見出し画像

我々はベジタリアンになるべきなのか?:哲学者ピーター・シンガーと考える

こんにちは、scherzです。


今日は、ちょっと真剣な話です。

日本でベジタリアンだという人は少ないと思います。私もベジタリアンではありませんから、ふだんの食事で肉を食べています。ただ、世界にはベジタリアン、あるいはヴィーガンとして生活している人が一定数います。日本にもいることと思います。


今日の考えたいことは、我々が肉を食べ続けることは倫理的に許容できるか、あるいは我々はベジタリアンになるべきか、です。


牛、豚、鶏、馬、羊…

私を含め、ベジタリアンでない人々は、このような動物の肉を日常生活で食べています。豊かな食生活には欠かせないと思う方もいらっしゃるでしょう。


しかし、これらの動物が死んでいる、という当たり前の事実があります。だからこそ、「いただきます」と言ってから食事をして、「ごちそうさま」と言って食事を終える、という考えがあるのでしょう。


ただ、これについて、反論を提出する人たちがいます。たとえば、倫理学者のピーター・シンガー(彼はベジタリアンです)は、これらの動物が人間ではない、というだけでその命を軽く扱われることは「種差別」にあたる、と批判しています。


私たちは、人種差別を決して許容しない、という誓いを立てました。では、その範囲というのが動物にも拡大されないことを正当化できるか?肉を食べ続けたい人々は、この問いに説得力を持って答える必要があります。


シンガーへの反論

彼の主張は端的に言って、あまりにも直観に反する議論です。当然の流れとして、かなりの論争を喚起しました。


一つの反論は次のようなものでした。人類(ホモ・サピエンス)は、食物連鎖のトップに君臨している。つまり、自分より弱い動物を食らうことは、自然界に生きる動物としての掟「弱肉強食」にのっとっており、非難の対象にはならない、というものです。


なるほど、よさそうな反論です。


シンガーの再反論①:肉以外の食べ物ある

しかし、シンガーはこの反論を切り捨てます。


私たちが食物連鎖の頂点にいることは否定しません。我々が肉を食べる以外に選択肢がなく、その肉を食べなければ死んでしまう、という状態にあるならば、肉食が許容できる、と述べています。


しかし、現状はそうではありません。少なくとも、豊かな生活を送っている人々は、肉以外に多種多様な食の手段があります。肉を食べなくても栄養上、問題のない人生を送ることができます。


シンガーの再反論②:動物の生産様式の中には許容できないものがある

だから、ただ自分の舌を喜ばせるためだけに動物を殺している現状を改善する必要があるとシンガーは述べたいわけです。


しかも、それらの動物の養育状況の中には、耐えがたいものがあります。たとえば、フィードロットと呼ばれる、豚の生産様式があります。これは豚が早く丸々と太るように、ほとんど身動きの取れない状態で餌を大量に与えて育てる、という方法です。


身動きがほとんど取れないことのつらさを、我々は最近、身をもって体感しています。


さらに、鶏の中にはケージに閉じ込められたまま育てられ、残酷な苦痛を伴う方法でもって出荷状態にされる、というものがいます。

私はオーストラリアで少し生活をしたことがありますが、スーパーに行くと、パッケージに"Free Range"(放し飼い)という表記のされた卵が多く売られていました。

その卵は、鶏が苦痛をともなって(=狭いケージに閉じ込められて)育っていない、ということを示しています。ベジタリアンやヴィーガンの方に配慮した表記方法なのだ、ということを学習した記憶があります。


私は迷っています

正直、私自身、シンガーの議論にかなり説得されてしまっている面があります。どうして差別を許容しない、というその範囲が動物にまで及ばないのか、という冒頭の疑問への説得力のある回答が見出せずにいます。


おいしいから、という理由で食べてしまっています。他の食べ物とかサプリメントがあれば補えることは分かっているけど、どうしても踏み出すことができません。


もう一つ踏み出せずにいる理由があります(ただ踏み出したくない口実を見つけたいだけなのかもしれませんが)。


それは、肉を生産している人たちがいる、ということです。我々が全員ベジタリアンになる、ということは、もはや肉の生産は不要になって、大多数の畜産農家は職を失うことを意味しています。


シンガーはこの点についてはっきり言及していません。おそらく、畜産業に従事する人が職を失うことは、動物たちが多大な苦痛をともなって死んでいくことに比べれば、たいした問題ではない、と言うと思います。


でも…うーん…


正直、日本で生活していたら、魚の種類はたくさんあるし、肉を食べないと死ぬということはない、という方が多いと思います。


私は、とりあえず肉を食べる頻度を今までより少なくする、という妥協案を見つけました。これをひとまず実践してみようと。ベジタリアンやヴィーガンとして生活を送っているひとは正直、すごいなと(何か他の理由があるかもしれませんが)。


「我々はベジタリアンになるべきなのか?」議論は続きそうです。


参考文献


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?