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フリーランスの40代、こうやって乗り切りました。(現在52歳)

こんにちは、スキャット後藤です。フリーランスの作曲家です。

先月書いた「フリーランスの方々、20年後は想像できてますか?」が、すごく反響あり、作曲家・こおろぎくんが僕の記事を受けて書いた「音楽家フリーランスの逃げ切り戦略:50歳で引退を目指す」の内容もすごく面白かったです。作曲家ごとに考えてることって全く違うので、こうやっていろんな話を書いていくのは良いんじゃないかと思ってます。

こおろぎくんは、僕の約10コ年下です。もうすぐ「もうすぐ42歳」ってnoteには書いてました。こおろぎくんがnoteに書いた40代の計画を読んで、いま52歳の僕が、40代どんな風にフリーランスの活動やってきたのか記録として書いてみようと思います。


その前に、30代の話も少し書かないと40代との比較ができませんね。

▶︎30代

30代は仕事がどんどん入ってきました。しょっちゅう依頼が来てました。取り引きしてるゲーム会社も沢山あったし、CM音楽の仕事もちょいちょい入ってきてました。CM音楽は単価が高いので一度依頼があるとそれだけで1ヶ月働かなくっても大丈夫って思ってました。生活できるだけのお金があると十分なので、やりたくない案件(曲調)は他の作曲家にどんどんと発注してました。映像系の仕事もたくさんやったし、大きめのweb広告案件もずっとやってました。やったことないタイプの仕事がどんどん入ってきて、あらゆる業界の案件が並行して常に動いてました。同時に受けてるプロジェクト数もすごく多かったです。

32歳の時に子供が生まれて仕事のやり方を変えました。せっかくフリーランスなんだから子供と一緒にいる時間を増やしたいと思い、コスパを考えるようになりました。トラック数が少ない、曲も短い、得意なのでパパっと作れる「かわいい音楽」を軸にしようと思いました。番組オープニングとか短い尺の仕事も増やしました。あまり働かずに収入を得る、みたいなスタンスに変えていきます。営業したというよりは、今まで仕事した中からそういう案件だけをピックアップして、作品集作ったりwebにまとめてたので、そういう印象がついたんだと思います。というか、そういう印象をつけた。(名刺にも細工したので)

28歳までずっとゲームの音楽ばかりで、すべて買取だったことに危機を感じてました。40代以降仕事が減る可能性が高いので早く印税ものを作らないと生活が苦しくなるって思ってました。34歳くらいの時にライブラリーミュージックみたいなことを自分で始めました。印税ものがボチボチ増えました。はじめてもらった印税は「とんねるずのみなさんのおかげでした」のトークダービーというコーナー用につくった2曲でした。作曲した5日後くらいにはテレビで流れてました。

他には、想定してなかった劇伴の世界にうっかり足を踏み入れます。CM音楽とゲーム音楽で十分生活が賄えていて比較的空いた時間もあったので、たまたま誘われた制作費激安の映画や短編テレビドラマの音楽などを手伝うようになります。(このあたり詳しく知りたい方は、この記事を読んでください)

そうそう、大事なことを書き忘れてました。

ずっと東京で活動してたのですが、2010年の夏(38歳)に千葉館山の一戸建てを借りて、2011年4月に移住しました。東京から100km離れた千葉房総半島の最南端です。東京に借りてるマンションも残しての2拠点生活がはじまります。はっきり言って、これから40代の難関を迎えるのにめちゃ不利な状態を自分で作ってしまって、これから仕事がどうなっていくのかビビリまくってました。当時はまだオンライン打ち合わせなんてなくて対面が当たり前でした。例えばCMだと突然編集室に呼ばれてオフラインを見ながら打ち合わせみたいなこともありましたし、館山に戻った途端「明日打ち合わせ」って呼ばれたらむちゃくちゃ困る、、、とも思ってました。実際、コロナ前まではスケジュールの調整でドキドキすること多かったです。

そんなこんなで30代を終えるのですが、最悪な40代がはじまります。
(秋元康氏とどうやって知り合ったのかも書いてます)



▶︎最悪な状況で40歳を迎える

フリーランスは恐ろしい、、、

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