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ゴミ拾いは「結果的に」地球を救う❢❢

世の中にはゴミ拾いを進んで行う奇特な人も少なからずいると思います。別の言葉で言い換えるなら「正義感」「変人」とも言える場合もあるでしょう。
例えば「正義感」でゴミ拾いをすると、どうしても正義と悪と二分にしたくなる傾向が強いのです。すると、拾う自分は正義であり、捨てる奴は悪である、という図式が成り立ってしまう。そうなると、ゴミを捨てる人や捨ててあるゴミを目にした瞬間に即座に悪に対する怒りが芽生えてしまう。もちろん捨てる人が100%悪い。正直なところストレス極まりない!でも、それで果たしてゴミ拾いを続けたいと思えるのでしょうか???
次に、「変人」でゴミ拾いをすると、これは主に僕の話しとして聞いてください。ゴミを見つけたら喜びます(笑)燃えるゴミ?燃えないゴミ?いつ頃に捨てられた?と自問自答しながら拾い上げていきます。捨てた人の事なんてどうでも良くて、ゴミ袋がどんどん膨れていくのが嬉しくて仕方がなくなるのです☆彡しかも、拾いながら歩いていると周りから声をかけてもらえて感謝をされるのがこの上ない至福の時です🥰
ここで、先ほどの正義と悪の話しに戻りますが、もしも誰かがゴミ拾いをしているところを目撃したとして、その人がゴミにストレスを感じながらゴミ拾いをしているのを態度や表情に出ていると、僕なら声をかけにくい・・・。そもそもお礼を言われたいからゴミ拾いをしているわけじゃない、と言われればそれまでの話しですが、少なくとも自分自身の心の衛生上、ゴミ拾いでストレスを溜めていく人にはゴミが目に付くたびに悩まされる人生になりかねません。
ゴミ拾いは、結果よりも過程に重きを置くものだと僕は思います。どんな気持ちでゴミ拾いをしたとしても、結果的に町が自然が救われるならそれで良いじゃないかと思う人もいるかもしれません。ですが、誰かに敵意を向けながらゴミ拾いをするのと、宝探しのようにゴミ拾いをするのとでは、雲泥の差が生まれます。
僕の願いは、「ゴミを捨てる心無い人がいなくなればいい」ではなくて、「ゴミを楽しみながら拾う人が増えたらいい」なのです。ゴミ拾いとは、他者よりも自分と向き合うための娯楽だと僕は思います☆彡地域貢献や環境問題よりも、まずは自分を整えることが大切です。
その結果こそが地球を救う❢❢

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