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日本仏教はもしかして世界仏教界の変わり者なのか!?中年になって突然指摘されてビックリしたこと

皆さん、こんにちは。

noteで夢日記を連載しているヤシロと申します。

夢日記などというものに熱中しているだけあって、いわゆる「スピリチュアル寄りな」ことの勉強、たとえば精神医学とかプロセス心理学とか可能世界論理学(スピリチュアル寄りと言っちゃ悪いか・・・)とかが大好きでして、

特に過去、noteでも何度も記事にした通り日本仏教も好きなのですが

なぜ日本仏教が好きかというと、

「この世のすべては所詮は空だ」とさんざん言っておいて、「しかし、空であるがゆえに、この世のすべては美しい」と転換するところです!

特に、「花とか石とか昆虫とか」ちっぽけなものにも「無限の愛おしさ」を注ぎ込む、

ちいさきもの・よわきものへの優しさ

がたまらなく好き。

ところが、最近、『日本の夢信仰』という本、および『日本仏教の思想』という本を読んで、

そのように、「空」とか「無常」とかいうものをさんざん語りながら、突然「だからこそ、この世は美しい」という現世肯定に論理を大転換するのは、日本仏教の顕著な特徴であって、

インド仏教とかチベット仏教とかは、バリバリコテコテの哲学で、「空とは何か」「無常とは何か」を論理的に徹底的に問い詰める。「だからこそ美しいのだ」みたいな感受性的なことは絶対に言わない。日本仏教みたいな「か・ら・の・価値転換!」みたいな唐突なことはやらない

ということが書いてあって、かなりビックリしました。

え?そうだったのか!僕は四十数年、ずっと、「仏教」ってのはみんなそんなふうに「ニヒリズムからの、現世肯定への大どんでん返し」をやるものなのだと思ってましたけど、日本仏教の特徴だったの?!(※ただし『日本仏教の思想』によると、「中国仏教」「韓国仏教」となるにともなって、だんだん、日本仏教に似てくるところはある、との旨。だがそれでも、日本みたいな「ほとんどアニミズム(w)」な結論への大転換は中国韓国でもやらないみたい)

でもですねえ・・・私は、やはり、日本人なのか、

↑この転換、私のアタマの中では、とっても自然な論理展開だと思うのですよ。皆さんも、「なにがおかしいの?空だからこそ、自然の中の小さな命が愛おしいって、普通の感性じゃん」と思いません?!え?インドやチベットからみるとぜんぜん論理的じゃない?でも私には凄く自然に見えるのだが・・・これが、日本人として生まれ育ったってことなのか!?

そして、もうひとつ、偉そうなことを言うならば、

もし、こういう「仏教の解釈」が、日本仏教の特徴なのだとすれば、

今、多様性とか、多元主義とかが強く言われている世界、

私は、この「日本仏教的な論理が、自然に身についている人間」として、それをアイデンティティにして世界に向かうべきなのでは!とも思うのでした。

つまり、

日本仏教の発想が、そんなふうに、他国の仏教から見て「変わっている」というのが、もし本当だとしたら、

でも、

それって、個性として、大事に伸ばしたいところじゃないですか?いかがでしょう?

※追記:そして私は、誰が「日本仏教をこうしたのか」と言うと、犯人は複数いるものの、決定的な影響力を発揮しているのはけっきょく、かの、弘法大師空海大先生ではないかと予感してます。お寺にこもって経典を勉強することよりも、山岳修業を若き日の鍛錬方法として選んだ人ですものね。だから私は「空海空海」いつもうるさいのだw

子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!