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「この壺は霊力を持ったありがたい壺である」に科学は対抗できるかの完全なる私見

皆さん、こんにちは。

昨日の以下の記事の、続きとなります。

どうして私は物理学を学び直しているのか、と言うと、

私は「夢」「瞑想」といったスピリチュアル系な話題を発信しているわりには(いや、そういう話題が好きだから「こそ」かな?)、科学というものを強く信頼しているから。

どんなに私が面白いとかステキだとか思ったことでも、ふと冷静に科学的に考えたときに「ありえないな、、、」と思ったことはあっけなく否定してしまいます。

私が興味を持つのは「科学がまだ解明しきっていないかもしれない領域」の不思議なハナシです。まあ、遠い宇宙の話とか、量子という超ミクロな話とか、、、そしてまだまだ謎の多い、人間の脳のこととかですな。

ただし!

そんな不思議好きな私にとっては残念なようでいて、科学好きな私としては希望に満ちている点、

宇宙のことも量子のことも脳のことも、これからどんどん、科学の力で解明されると思っています。

そうしている中で、私が今「不思議!」とnoteなどでネタにしていることの多くが「実はただの錯覚でした」と科学にバッサリやられることは覚悟の上wです、、、ただし、十個に一個くらいは、「確かに、2020年代頃の科学では判明していなかった、驚くべき人間の脳の隠されたパワー!」みたいに、いつか科学の側からもお墨付きをもらえることがあったら、いいな、と思ってる。

どうしてそんなに科学を信用してるかというと、

なんのことはない、

人によって「科学」の定義にも何種類か分かれると思いますが、

私が考える「科学」の定義というものが、

人類の歴史と共に、自分自身の寄って立つ理論や方法論そのものも進化させていく柔軟なもの

だからです。

現代ではまだ「未解明」とされているものも、科学はまさに自分自身の基盤理論を進化させながら、ついには「未解明のものを解明する方法」そのものを見つけてしまうところがある。

さらに凄まじいことに、

現代の科学は「確率・統計」という武器もどんどん進化させているので、「科学の力を持ってしても100%のコントロールは無理」な現象であっても、

なるほど理想的なカタチのサイコロを振った時、次に出る目を確実に予測することは科学の力でも原理的に無理だが、「それぞれの目が六分の一の確率で出る」という確率的な予測はできるし、「何度も振っていると平均値はどんどん3.5に近づいていく」という統計的な予測もできる。つまり、コントロールできない対象でも「確率統計レベルでのしくみ」は解き明かせる。

とは、言える。

この、「確率統計的なしくみの解き明かし」さえも、広い意味での「科学による解明」だとしたら、もはやこの宇宙に存在するものでデータが取れるものであれば、膨大な時間と膨大なコストをかければいずれは科学の範疇に回収されると思ってますw。もちろん、科学がそこまで究極進化する前に、人類が滅亡するタイムリミットがきてしまう可能性も高いので、あくまで「原理的には」の話ですが。

逆の見方をすると、

データとして取れないものや、

見る人によって対象自体の意味が変わる「価値観」とか「善悪」とかの問題には、科学は何もできない(だがそれは当然といえば当然で、価値観とか善悪とかいった問題には科学は何も口出ししてこないことをもって「科学はたいしたことねえな」と言う人はいない筈だw…ていうか科学が価値観やら善悪に踏み込んできたらそれは何かそもそも嫌でしょ?)

ゆえに、

なるほど、

広大な宇宙のどこか、とか、
とてもミクロな量子の世界の話、とかには、

まだまだ、人類が「データを取れていない」がゆえに、科学で解明できていないことが、かなりたくさん、残ってるかもしれないし、、、そう考えたほうが夢がありますよね?

ですが!

ですがですが!

ですがですがですが!

昨日の記事の繰り返しになりますが、これだけ人工衛星から体温センサーまで、大量の「測定機器」が飛び交っている、現代の人間の住む街や村に、

「まったく科学で測定できていない未知な領域が残っている」、、、とは、私にはとうてい信じかねるw

それが、「地球にはごくごく微量しか到達してくれないほど稀な宇宙からの粒子」とかいう話なら、なるほど、それは、私たちの生活世界の中にもまだ科学が拾えていない「なにか」が潜んでる可能性はある。

だが、100万円とか200万円とかで売られている壺とかに、科学でも測定できない何かが宿ることがあるとは、私にはとうてい思えないw

もちろん、そういうことを言う人は、

「この壺には科学では測定できない力が込められている」と主張するでしょう。

しかし、その発言、どう見ても、「何かの力が、壺という物体の中に保存されている」わけですよね?保存されているナニカがいかなる測定でも検知できないまま二十一世紀まで放置されているとはとうてい信じかねる。。。いやよしんば、現代の技術では抽出しにくいナニカが入っているのだとしても、「重さがなぜか変わることがある」とか「放射線を当てた時だけ、ある特定の壺が他の壺と違う反応をする」とか、何かしら「違い」は測定されている筈です。

そして新しい発見に飢えている科学者が、そんなことに気づいたら、むしろ放っておくわけがなく、

「今の科学ではどうも測定できない、ナニカの力が、ある特定の壺に備わることがあるらしい!その力がいつか発見されると予想する!」という、「○○の予想」みたいな、科学の「未解決問題のひとつ」として、科学誌のネタに出てきそうなものです。ところがそのような、「測定はできないが、何かがあるぞ!」という報告すら、ない。

ちなみに、

よく信じられているのと少し違って、科学は別にオカルトや心霊と対立してはいないと思うのです。以下の書物に詳しいですが、十九世紀の頃は、世界の高名な科学者が「心霊現象」の科学的研究に手を出すことは、よくある話でした(いや現代でも少数派ではあれ「心霊現象」を追いかけてる科学者はいますし)。

最近の科学者がオカルトや心霊に冷たいのは、何百年もかけてこれだけたくさんの科学者が「オカルトの科学的解明」や「心霊の科学的解明」に邁進してきたのに、みごとに何も出てこないからですw。「これだけやっても無駄足なら、もう何もないってことじゃね?」というw

まして、、、まして!

壺の中には何もないのは、もはや確実と言っていいだろうと思う。

ただ、ひとつだけ、オカルトや心霊を科学的に解明できるかもしれない方向性が残っています。何を隠そう、私もこの意見なのですが↓

古来からオカルトとか心霊とか言われていたものは、物理現象ではなく、人間の頭の中で起きている、悪くいえば一種の錯覚、よくいえば「脳が見せてくれる不思議な作用」と解釈すること。

これなら、実に多くのオカルトや心霊が、「目撃証言は必ずしも嘘をついていたわけではなかった」と守られた上で、しかし、科学の範疇にすぽりと戻る、、、これが、私がしつこく「脳の作用だと思う」とオカルトや心霊をバッサリ切りつつも、その事例集めに興味津々な理由なのです。

でも、

「それだと、『この壺を買うと、一種のプラシーボ効果で、あなたには幸せなことが増えますよ!そういう意味で、この壺には、ある特定の人には実益があるんです!』と売ってくる人には対抗できなくならない?」

と思われたかもしれませんね。

まあ、そうかもしれません、

ですが、「同じ現象ならば、説明に経済的合理性の高いほうを採用すべし」という、これまた科学的な考え方を取れば、

「信じる人のプラシーボ効果を訴えるならば、何百万円の壺を購入することで『幸せが訪れるような気持ち』にさせるよりも、有名な神社に観光に行って三百円のお守りをお土産に買ってきて、そんな幸せな気持ちになってもらったほうが、経済的にはるかに効率的では?」と私なんぞは思ってしまう。。。そういう意味では、私はなるほど、これだけ科学科学言っていても、神社にお参りに行って安全繁盛を祈願することはよくあるぞ!

以上、科学好きのスピリチュアルネタ好きという変わり者なりの、科学についての私見でした。

なお、今回の記事で何度も述べた「何百万円の壺」という例は、わかりやすいから例として使ってるだけで、特定の誰かや団体を批判する意図は特にないですw(ていうか私がそういう宗教時事問題にあまり詳しくない、、、)。そこは、あしからず、、、!

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子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!