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地域新聞を作ってみたい気がしている話 【考えごと】

地域カフェを運営している団体にボランティア参加してみた所感。

自分は物理的な場や繋がりを創出したいわけではなく、もっと目に見えない部分に働きかけたいのだと思う。もちろんその手段としての「場」や「イベント」なのだけど、どうしても、盛り上がりたい人が盛り上がりたい人に向けて働きかけているものである、という感覚に陥ってしまう。

それが間違っているとか偉そうなことが言いたいのではなく、要は自分はそういうものに興味が無いのではという話であり、要は自分はゼロをプラスに変えたいのではなく、マイナスをゼロに持っていきたいのだろうなという話。

例えば孤立化している人に地域の一員であるという感覚を抱いてもらうこと。例えば地域の課題に当事者意識を持ってもらえるよう住人に働きかけること、そのために顔の見える地域社会を作ること。そうした利他や思いやりの気持ちが巡り巡って地域全体の生活の安心感や豊かさに繋がるようなサイクルを作ること。

ただ、地域のために何かがしたいと考えている時、どうしてもそれがエゴなのではという後ろめたさが残る。地域に限ったことではないのかもしれないが、例えば地方創生について考えていると、そういった取り組みを住人が本当に望んでいるのか、そのエリアの創生が必ずしも善と言えない場合もあるのでは、などと悶々としてしまう。私がイメージしている”いいもの”は、果たして本当に地域住民も賛同するような”いいもの”なのか。

少し前に見学させてもらった過疎化地域でのボランティア活動の所感がそんな感じで、参加は結局ペンディングしてしまった。

そういった考えごとの延長で、ふと地域新聞が作ってみたいと思った。正確にはフリーペーパーと呼ぶのかもしれない。

ポストのチラシをゴミ箱へ振り分けている時に、ちょっと愉快なチラシが挟まっていたら、個人的には少し気分が華やぐ。それが個々人の地域に対する関心を高めたり、間接的な繋がり作りの場になったら面白そうだなと、ボンヤリと思った。

ネット情報は自発的に見つけに行く人にしか辿り着けない。お店に置いてあるフリーペーパーも特定の生活圏の人にしか届かないと思う。

でもポストは大体の家にある。良くも悪くも、チラシは勝手に届く。捨てるにあたって何のチラシかを一応は見る。特にネットに馴染みの無い年配のかたや積極的に人と関わりたく無いかたも。お節介に感じる人には捨てて貰えばいい。

加えて、自分の「なんとなく惹かれているもの」に一貫する要素を考えたときに、「情報の接点を作ること/作っているもの」なのではと思った。それはツイッターであったり、青山ブックセンターであったり、大学祭の広報委員であったり、サークルのウェブ担であったり、翻訳会社にて分からない言語を分かる言語へと変換する手助けであったり。

自分の生活圏からは見えない、一歩外に広がっている情報と自分のミートポイントとなるもの。それが魅力的にうつっているのかもしれない。

ただ、調べてみたら、フリペって結構同じ地域内でもたくさん存在する。


ふむ。

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