【前編】こころとからだ時々こらだ
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皆さん、こんにちは。
S.C.P. Japan共同代表の井上です。
今回は日々の活動で感じた「こらだ」について考えてみました。
是非本記事に対する読者の皆さんのご意見をいただけますと幸いです。
前編では、『1. 心身二元論 V.S.「こらだ」』、『2. ミサちゃんのお話』
後編では、『3.「こらだ」の出現』、『4.「こらだ」を忘れた大人たち』、『5. スポーツで「こらだ」を考える』を載せています。
後編はこちらから。
1.心身二元論 VS.「こらだ」
心身二元論について皆さんはご存じでしょうか?
心身二元論とは、近代哲学の祖デカルトが提唱をした「心と体は別のものである」という考え方です。西洋医学は心身二元論のもと発展し、その西洋医療が主となっている日本の医療現場では心身二元論の考えの下、基本的には体は体のお医者さんが、心は心のお医者さんが治すようになっています。
例えば、心が苦しいからといって心臓や脳の手術はしないですし、骨が折れたからといってセラピー治療はしないのが通常です。
一方で、精神科医として有名な中井久夫先生は以下のようなことを仰っています。
「心と体を分ける理由は、その方が人間にとって都合が良く便利だからに過ぎない。」
中井先生は本来心と体は一体として捉えるべきなのかもしれないと示唆し、「こらだ」という言葉を作りました。
今回はそんな「こらだ」について、スポーツや子どもの視点を交えながら考えていきたいと思います。
※前編後編に分けて更新していきます。
まずはじめに、改めて「こらだ」とは何か。
「こらだ」とは、心と体が一体となっている状態のことです。
「居るのはつらいよ; ケアとセラピーについての覚書」という本で著者の東畑さんは「こらだ」についてわかりやすく説明してくれています。
調子が悪くなって、「おかしな」状態になるとき、心と体の境界線は焼け落ちる。そして、心と体は「こらだ」になってしまう
東畑さんは、不安になるとお腹が痛くなる・緊張すると汗が出てくる、などは「こらだ」の状態であると言い、どちらかというと「こらだ」を一時的な状態として捉えていますが、冒頭の中井先生の言葉を借りれば、もともと私達の心と体は「こらだ」であることが自然なのかもしれません。
どちらが厳密に正しいのかはさておき、療育をはじめ子ども達と日々活動していると、私は頻繁に「こらだ」に出会います。
2.ミサちゃんのお話
ミサちゃん(仮名)は、ダンスが大好きな女の子です。
夢中になると、際限なく踊り続けるパワフルガール。ただ、思い通りに行かなかったり、ゲームや遊びで負けたりすると、気分が一気に下がり、立て直すのに時間がかかります。
ある日、朝からなかなか気分が上がらないミサちゃんは別の子どもが楽しそうに遊んでいることが気に食わない様子。
段々とイライラが募り「遊ばないで!それしないで!」と癇癪を起こし、大人でも押さえるのが大変なくらい激しく暴れ出しました。
一見わがままで自分勝手なだけのようにも見えるこの状況ですが、自分で自分をどうしたらいいのか分からず、本人が本当は一番辛いのだと誰が見てもすぐにわかりました。
顔がくしゃくしゃになるくらい眉間にシワがより、涙も汗もヨダレも全部ぐちゃぐちゃに混ざった状態で激しく叫び暴れるミサちゃん。
と思いきや、今度は座り込んで全く動かなくなったりします。
険しい表情でたった一人何かと必死に闘っているようで、目の前に在るのはミサちゃんの体なのだけれど、その体はまるで剥き出しになったミサちゃんの繊細な心そのもののように見えました。
大人でも、怒りが爆発した時や激しく困惑した時、自分の心をコントロールすることは難しく、その時の痛みはすぐには癒されません。
療育が一日で効果を発揮することはありませんから、自分の気持ちをうまく表現したり、感情をコントロールしたりすることが苦手なミサちゃんはこの苦しみに頻繁に向き合っているのです。
初めてそんなミサちゃんを見た時、私はどうしたらいいのかわかりませんでした。
今冷静に考えれば、療育の知識を使って色々な手法を落ち着いて試みることが大切だとわかるのですが、それよりも先に思わず体が動いてしまいました。
「大丈夫だよ」って少しでも伝えたくて、私はミサちゃんの両手をそっと握ったのです。
その時、私は東畑さんの本で読んだ「こらだ」をはじめて本当の意味で理解しました。
(後編へつづく)