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【夢日記】私が特に不思議なインパクトの夢を見る時、問題となるのは結局「タヒんだらどうなる?!」という心配

皆さん、こんにちは。

noteで夢日記や、見た夢を通じての精神世界の考察などをしている、ヤシロと申します。

自分自身の心身を実験台に、夢の研究などを長年やっているせいか、普通の方から見るとかなり「スピリチュアルより?」と思われるような、突拍子もない夢体験をすることもあります。

先週末に見た夢もそんな感じで、

簡潔に述べますと、

幽体離脱をした夢を見ました。

夢の中で、自分の魂が自分の体から抜け出てしまって、

自分が寝ている部屋と、ベッドに寝ている自分自身のカラダを、上空から見下ろしながら、だんだん高いところにのぼっていく、

という、スピリチュアル界隈でよく話題になる夢のパターンです。

ハイそうです、私もこの、幽体離脱体験を、夢の中で、たまに、やります。

ですが、ここが私、ガチの「オカルト好き」な方からは嫌われてしまうところなのですが、どうも本職がエンジニアであるというところがこういうところで「出る」のか、こういうスピリチュアルぽい神秘体験をした時にこそ、私の実証主義的な精神がフル稼働しちゃうんですね。

そして、私のそんな見方からすると、

私が「幽体離脱」をしたとき、確かに、ベッドで寝ている自分自身の体を上から眺めていますし、自分自身の部屋を上空からみていることも確か。

ですが、残念ながら、遠近法というか、光の加減というか、そういうものが物理的に「何かおかしい、なにか、部屋の遠近感覚が歪んでいる!」という感じがするので、少なくとも私の「幽体離脱」体験は、おそらく夢の一種、、、寝る前に見た部屋の中の家具の配置とかがうまく反映されているからリアルなのですが、やはり、あくまで、夢の一種なのだとは、思っています。

※ただしこれは、「『私の場合の』幽体離脱は、どうやら、オカルトでもスピリチュアルでもなく、ただの脳作用の一種」と言っているだけであって、世の中で報告されているすべての幽体離脱の報告事例が私と同じ「夢にすぎない」と総括しているわけではないことにご注意を!私の場合は、幽体離脱な体験をしても、覚醒した後に思い返すと「ただの夢だった」と説明がついてしまうものばかり、というだけです。もしかすると、世の中で報告されている幽体離脱の中には、私のケースからの類推では説明できないものもあるかもしれません。その可能性は、私にも否定できない。

まあそんなわけで、ガチの「臨死体験レポート」とか、あるいは凄い宗教的修行をしたヨガ達人などが見ている幽体離脱などの正体は、私にはわかりません。

少なくとも、『私の場合の幽体離脱』は、上記のように覚醒後に「夢の一種のようだな」と説明できてしまうようなものばかり、というだけです。

ただし!

そんな私の「幽体離脱の夢」についても、確実に、ひとつ、言えることがあります。

そういう「幽体離脱」の夢になった時、私はつまり、空の上を遊泳できる「魂」のような存在となって、高いところへ高いところへと昇っていくわけですが、

そういう夢の場合、「せっかく空を自由に飛べる存在になれたのだからスーパーマンみたいに好きに世界を飛び回ろう」とか「なにかえっちなイタズラをしてみよう」とかそういう発想にはならず、

死んだ家族が出てきて、話をしたり、

死後の世界?ぽいところへ歩いて行く行列を見たり、

あるいは、死後の世界の入り口と推測される、光に満ちたトンネルを見たり(たまに気味の悪い暗黒のトンネルという場合もある、、、そういうときはめちゃ怖い)、

そんなふうに、ことごとく、

「死んだらどうなるのだろう?」という疑問に応答してくるような光景の夢になる、ということです。

これがなぜなのかは、よくわかりません。

ただただ面白いのは、私、昼間は「死後にどうなるか」なんて「そんなの決まってる!死んだ途端に意識もなくなり、まったくの無になるのだ!」と思っている、かなり唯物的な考え方の持ち主なのに、こういう夢を見ている間はすっかりそんな「昼間の態度」を忘れて、死後の世界が「あるかのように」振る舞っていること。昼間の私は唯物論ぽいのに、幽体離脱の夢を見ている間の私は、なんの疑いもない「死後に何かが続くことの肯定者」になってしまっている、ということ。

これは不思議なのですが、

少なくとも、私自身については、

「昼間どれだけ唯物論的に『死後は無になる』と確信を持っていても、夢を見ている間に出てくる、無意識レベルの私は、どうやら本能的に『死後に残るナニか』を信じ込んでいるらしい、ということ。もしかしたら、現代的な私がどれだけ科学的な見地に立っても覆せない、「無意識レベルでの死生観」というものが、私の脳の奥の奥には強く根を張っているらしい。

それが、いいとか、悪いとかではないのですが、

今の年齢でも、こういう夢を見てしまうということは、

もっと年齢をとって、死がますますリアルになってきた時、

その時の私において、「昼間の『死後は無になる』と信じてる現代的な科学観の私』」と、「夢の中で顕現する、『死後の何らかの世界を信じている神話論的な世界観の私』」、どうがんばっても、どんどん、後者のほうが強くなって来てしまうのではないでしょうか?

そして、若いうちはどれだけ、科学的な世界観に呼応して「死後には意識も何も残らない!脳死と共に意識も無になる!そんなの当たり前でしょ!」と言っていたものも、年齢を重ね、まして、老年による痴呆も入ってきたら、結局は「死後のナニカ」を本能レベルで信じる神話論者にどんどん戻ってしまうと仮定するならば、

いったい、現代社会の教育によって作られてきた「唯物論的科学を常識とみなすドライな現代人の仮面」って、なんのことはない、薄っぺらなものだった、となりはしませんか?

とにかく、自分の場合、夢日記をとって観察を続ければ続けるほど、「肉体的な性欲を超越した、プラトニックに愛せる理想の異性(天使?)」とか、「死後にも何らかの意味でナニかが続いていく予感」とか、そういう古代の神話的な世界観(つまりキリスト教とかイスラム教とかが出てくるよりもずっと昔から各国の民族にあった素朴な神話的宗教のコスモロジー)そっくりな発想の夢ばかりになっていくというのはとても興味深いのです。

※そしてそう考えた時、私が俄然、シンパシーを感じることができる「現代の学者」としては、世界の神話の「構造」抽出に勤しみ「神話の論理」の合理性を認めた、我らがクロード・レヴィ・ストロースということになる。私はまだまだ、レヴィ・ストロース先生から、学び切っていないのだ、きっと、、、!

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というわけで今回は、

・長年「夢日記」「夢見る方法の研究」をやってきた私は、幽体離脱の夢もたまに見ている

・残念ながら、私が見てきたかぎりの幽体離脱は、オカルト界隈の人が強調するほど特異なものとは私には思えない、あくまで「脳作用が見せてくれる錯覚現象のひとつ」と思う

・ところが、なるほど、そんな私もそのような幽体離脱の夢の時は、「死後の世界」を予感させる「まじめなテーマ」の夢になることは認めざるを得ない

・そしてそういう夢の中での私は、普段の唯物論的なドライな態度をすっかり忘れて、まるで死後の世界を「そういうものがあって当然」のように感じ、そのように振る舞う

・もしかすると、私のような現代人の脳の中にすら、そんな程度の科学教育でも覆せないほどの「神話的思考」の本能が無意識にはあって、夢の中とか、あるいは、老人になって頭がボケてくればくるほど、そういう「神話的世界」にだんだん戻っていく傾向があるのでは?

・という仮説を立てると、「人類共通の『神話的思考』なるものが、ちゃんと我々の中には残っている」という仮説を立てた、レヴィ・ストロース先生とかが、実はめちゃくちゃ重要人物ということにならないか!?

というお話をさせてもらいました。

なんであれ、夢日記なるものを続けていると、「夢、という、無意識世界が露骨にスパークするところでは、昼間の現代人としての顔とか態度とかはまったく役に立たず、まるで新石器時代の人のように、自然神の存在とか、究極の理想的な異性神(プラトニックな愛の対象としての)との邂逅とか、死後の世界とのエンカウンターとか、トリックスター的な「悪戯神」に知的なからかいを受ける話とか、そういう神話的なテーマが爆発することがある」という点には気づかざるをえず、しかもその傾向は自分が歳をとればとるほど激しくなってくるようなのです。


子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!