見出し画像

私が移住を決めた理由②

「そうか、その手があったんだ」
主人からUターンの話を持ちかけられた時、次にこう思ってしまった。自分でも少し驚いた。
私けっこう岩出山に魅力を感じていたんだ、と。
(”私が移住を決めた理由①”もどうぞ)

私たちが移り住んだ街、すなわち主人が生まれ育った大崎市岩出山は、宮城県の北西部にあり、周りを山と田んぼに囲まれた田舎町。仙台までは高速を使って1時間くらい。
よくどのくらい田舎なの?と聞かれるんだけど、私の出身地・広島で言うと三次や庄原くらい、かな。

岩出山の人口は約1万人。そのうち約37パーセントが65歳以上だ。5校あった小学校のうち4校は昨年閉校してしまい、1校に統合された。その1校も1学年2クラスほどしかないそう。 

そんな少子高齢化が進む街のどこに魅了を感じていたのか改めて考えてみた。
一番は、歩けるスケール感、かな。
そして、歴史があること。個人商店が多いこと。

私は、そこに息づく文化とか生活感に触れるような街歩きが好きで、長年暮らした鎌倉も歩くのが楽しい街だった。谷中とか尾道とか、海外だとアムステルダムとか、そういう歩き方のできるコンパクトな街に魅力を感じる。
反対に、ロードサイドにイ◯ンがでーんと構えて、その周辺にはチェーン店が並んでいて移動はもっぱら車...という街は便利だけど住みたいと思ったことはない。

さて、岩出山をみてみると。
岩出山にはかつて城があり、若かりし伊達政宗が居城していたこともあるそう。その城の足元は城下町として栄えたそうだ。
現代でも街のメイン通りには商店が連なり、酒造や麹屋さんも残っている。商店街というより城下町としての風情が所々で感じられる。 

残念ながら今では閉まっている商店も多く、開いていてもあまり活気は感じられないけれど、私にはこの風情は資源・財産に見える。

他にも感覚ミュージアムという五感を使って体験できる美術館があったり、毎年11月にはバルーンフェスティバルが開催されたり、東北有数の温泉地・鳴子温泉が近かったりと、集客装置もある。

なんとかすればもっと魅力的な街になるように思えてならない。
こういう考え方ができるようになったのは、地方で生き生きと暮らす友人たちの影響が大きい。

徳島の神山町、岡山の西粟倉村、岐阜の石徹白、八丈島に三宅島、などなど。
おなじように少子高齢化、利便性や効率化の波に揉まれて過疎化が進む街。そんな環境でも、いや、そんな環境だからこそ、新しい価値を作り出すことにチャレンジしている友人を見て、なんてやり甲斐がありそうなの、と密かにうらやましく感じていた。

鎌倉の暮らしは気に入っていたけど、"自分が頑張らなくても十分面白い"ということにどこか危機感のようなものも感じ始めていた。
鎌倉に住み始めた当初は、街と人の面白さに魅了されトークイベントを企画したりしていたのだけど、その熱が徐々にトーンダウンしていることに自分自身気づいていた。

私たち夫婦は、街やその街に生きる人と積極的に関わりながら自分たちの暮らしを面白く豊かにしていきたいと思っている。
同じように考え行動できている人の多い鎌倉にいて埋もれてしまうよりも、田舎に移住する方がその面白さや豊かさを強く実感できそうな気がした。
だからUターンの話が出た時、直感的に「そうか、その手があったんだ」と感じたんだ。 灯台下暗しとでも言うか。
自分たちの手で耕せる土地はすでにあったんだ。

私が初めて岩出山に訪れたのは建築学科の学生だった19歳の時。2徹した課題の提出明けに、主人(当時は付き合ってすらいなかったけど)と友人達と弾丸で。
その後もゼミ旅行で訪れたり、大学院の課題で感覚ミュージアムについてレポートを書いたり、その感覚ミュージアムでは臨床美術のワークショップが開催されていたり、と、主人の地元という以外にもなんとなく引力のようなものを感じていた街。
こういう見えない何か、私は結構信じるほう。

そして、ついに移住。
まさかこの街に住むことになるとは。でもなんだか納得感はある。土地に呼ばれたとでも言うか。

設計事務所という拠点もできた。
地元の魅力的な方たちとも徐々に繋がりはじめた。
これから少しずつ、この土地で地に足をつけて活動していきたいと思う。

#移住  #Uターン #地方 #家族 #田舎暮らし #宮城県 #大崎市 #岩出山

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?