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小説を書けなくなった私がたどりついた作品に対する考え

この記事では、本などの作品について私が最近ふと思ったことを書いていきたい。ちなみに私がnoteを始めた理由はこの記事を書くためだ。誰かに伝えたいと強く思えるぐらい、私の中では新鮮な発見だった。だから、気が変わらないうちに書いてしまおうと思う。

小説が書けない!

先日、友人たちと一緒にある舞台を見に行った。見終わってから、どのシーンが印象に残ったかという話になり、友人たちはラストの照明を大胆に使ったシーンとか、ダンスがすごかったシーンとかを挙げていた。けれど、私は脚本家を演じていた脇役のセリフが頭に残っていた。「やっぱり、物語ってすばらしいよ。僕は、物語の力を信じてる」

私も実は、小説を書いている。文芸部に所属しているからだ。それ以外でも、小説ではないが日記のような感じで自分の思いをノートに書くのが好きだ。書くことが一番好き。幼い頃からずっとそうだった。自分が書いた作品で誰かを感動させたい。あるいは、自分が日常の中で感動したことを、誰かに知ってほしいと強く思っていた。

けれど、私は芝居の中で脚本家が言ったセリフに共感したわけではない。むしろ、逆だった。その頃、私は今までのように小説の持つ力を信じられなくなっていた。

次の部誌のために小説を書きたいけど書けない。途中まで書けてもペンが止まってしまう。そんな状態が続いて私はもやもやしていた。なぜだろう。今までこんなことなかったのに。もやもやを晴らすため、私は自分を見つめなおしてみた。

小説を書くときに持っている自分の思いの儚さ

小説を書こうとするとき、私は何を感じているのだろう。それは、自分が持った考えや感情を作品にして、他人に伝えるという行為への違和感だ。なぜなら、すぐに変わる自分の考えや感情を信じられないから。

小説を書くとき最初にすることがある。それは、読者に伝えたいメッセージを決めることだ。メッセージは私が日常の中で思ったこと、感じたことがもとになる。それが作品を通して伝わるようにストーリーを構成していく。でも、定期試験やアルバイトなどで中断してしまうと、どんどん最初に持っていた思いが薄れていって、気持ちが変わってしまう。そうなると、元の通りのストーリーは書けなくなる。そんなことを繰り返してばかりいた。

そうしているうちに、こんなふうに思うようになっていた。本に込められているのは、その作品を作った人が持った一時だけの気持ち。すぐに気持ちが変わることもある。そんなものを半永久的にに残る本として固めて残すということが、なんかいやだ。

つまり、小説を書く最初の部分で私はつまずいていた。自分が伝えようとしている思いの儚さを感じていたのだ。

小説など作品に対して持つ感情の儚さ

そのことに気づいても、もやもやした気持ちが晴れることはなかった。むしろ、悪化した。さらに、作品を通して得た感情も、一瞬の儚いものだと強く思えてきたからだ。本に限らず、映像、絵画、音楽など様々なものに私は触れる。例えば、歌に共感して涙が出たり、誰かの名言や教訓を聞いて勇気づけられたり。そのとき、確かに心が動く。でも、そのとき生まれた感情はすぐに力を失くしてしまう。今日の感動は明日の夜にはすっかり消えてしまう。「こう生きるべきだ」「感動しました」「こう感じました」それらを前より信じられない。だから、人々に様々な感想を言わせる作品もひどくちっぽけで儚くて、浅ましくて悲しいものに思えてしまう。

こういったことをなんとなく感じていて、小説が書けなくなっていた。いわゆるスランプ? 一度感じてしまった違和感はなかなか拭えない。もうすぐ締め切りなのに、どうしよう。ぐるぐる考えながら時間が過ぎていった。


でも、ある日、突然、答えがわかることがある。

 

美しい朝だった。道も空も鳥も木も、すべてが好ましく思えた。「やさしさに包まれたなら」の歌詞の一節を実感しているような気がした。そんな不思議な気持ちに打たれながら、私は図書館に行く。

本棚を眺めているとき、ふと思った。

どこの誰とも知らない人が、いつか書いた「そのときの気分」を

いつかのときに偶然わたしが手に取って、

それに励まされたり、あるいは一生勇気づけれられたりする

本って、作品って、そんなふわふわしたもんなんだ

いつ、どこで、誰のためになるのか自分では知ることができない

アメがばらまかれていて、

迷い歩いているアリが、いつかその中の一つにたどり着くように

無数の作品の中からいつかその一つだけが誰かのところに届く

そして、その人を幸せにしたり、悲しくしたり……

そんな空しくて、とうとくて、まぶしいもの

だけど、人を勇気づけられるなら、どんなに一瞬のわたしの浅はかな思いでも、伝えてもいいんじゃないかなと思った。

本って、思っていたほど大層な、絶対的な、わかりやすく善いものではないけれど、でも、

そんなもんなんだよ、と。

終わりに

その日から、私が抱えていたもやもやは飛んで行って、心には青空が戻ってきた。私が気づいたことは、本に限らず、すべての作品について言えると思う。そんなの当たり前でしょうって言う人もいるだろうけど、私にとっては光るような発見。そして、私はさらに気づいた。いつ誰のためになるかわからないということは作品だけじゃなくて、モノ、人、世界のすべてに対して同じことが言えるんじゃないかって。

私はこれからも小説を書きたい。いつかの時代の、どこかの誰かさんが私の作品を読んで、ちょっとでも幸せになってくれたらいいなぁと思うから。

お読みいただきありがとうございました。