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Vol.45 作品を体現する、たたずまい。

『「あの役者は良かったね」というのは「映画評論」ではない』…という論説を耳にしたことがありまして、確かにその通りだと思う一方で、役者の佇まいが、その作品を体現することもある訳でして…。
{ちなみに、私が書き散らかすのは、あくまでも「映画感想」です(笑)}

先日、そういった「役者が作品を体現している!」と感じたのが映画『違国日記』を鑑賞した時のこと。

※下記は予告編です(1分間)↓

同名コミックの実写映画化作品で、あらすじは…
不慮の事故により突然、両親を失った田汲 朝(たくみあさ)。
気持ちの整理がつかない彼女に葬儀の場で同居を持ちかけたのは、母の妹である作家の高代 槙生(こうだいまきお)だった。
こうして、今まで交わることがなかった二人の同居生活が、ぎこちなくも幕を開ける…

…というもの。(なお、原作コミックは未読で鑑賞しました。)

姉のことは憎んでいるものの、勢いで(今まで接点が無かった)姪に同居を持ちかける中年独身女性の ” 高代 槙生 ” を演じたのは、映画「正欲」での好演も記憶に新しい新垣結衣さんで、今作でも見事に役を体現されていましたが、今作の白眉は もう一方の主役、突然 叔母と同居することになった少女 ” 田汲 朝 ” を演じた早瀬憩さん。

『キラキラした若い輝きと、その反面の若さゆえの脆さを併せ持つキャラクター』を体現する佇まいで、「心のモヤモヤをかき消すために歌い始めて、室内をウロウロ歩き回る内に、なんとなく楽しくなってくる場面{しかも、そこに家人が帰ってくる(笑)}とか、「誰もいない学校の廊下で、スキップしながら自作の歌を口ずさむ場面」といった 何気ない生活の一コマですら見どころになっていましたし、新垣結衣さんとのシーンで言えば「初めて書いた自作の歌詞を自信満々で見せる場面」で醸し出される、二人の ” おかしみ ” が漂うアンサンブル感が印象に残りました。
そんな一方、幾度となく不意に訪れる ” 心のさざ波 ” の芝居も決して過剰ではなく 切々と紡いでいく姿は自然体で、だからこそ ” 二人が寄り添っていく ” という着地が美しく映りました。

…という訳で、映画「違国日記」。僭越ながら鑑賞をおすすめします。

では、今週も締めの吃音短歌(注1)

「そのしゃべり方、なに?」と聞く 幼子に どう返すか?と しばし思案す

※親戚のおチビさんの、悪気ない一言に「うっ…!」となることもあります(笑)

【注釈】

注1)吃音短歌

筆者のハンディキャップでもある、吃音{きつおん}(注2)を題材にして詠んだ短歌。
この中では『「吃音」「どもり」の単語は使用しない』という自分ルールを適用中。

注2)吃音(きつおん)

かつては「吃り(どもり)」とも呼ばれた発話障害の一種。症状としては連発、伸発、難発があり、日本国内では人口の1%程度が吃音とのこと。


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