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【自己紹介4】ここ5年くらいの出来事:出戻り編②

どうして、私の人生ストーリーを描くことにしたのか?

人生のドン底だった

そこからなんとか自由になりたいと
もがいて、もがいて暮らしてた

ここ数年起こったこと
どうやって
何が
私を立ち直らせたのか?

それを書くことで
過去の私と同じように、
今、辛い思いをしている女性に、
自分だけじゃないと知って欲しかったから

もうさ、
自分を愛そうよ♡
自分軸で生きていいんだよ!

あなたにも、
そうしていいんだ!!!と
思って欲しい
確信を持って欲しい

自分を閉じ込めている
牢屋の鍵を
心の扉を
開けてほしい

モヤモヤがあるなら、一緒に解決する場もあることを
知って欲しいと思ったからです

***********************

前回の続き

別居前の数ヶ月間は
夫の強く威圧的な態度と無言の暴力に
私は毎日のように
布団の中で涙を流し
子どもに背中をトントンされていた

どちらもお互いに相手を悪く思っていたし
何も話したくなかった

そんなんじゃ、何も伝わらないよね
負のループが高速で回っていましたね


でも
別居してしばらく経ったある日
冷静になって話をする時間があった

その時、夫は
「絶対に怒鳴らないから」と言って
対話してくれた

今まではあり得ない言葉だった

離れている時間と距離が
夫に変化をもたらしたのかな?

今までのこと

子どものこれからのこと

話しているうちに
お互いに誤解していたことがあって
それが
それぞれの怒りの原因になっていたこともわかった

でもそれだけで
「あ、そうですか」と
簡単に気持ちを
元に戻せるわけはなく
離婚へ向けての話もした

また同じ状況になるのが怖かったし嫌だったから

離婚にあたり必要な手続きや
特に子どものこれからに関わってくることは
受け入れ動いてくれた

その後も
受験にチャレンジしようとする娘の
夫による専属家庭教師は続いていた

そんな中、夫の父親
義父が肺癌を患っていることがわかった

夫の実家は
脚が不自由で身障者3級の義母との二人暮らし
二人とも80代
当時の義母は両手を離した状態で自立できず
歩く時も手を引く人が必要だった

今では一人で靴も履けないし
何かの拍子に床に座ってしまうと
もう一人では立ち上がることもできない状態になっている

義母の義父への依存度は高かった
義父がいなくなった時
義母が一人で暮らすのは明らかに困難

ある日
義父から夫に電話があったらしい

長男のお前に
土地と建物を引き継いでほしい
お前にもらって欲しい、と

それはすなわち
二世帯で暮らすことを意味していた

私たちが別居していることは
どちらの実家にも伝えていなかった

夫も悩んだようだが
それから半年以上経った時
夫から
「戻ってきてくれないか?
実家を建て替えて二世帯にする
君の好きなように造っていいから」と

*******************

妹に任せっきりだったが
気になる私の実家にも
ちょくちょく様子を見に行けるし
一人より二人いた方がいいに決まっている

母は長年三叉神経痛を患っていて
痛み止めの薬を飲む一口の水も激痛が走り
飲めない日も多くなっていた

症状がだんだん強くなり
痛みと戦う毎日
食事も摂れないない日が増えていた

父は90歳間近で
15年くらい前に小さい脳梗塞になり
歩きが怪しくなっていたが
母に薬を飲ませ
買い物に行き
掃除や洗濯もやっていた

父はもともとマメな人だったが
さすがに年齢的にも体のあちこちにガタが来ていて
当然、昔と同じようには動けない

たまに訪問すると
家の中にはムムム???
と思う状況もあちこちに
見られるようになっていた

そろそろ二人だけの生活は限界かな
という感じが漂っていた

****************

もしまた
私と子どもが
夫のところに戻るのはどうなのか?

娘にもどうしたいか意思の確認をした

毎日のように夫と勉強している娘は
以前のような夫への嫌悪感はほとんどなくなっていた

この一件で精神的に随分大人になったようで
子どもなりに
割り切りと強さが備わっていた

「お母さんが大丈夫なら
私はどちらでもいいよ」

自分にも何度も尋ねた
本当に戻るのか?
その先一緒にまたやっていけるのか?

離婚して、ひとり親としてやっていくのか?

でも、今はまだ、
子どもには父親が必要なことは間違いない

もうすぐ90代になろうという実家の親たちに
私が出戻り、頼り、
子どものことを頼むことも難しいと感じたし
いい歳をした娘(私)でも
孫を連れて出戻ってきたと思えば
娘と孫の先行きを心配し
精神的にも負担がのしかかる

言葉少ない父だが、
一人で悩み、ものすごく心配性な人
両親は昭和ひと桁生まれで
特に父は
私が小さい頃から
いいところに嫁に行くのが一番いい
(いいところってなんだ?)
お金に困らない人と一緒になるのがいいと言っていた人だから
私が仕事をしなくてもいいくらいの収入のある夫と離婚することは
相当ショックを受けること間違いない

母の方は、歳の割に考え方が今風で
嫌な人といることないし
頑張りなさいと言って
背中を押してくれるタイプの人

とはいえ、
年老いた両親ともに多大な心配をさせることになることは間違いなく
それが何より辛かった

*****************

本当に悩んだ
いろんなことを考えた

ここまで本気で離婚を考えて行動してきたのに
本当にそれでいいのか?

そして結局
仮住まいを引き払い
夫の住む家に戻った

それからは
完全にいい状況に戻ったとは言い切れないけれど
離れていた距離と時間のおかげで
以前よりはずっとマシな関係にはなった

人生において
別居したというあの事実は
私たち夫婦にとって
必要で意味のあった出来事だったと
今でも思っている

そして子どもは
超短期集中の受験勉強を乗り越え合格でき
私の生まれ育った街に移り住んだ

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今思い起こすと
別居していた間は
経済的な心配は大きかったけれど
ものすごく開放感があった

ゴタゴタ気になることもたくさんあったが
なんとも言えず心が軽かった

何より人の目を気にせず
自分でなんでも決められることが
楽しかったしワクワク感があった

じゃあどうして戻ったの?

自分に自信がなかったから・・・
この一言に尽きるかな

あの時の私は
子どもが一番大事だと思っていて
辛い思いはさせたくない思いが大きかった
(それは今も変わってないけど)

自分の子どもや親が
結婚当初は夫にも
安心して喜んでくれることをすることが
自分の喜びであり使命のように思っていた

関わる人の喜ぶ顔が見られることが
私の喜びだと思っていた

人が喜んでくれることが
自分を満たし価値だった

逆に言えば
良かれと思ってやったことが
相手の笑顔につながらなかったら
それはそれは落ち込み
自己肯定感バク下がり

今になって
今更やっとわかったことは

あの頃の私は
できていないところ
足りないところにばかり目がいき
いつもネガティブで
後悔、自己否定、自己卑下を繰り返し
自分で自分を落としてばかりいたんですね

これぞ、他人軸!
自信を持って生きれるはずがなかった

今の自分が過去を振り返ると
これだもの、いつも何だか満たされず
苦しんでいましたね

「誰か私を幸せにして〜」って
いつも叫んでいたんだよね
他力本願ってやつ

自分の外にばかり
自分の幸せを求めていた

そしてそんな満たされない自分が嫌で
どうにかしたくて
自分を変えたくて

これをやれば抜け出せる??
自己肯定感が上がる?
認めてもらえる?
そんな発想で
とにかくいろんなことに手を出し
いつの間にか、いわゆる
ノウハウコレクターになっていました

それじゃ何も変わらなかった

******************

そして始まった二世帯暮らし

続きは、またね



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