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どうしてトルコのことを知らないとギリシャのこともわからないのか?(※怪談論も少し含め)

2019年にnoteに掲載した「和歌山串本町の日本トルコ友好記念館を訪ねた」マガジンを、この連休で、読み直していました。

かえすがえす、この時の旅はよかった。いまから思えばコロナ禍直前の旅程でした。つまり、このタイミングを逃していたらもう行けなかったかもしれない。きわどかった。

そして何よりもこの旅での収穫は、取材前後のトルコ側ライターさんとの交流で、私とトルコの関係が決定的に深まり、

私にとって「トルコ」が大事な国名になったことでしょう。

以来、歴史の見方が変わった。

トルコ人はもともとアジア人だったという親近感もあって、でしょうか。オスマン帝国が世界史の中でいかに西欧各国やロシアに食い物にされてきたかがわかるにつれ、いつかトルコがまた華やかに復活してほしいと思うようになった。(※でも、今のエルドアン大統領の独裁的な大トルコ主義に賛成しているわけではない、念のため)。

それにしても、

少年時代にギリシャに滞在したことがあり、

大人になってトルコとの縁ができた、

・・・という私の立場から、つくづく、言えること。

それは、

現代ギリシャとトルコの歴史は表裏一体、あわせて勉強しないとわかりにくい、ということ。

西洋の人が東アジアの歴史をやるときには、日本と朝鮮と中国の三つを同時にやらないと、「どれかの歴史観に偏ってわからなくなる」のと同じ。

ギリシャから見た歴史と、トルコから見た歴史は、それぞれ言い分があって、かつ、双方、相容れないモノの見方をしている。

それを知ったうえでどちらかの「ひいき」になるのはまあよいけど、まず双方の言い分は知っておいた方がよい(たとえば、なぜギリシャは何度もイスタンブールを軍事的に占領しようと無謀な戦争をしかけたのかとかね)。

ギリシャとトルコ、

双方に縁ができてしまった人生の持ち主として、

この辺りの話も、どこかでまとめて書いておきたいなあ、と思った今年の連休でした。

ところで、

「ギリシャやトルコにも、怪談はあるのですか?」と聞かれたことがあるのですが、

はい、もちろん、ありますよw。

特にギリシャは迷信俗信とフォークロアだらけと言ってよい。現代ギリシャは、ギリシャ神話やギリシャ哲学の国ではもはやなくて、文化的には昔の言い方でいう「東欧」ですからね。だから、はい、バンパイヤ伝説に似たものもちゃんとありますよ。

このあたりの話も、どこかでまとめて書いてみたいな、と思っています。


子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!