経済原論概説 第8回 社会主義国家

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 1917年、ロシア革命を契機にソビエトによって社会主義体制が建設された。この革命は1905年、血の日曜日事件に対して労働者のデモやストライキが行われた第一次革命に端を発する。1914年に第一次世界大戦に敗北すると、農業生産が低下し食糧危機が発生した。戦費調達のために貨幣や国債の発行が行われたことによりインフレも発生し、増税を行うことで貧窮化も進行した。「パンと平和を」というスローガンの下、労働者はソビエトを組織した。軍隊も労働者側に合流すると、1917年2月(グレゴリオ暦では3月)に皇帝は退位し臨時政府が樹立された。同年10(11)月にはソビエトの指導者レーニンが臨時政府を打倒し、社会主義政権を樹立した。(10月革命または11月革命)。
 レーニンは「平和に関する布告」と「土地に関する布告」を行った。8時間労働制や婦人、児童の夜間労働禁止を定めた。1978年に始まった20か国との干渉戦を勝利に収めるが、国内経済は崩壊寸前であった。レーニンは社会主義国の建国を一時断し、国家により資本主義を復興させることで国内経済を復興させる国家資本主義論を掲げた。1921年からはNEP新経済政策が執られた。これは、農業、工業、商業に私的企業活動を認め、農業の増収分を農民所有として自由販売を認めたものである。剰余分を商品化することを認め、租税は現物から貨幣になった。これにより貨幣の流通が活発化し、取引が拡大することで食糧難は緩和された。  
 1922年には15か国によるソビエト社会主義連邦が形成された。資本主義における資本家と労働者の支配-被支配体系は労働者主体とし、生産手段を共有、自由競争を廃止し計画経済で資産を有効に分配すこと、つまり、m部分を共有することで恐慌や失業の無い社会を目指したのである。加えて学費や医療費は無料であった。しかしここで社会主義を巡って二つの論争が起こった。第一に、一国のみで社会主義を存続できるのかどうか、という一国社会主義論争である。スターリンはこれを可能と考えていたが、トロツキーは国際規模で建設すべきだと考え、ブハーリンは外国資本の導入などで資本主義に譲歩すべきだと主張した。第二に、市場経済や価格メカニズム無くして計画経済を行うことは可能であるのかという、社会主義経済計画論争である。
 1928年から1932年には、重化学工業部の創設や農業の全面集団化を行い基礎財産の充実を目指した第一次五か年計画が行われた。第一次五か年計画は成功を収め、続く1933年から基礎産業の育成や消費財、国防材の充実を図った第二次五か年計画が行われ、工業生産高が世界第二位となり、1938年には社会主義国への移動を宣言した。1953年にスターリンが没したが、その後56年にフルシチョフによってスターリンの中央委員や代議員の粛清に関する秘密報告が行われた。
 順調に見えたソビエトの経済も、1960~70年代には停滞した。計画経済下で賃金や価格が決定するため、労働者が資源の節約や効率の改善を行おうとしないこと、士気が低下してしまうこと、価格の調整機能が作用しないために消費者の需要が配慮されないこと、冷戦の為に軍事的優位性を求める反面インフラストラクチャーの整備を後回しにしていたことなどが理由として挙げることが出来る。1985年にゴルバチョフによってペレストロイカが行われ、緊張緩和(デタント)の為に新思考外交、自由な言論の為に情報開示(グラスノスチ)、部分的に私企業を容認し国立企業に独立採算制を導入、さらに大統領制も導入した。1991年ソビエト連邦は解体されるも、生活水準の低下や失業、インフレなどの問題を残し、98年には国債のデフォルトに陥った。
 失業や不況、貧富の差を消滅すべく設立された社会主義体制は、ソ連に於いてなぜ失敗に終わったのかを、近代経済学的観点から考察する。ミクロ経済学では、人間は合理的経済人として自己の効用を最大化するために行動すると仮定される。ソビエトの社会主義では共同体原理の下、企業や労働者は、公共性の追求のために労働をしていて、生産物は平等に分配されることを理想としていた。各人が協力して生産活動を行う限りでは、共同体の原理は機能するが、各人が効用を最大化させようとすれば、ナッシュ均衡に陥ってしまう。ナッシュ均衡とは、囚人のジレンマなどに見られる、全体が行動を変えれば全体の効用が高まるが、自身のみが行動を変えても自身のみが損をする状態である。ソビエト社会主義では、国民全員が懸命に労働をすれ国民全員が得をするが、自分のみが懸命に仕事をしても儲けは怠惰に仕事をしている人間と同じなため、相対的に損をしてしまう。その為、懸命に仕事をするよりも利己的な行動をとる人が増え、全体の効用は下がってしまったのである。
 近年ソビエト社会主義の失敗を基に新たな社会主義を設立して国際経済に台頭しているのが、中国である。鄧小平によって改革を為された中国の社会主義の特徴は、社会主義に市場経済を導入したことである。農村では生産請負制を執りつつ剰余価値分の市場販売を認めていた。都市部では経済特区を定め、原料の自由化や税率を軽減することで外国資本の積極的取り入れを行った他、株式会社も認められていた。
 しかしながら中国の社会主義にも問題点は見られる。先富論に基づいた社会主義市場経済では、所得や地域の格差が見られるほか、失業の発生によって犯罪や汚職なども起こり、人口爆発や都市への人口流入も発生している。 

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参考文献・関連書籍

ソビエトの社会主義の編成を寓話的に描いた名作小説↓




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