YOUNG」(祥伝社)に2017年7月号~2023年7月号にかけて連載された漫画作品。
あらすじは…
「不慮の事故により突然、両親を失った田汲 朝(たくみあさ)。
気持ちの整理がつかない彼女に葬儀の場で同居を持ちかけたのは、母の妹である作家の高代 槙生(こうだいまきお)だった。
こうして、今まで交わることがなかった二人の同居生活が、ぎこちなくも幕を開ける…」
…というもの。
2024年6月7日に実写映画化作品が劇場公開された。
※下記は映画予告編です(1分2秒)↓

注2)ミュージカル「オペラ座の怪人」

ガストン・ルルーによる同名小説の舞台化作品。
アンドリュー・ロイド・ウェバーが音楽を手掛けたバージョンは、ロンドンのウェストエンド、ニューヨークのブロードウェイ双方で、歴史的なロングランを記録した。
あらすじは…
「1861年 パリのオペラ座で、コーラスガールの一人だったクリスティーヌ・ダーエは、代役として主演を務めあげた事がきっかけで、幼少時の遊び相手だったラウル子爵と再会する。再会を喜ぶ二人だったが、ラウルからディナーに誘われた途端にクリスティーヌの表情が曇る。クリスティーヌに歌唱を仕込んだのは、オペラ座を影から支配する謎の人物 ” ファントム ” だったのだ…」
…といもの。
2004年には映画化され、更に2024年6月14日から4Kデジタルリマスター版によるリバイバル上映が行われている。
※下記は映画予告編です(1分17秒)↓

注3)吃音短歌

筆者のハンディキャップでもある、吃音{きつおん}(注4)を題材にして詠んだ短歌。
この中では『「吃音」「どもり」の単語は使用しない』という自分ルールを適用中。

注4)吃音(きつおん)

かつては「吃り(どもり)」とも呼ばれた発話障害の一種。症状としては連発、伸発、難発があり、日本国内では人口の1%程度が吃音とのこと。

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