【読書感想文】生活はつづく、クリームイエローの海と春キャベツのある家
こんにちは。イケダです。noteでは初めて読書感想文を書いています。よければお付き合いください。
noterさんなら一度は目にしたことがあるであろう、この本。いや、御本。言わずと知れた、昨年度の創作大賞受賞作品。
note投稿歴2年目ぺーぺーのわたしは、この作品がきっかけで創作大賞というものを知ったのだけれど、絶対に読もうと購入したものの、実はしばらく積読になっていた。
というのも、web版を読んだときに、このひと言が刺さりすぎたから。
手を出すのが恐ろしかった。
よくあること、なんでしょうか。他人の生活は自分には見えないのでわかりません。でも、この言葉を言った樹子とおなじ、小学生だったわたしは荒れ果てた家が嫌いで嫌いでたまらなかった。
我が家(実家)は、台所にダイニングテーブル、リビングにローテーブルが置いてある。記憶の中のダイニングテーブルはいつもモノに溢れていて、到底だれかとご飯を食べられるような状態ではなかった。ローテーブルもしかり。
食パンをとめるビニタイ、誰かが使ったままのグラス、ふりかけのカス、出しっぱなしの調味料、いつのものかもわからない郵便物、、、こんな家じゃ、恥ずかしくて友達も呼べないんだよなって。
冷蔵庫の中はもっと最悪だった。ラップの掛けられたおかずはカビが生えているし、野菜クズはたくさん落ちているし、賞味期限切れの肉魚がいるのは当たり前だし、冷蔵庫の引き出しは何かよくわからないネバネバしたもので汚れている。織野家よりもひどい。
恥ずかしながら、ほんとに当時の我が家はそんな状況だったのだ。(だからこそ、こんなにも食に執着する今のわたしがいるのだと思う)
そう。だから炭になった何かが詰まっているコンロは必死で磨いた。溜まっている生ゴミも畑のコンポスト持っていった。捨てられるものは全部自分で捨てた。
クリキャベを読んで当時の生活に向き合った今なら分かる。わたしは親に帰ってきて欲しかったんだ。
あたためた冷凍餃子をパソコンテーブルに置いて、見知らぬ誰かとチャットをしながら食べた。画面の中で「どこずみー?」と聞いてくるどこかの誰かは、誰のかわりにもにもならなかった。お父さん、お母さん、お姉ちゃん、家族とごはんを食べたかった。テーブルを片付ければ、いつ帰ってきても一緒にご飯を食べられると思っていた。
わたしはいま、7ヶ月の娘と、あの汚かった実家で生活している。
親の仕事は当時より幾分落ち着いて(働き方改革のおかげ?)、子の独り立ち、孫の誕生を経て、我が家が生まれ変わろうとしている。タイル張りの昔ながらの風呂場が200万以上かけられて足が伸ばせるくらいの浴槽が入った綺麗なシステムバスになった。リビングのローテーブルがなくなって、シールがベタベタ貼られていたテレビボードがなくなって、娘のベビーサークルが置かれている。
台所のダイニングテーブルも新調された。ベビーチェアが置かれて、孫が離乳食を食べる様子をいつもいつも嬉しそうに見ている両親がいる。
あの頃より、こんなにも生きやすいと思う。わたしも、両親も生活を大切にできているのだと思う。
クリキャベが、わたしの散らかった生活をありふれたものにしてくれた。人様からは見えないだけで、まとまりきらない生活はどこにでもある。
わたしの両親もわたしも、必死で生活していたのだ。
生活はつづく。生活はかわるし、かえられる。
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