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202403-04_半透明な時間

自分のための創作日記(雑記)として迂闊にはじめたので、とにかく自分にとっていい感じな方がいいなと思い、二ヶ月をまとめてしまう。まとまりきっていなくても、そのまとまっていなさが長く続いている場合は大抵の場合、実は割と重要だったりするので、まとまっていないものも一旦、できるだけそのまま言葉として立ち上げるようにしたい。それでこその雑記である。


関心の跡と認識

3、4月の頃に考えていたことは通り過ぎてしまったことなので、思い出すことが難しく、自分の中で重要な問題として考えていたかもしれないが、現在までその思考や関心が継続していないものについては、少しその存在が薄れてしまっているのだと思う。
ただ、逆にいまでもこれは自分にとって重要だな/関心だなということは、その跡をしかと自らで認識できているという意味で、記憶や身体に定着していることなのかもしれない。
3月は、短編映画の撮影をしていて、4月にはその講評があり、そこで色々脚本や撮影のことを考え直し、そのあとに友人の修了制作の撮影もさせてもらっていたので、そこでは講評の際にもらったコメントや自分の作品について感じていたこともフィードバックされていたように思う。

熱海かどこかのアヒル

3-4月のハイライト:表面的なスケッチにならないこと

短編の講評で印象に残っていること
『スケッチっぽい』≒観客が置いていかれていってしまい、関係しないように感じられる会話が続いている
物語がわかりにくく、少し内容が入ってこなかった。
主人公のモノローグや抽象的な台詞が多く、観客が置いてかれるような印象をうける。
台詞回しが少し臭く感じる。
観客に向かい合わない、内輪だけの会話
カメラが3人の中に入っていかない感じがある(もっと3人の中に入っていったほうがいい)
・(質の低い)現代日本映画っぽい、三宅唱の『君の鳥はうたえる』『東京公園』など

印象に残っていることはいくつか合ったが、「セリフが中々入ってこない」≒物語が少しわかりにくく感じるというのがコメントとしていくつかあった。

今回の短編は主人公のモノローグ的な語り、登場人物同士の現実での会話、現実と空想の中間のような噛み合っているようでかみ合わない会話の主に3種類の語りがあり、その上でそれぞれが抽象的な内容を持っていた上に、時間軸も少しねじれていたので、情報としての負荷が高かったように思う。

それ自体にももう少しや利用は合ったのだが、個人的にはこの後にかく、【観客が物語に入り込む時間】や【観客がスクリーン上の物語を鏡として、自らの経験や記憶の中に物語を見出していく時間】についての意識を強く持ち、脚本や編集をできると良かったのだと思う。

あとは、(多分そこまでひどい言われ方はしていないが)、(質の低い)現代日本映画のようで面白みに欠ける、みたいなコメントがあり、これは割と悔しかったのでとてもありがたかった。
(クオリティの意味ではもちろんなのだが、例えば濱口さんや三宅さんのようなものは尊敬しつつも、それとは違うことをやりたいよなと天邪鬼に思っている部分もあるので、ある種で無意識のうちに、そこに接近してしまうのは反省だなと言う部分である。)

なんかそう言われると(上述の短編のコメントで言われたこと)、自分の撮る写真とかも雰囲気というか、写真に写っているそのもの自体は割と重要に思っていない節があるので、逆に雰囲気の解像度というか、雰囲気以上の雰囲気みたいなものを志向するというのも有り得そうではある。(それが何かはまだわかっていないが)

3-4月のハイライト:物語が立ち現れる場/物語の所在地

4月末に、仙台にストローブ=ユイレに影響を受けた映画監督の特集上映を見に行った。

暴力的にさえ感じる長回しや既存のテクストや作品の引用を通した役者とその役者から発せられるテクストの関係など、特徴は様々にあったが、物語の筋から、ある種独立というか、空白や鏡として存在できるスクリーンの時間に自分は特に関心を持った。スクリーンに映し出されている、映画それ自体の物語を観客である我々は見るのだが、圧倒的な長回しやただ単に物語として必要な情報を伝える以上の会話やテキスト、 10分間にわたる人物の顔のクロースアップや川の風景など、そのような「ある種の余白的なショット」によって、これは果たしてなんの時間なんだ?と感じさせると共に、ある瞬間にスクリーンが鏡のようになり、それをを見ている観客自身がその映像を見て、自分の何かの経験や事象を思い出したり、それまでのスクリーン上の物語を思い出したり、するなど、スクリーンをある種の鏡、媒介として観客自身がその映像に意味を生み出すような時間、ある監督の寄稿文では、それを「観客自身が映像をShootする必要がある」と書いていたように僕は記憶していて、強く印象に残っている。(記憶で書いているので正確な表記ではありません。)
まだ自分のなかでうまく咀嚼できていないが、あの日あの時間、あのスクリーンの前で起こっていたことは、まさしく映画固有のもので、もちろん、家でパソコンのモニターで映画を見ているものとも決定的に違っていた。

仙台の公園にあったこけし

3-4月に見たもの・読んだもの

・『夜明けのすべて』
・『穴あきエフの初恋祭り』
・『柴田聡子ライブ』
・『ブエノスアイレス』
・『瞳をとじて』
・『二重のまち / 交代地のうたを編む』
・『王国(あるいはその家について)』
・『人のセックスを笑うな』
・『ピアノレッスン』
・『恐怖分子』
・『天はすべて許し給う』
・『パンチドランク・ラブ』
・『美と殺戮のすべて』
・『S高原から』
・『桜の園』
・『夜を走る』
・『海がきこえる』
・『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』
・『魔女の宅急便』
・『風の谷のナウシカ』
・『私は死んでいない』
・『早すぎる、遅すぎる』
・『Outside Noise』
・『天空の城ラピュタ』
・『もののけ姫』
等々.

5月にジブリパークに行くことになっていたので、ジブリをかけこみで見ていた。
来月は物語の中の登場人物についての関心について書きたい。

強羅のデイリーヤマザキの前にいたネコ(2022)

追伸.
作った短編はリンクにてお見せできるので、もし興味がある方がいたらご連絡いただけたら嬉しいです...!

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