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「理解できない作品」について

    皆さんこんにちは、こんばんは。

    僕は音楽鑑賞が趣味で、特にビートルズが大好きです。
  
    ですが、初めてビートルズを聴いたとき、

  「なんじゃこりゃ!!何が良いんだ!!!」

    こう思いました。

    ですが、それは世界最高のアルバムとも称される、Sgt Peppers Lonly Hearts Club Bandという作品です。

    こんなふうに、「理解できない作品」に出会うことがありますよね。

    名作と言われる作品が理解できないときなんかは、、、

    なんともムカムカするというか、気持ちの良いものではありません

   ですが、理解できたときの嬉しさは、何にも代え難いものでして

    人生がより豊かになり、余暇時間がとても楽しくなり、生きている喜びが感じられるような、、、 

    そんな感じがするのです。

    それ故、僕は理解できない作品を求めているところもあります。 

    だから音楽はもちろんのこと、

    映画も、なんにも事が起こらないフランス映画を見るし。

    読書も小難しい純文学作品ばかり読みます。

    最初は面白さが解らないことが多いけど

  「ココはこうゆう意味なのかな?」

  「アレはこんな感情が込められてるのかな」

    というように、自分なりにどう楽しむかを模索しながら、作品を咀嚼します。

    それが芸術鑑賞の醍醐味だとも思います。


    逆に、理解できる作品に出会った時だと

    「ああ、あのバンドっぽくて良いな」とか

    「僕の好きなタイプのジャンルに近いな」

    というような感情になります。

    ジャン・コクトーという人の詩集のはしがきには、こんなことが書いてありました。

    読者は"再認識"を愛するため、新しい認識は読者を疲労させる。
    そのため、読者が或る詩の新味を玩味してくれる場合は極めて稀である  。

    直ぐに理解できる作品は

    もともと好きだったり、理解していたものに共通項を見出していて

    (コクトーさんが言うように、)作品を「再認識」しているということなのかもしれないですね。

    これからも、「好きなものを気持ちよく味わう」だけでなく

    "新しい認識"を増やしていくことを、楽しんでいこうと思っています(⁠^⁠^⁠)

 
それではまた、何卒よろしくお願いします🙇

    

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