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ニーチェを【ハードSF思考】の先人として敢えて読んでみる「あれ?意外にSFファンと親和性があるのでは?!」

皆さん、こんにちは。

noteで夢日記を連載しているヤシロと申します。

のみならず、夜見る夢をかなり「テツガクテキ」に真面目に分析考察する手前、過去のSFや幻想文学なぞの読書癖にもまみれています。

そんな私、先日、藤本敦也著『SF思考』という本を推薦させていただきました。

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この本は、「未来の世界はどうなっているか」をSF小説の力を借りて想像し、それをビジネスアイデアにつなげよう、という内容でしたが

私はこれを勝手に拡大解釈し、最近、『ハードSF思考』という言い方をしています。

私が言っている『ハードSF思考』というのは、

「1万年後とか100万年後とかの途方もないスケールの未来を、SFフィクションを参考に想像し、それをもって現代を見る目を相対化して、心の健康を得よう」というものです。

まぁ、仏教で出てくる「何億年もの未来を考えれば現世のどんな王国や帝国もはかないものじゃ」という言い方や、あるいは手塚治虫『火の鳥』によく表現されるような「クローンが当たり前な未来とか、不老不死が当たり前になった未来とかを考えると、現代の我々が自己認識している『ニンゲン』の常識とか善悪の基準なんかもいつかは崩壊する、束の間のものだ」と考える感じでしょうか。

途方もないスケールの未来を考える事で、現代の悩みや不安を「ちっぽけ」に感じ直し心の平穏を得ることだけが目的なので、ビジネスの役にはまったく立ちませんw

そんな『ハードSF思考』を体現している先人に、どんな人がいるかなぁ・・・と思っていたら

ふと、意外な人を思いつきました。ニーチェってそういえば、まさに上述の『ハードSF思考』的な意味でも読める、「SFっぽい発想をする哲学者」じゃありませんか?!

↑と、ご本人(※というか、ご本人を模した私の頭の中の「ニーチェ人形くん?!」)からクレームが入ったので、証拠を示しますが、

たとえばニーチェの以下の文章を読んでみてください!めっちゃSF作家みたいな発想の文章じゃありません?ニーチェは19世紀人だというのに、こういう「宇宙論」みたいなレベルでものを考えているっぽいのです。

「幸いにも今は栄えている人間という動物だが、そもそも地上でのこの生活はまばたきの間でしかない。いかなる出来事も、地球から見れば、どうでいいことにすぎない。その地球ですら、すべての星々と同じように、かつて無から生まれ、またいずれは無に消えていくモノにしかすぎない」

私が、哲学科出身でもないくせに、ニーチェを愛読してしまうのは、もしかすると私のSF小説好きの部分が、ニーチェのこういう発想法と共鳴しちゃっているからかもしれない・・・

他にも「永遠回帰」にせよ「生成の無垢」にせよ、ニーチェが掲げる「壮大なキーワード」は、SFを例にあげて考えるとわかりやすくなるものが多々あるかもしれません

というわけで、私も今後の読書体験の中で、もしまた「ニーチェ+SFの親和的」な部分に気づいたら、noteで記事にしたいと思います!

以上、今日は夢見人というよりは読書人としての私からの、「ニーチェをSFファンとしての目で読んでみる」読み方の可能性のオハナシでした(※最近、インパクトのある夢がなかなか来ず、本編の夢日記のほうが更新進んでおらずスイマセン)。


子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!