見出し画像

10代でイスラエルをバックパック旅行をし2時間の取り調べを受けたハナシ【日本人なのにテルアビブ空港乱射事件のことを知らないのはフェアじゃない】

以下は1990年代の話なので、今では様子も違うかもしれません。

この頃、私は二十歳になる少し前でしたが、バイトで貯めたお金を使って初めてのバックパック旅行をやりたいと思い、イスラエルを行き先に選びました。

画像1

当時はネット環境も未熟でしたから、出発前の日本での下調べがとても重要でした。そこでイスラエルのバックパック経験者から言われたことは、

「日本人の若者がバックパックひとつでイスラエルに入ろうとするなんて、めちゃくちゃ背後が疑われるから、空港で相当な足止めを食うに違いない。空港での滞在時間をくれぐれも計算に入れておくように」

とのことでした。当時既に知識としては知っていた「日本人の若者がかつてイスラエルでテロを起こしていた」という話が、初めてリアルに迫ってきた時でした。

その情報の通り。

私は空港で、パスポートを見せて荷物検査をしている最中、突然呼ばれて、

二人組のイスラエルの兵士(やけにフランクな若い女性兵士二人でしたが、これは私が若いから配慮していたのか、背後でコワモテ兵士が控えていたのか、それともそもそもこうするもんなのかは、ナゾ)に別室に案内され、

どこから来たのか、イスラエルでは何をするつもりか、日本ではどんな学校に行っているのか、家族構成は、、、ところで、どこから来たのか、イスラエルでは何をするつもりか、、、

云々を、一時間半ほど、徹底的に質問攻めされました(同じことを何度も何度も聞いてくるので、内容だけでなく、どこかで矛盾した答えを言わないかを確認していたのではと)。

それくらいやって、どうにか「大丈夫そう」となったのか。やっと解放されて、パスポート審査の列に戻されたのですが。

そこで、たまたまそこにいた日本の別の若いバックパッカーが、私を見つけて「あ?日本人の方ですか?」と呑気に日本語で話しかけてきたところ、、、

さっきの女性兵士たちがガーッと戻ってきて、

私はまた別室に連れ込まれ「いま、話しかけてきた奴は何者か」「前から知っていた奴か」「日本語で何を話していたのか」と、追加30分ほどの取り調べを受けるハメになったのでした。

イラッとしましたよ。あの雰囲気の中で、話しかけてくんなよ!・・・と。

ともあれ、あの若いバックパッカーもきっと、彼は彼でまた別の部屋に連れ込まれて徹底調査を受けたに違いないから、深い恨みは抱かなかったけど。

さて。

こんな話をすると、「イスラエルって厳しい!」となるかもしれませんが、テルアビブ国際空港が地獄の徹底ガードになったのは、日本人のせいである、という点は、もっともっと、知られていい。

↓↓↓

国際空港という場所でこのようなテロが起こったこともさることながら、

政治目的のテロなのに、一般観光客を大量虐殺する、というその恐怖性も、世界に多大なる衝撃を与えました。まして死者の多くはプエルトリコからの観光客一団で、まことにもって何の関係もない。

それにもかかわらず、イスラエルの人たちは驚くほど日本に好意的なので、そのことに旅行中の私はむしろうろたえてしまった。

かのテロ事件も過去のことになった、といえば、それでおしまいな話なのですが、しかし、

過去に悲惨な事件があり、あの空港でたくさんの観光客が無差別に殺されたということ。

そういうことがあったことを知らないままに、その後の日本イスラエル関係の好調や、現代社会の国際交流の恩恵をのんのんと受けるのは、やはり、フェアじゃない。

そして、私にとっては、イスラエルをバックパック旅行してみて一番心に残ったのは、テルアビブ国際空港で感じた、あの緊張感だった、ということは、申し添えておきましょう。

※その旅行中に私が撮ったテルアビブの写真を以下に貼り付けます。気候が穏やかで海水浴もできて素晴らしい土地でした。もちろん、1990年代の写真なので、今のテルアビブはまた様子が違っていると思います。

画像2


子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!