先代への想い
令和6年。
いよいよ7月は21日に登場する阪急2300系ですが…
今回登場する2300系は2代目の形式になります。
先代の車両は、昭和30年代の高性能電車の波に乗って登場した2000系の兄弟車両としての誕生でして、車両としては平成27年まで京都線・千里線で活躍し惜しまれつつの引退となりました。
ただし、自分でも全く記憶しているかと言われれば全然そうではなく…
写真は微々たる量でしか記録がないのです。
そこで今回は。
先代の偉大なる先輩の活躍を眺めて、今回の新・2300系の営業運転開始を待つといった内容になります。
自分が2300系を撮影していたのは中学3年生くらいの時。
贅沢な事に中高一貫の学校に進んだのでそこまで勉強はしておらず(最低限の試験は受けた)、最低でも他の中学3年生よりかは時間の余白があったものと自負しています。
この時、阪急は新しく1300系を投入して次々に旧来の車両を置き換えていく時期でした。
平成26年〜27年というのはそうした時代に揺れ動く中であったと薄く記憶しています。
そうした中、自分は辛うじて最後の営業の姿を記録しておりました。
阪急2300系という車両自体、先代の車両では昭和30年代に登場し近代的な技術を盛り込んでの活躍、そして鉄道友の会…第1回・ローレル賞の受賞車両でもあります。
そうした阪急の功労者的な電車でしたから、引退間際の盛り上がりも相当だったはずなのですが…
もう今は全然記憶していません。
先代の2300系が引退して、10年近い期間が経過しようとしています。
やはり2300系といえば、大阪方に映える大きな菱形のデカパンタ。
この菱形のデカくてイカついパンタグラフが大好きなんですよね。
昭和の時代から、編成が幾度となく組み替えられても残り続けた2300系の個性。
それは生涯不変なものでした。
写真の2313Fは2300系の一族の中で最も大きな足跡を残した車両であり、
先代の2300系として最後まで現役で走り続けた編成でした。
平成27年の春頃に実施された2300系のサヨナラ運転にも充当された編成であり、阪急史の中では大きな意味を持ちます。
2300系の時代は、実を言うと全然知りません。
晩年の活躍の中の1つに、嵐山線での活躍もあったりするのですがその活躍に関しても自分は一切知りません。
正直言って、嵯峨野方面に住んでいてもあまり嵐山線沿線の桂方面には全然行かなかったものですから…
編成が短縮され4両になり、かつての隆盛を背に走る侘しい姿はある意味で見てみたかったものでした。
しかし自分の記憶が埋まり始めた頃には引退し、現在の6300系時代に突入しています。
何度も記しているように、自分は2300系の全盛期〜晩年の記録が大体ありません。
そうした中で、僅かに残されたこの記録が持っている意義は非常に自分の人生の中で大きなものを持ちます。
梅田まであと一息…の十三にて撮影。
ヤケに綺麗に撮影してんな…
と思うカットですが、なんでこんな鮮明なんだろう…と自分でもヤケに眺めてしまう記録。
ちなみに。横に停車している7300系のハチマキ車も現在ではリニューアルにより姿を変えてしまったので、車両としては2度と撮れない記録になりました。
んま、駅自体がホームドア付きなのでもう何とも通用しませんが…
ちなみにこの車両は2315F。
こちらも2300系の先代の中ではかなり晩年まで走行した編成で、こちらも遭遇率は若干あったように思います。
今回は先代の2300系を
・2325F
・2313F
・2315F
と並べて往時を振り返りつつ、来る2300系2代目の登場を待つという内容でした。
2300系はかつて、2800系が特急の主力車両として走行する裏を支えた裏役者的な存在であり。
そして6300系の登場までを特急として駆け抜け、2800系のクロスシート配置の車内と対にして
・ハズレ特急
と言わしめたロングシートの車両でしたが、2300系が再び令和の世に蘇るにあたって
・特急専用車両
として復活するのは実に下剋上な縁だなと思わされます。
今回はこの辺りで。
京都線特急の変革という形で、6300系・9300系。そして今回の2代目2300系として、新たな過渡期を迎えようとしている我が生涯なのでした。
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