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私が移住を決めた理由①

「そういう話が出たってことは
もう、そういう事なんだよ」

主人から宮城の実家に戻らないか、と提案された晩、イエス・ノーの返事をする前にこう答えた。
2018年2月のこと。その1年後、本当に移住することとなる。

田舎へのUターン+義実家での同居に関して、周りの友人たちから「よく決めたね」と(賞賛まじりに笑)何度も言われた。
時は来たれり。
もうそういうタイミングだった。
としか言いようが無かったのだけど、あの時なんで決断ができたのか、バタバタの日常に埋もれてしまう前に書き留めておこうと思う。

当時、私たちは鎌倉に住んで7年が経っていた。新築で家を建てたいという願望から、広い土地を探していた。でも鎌倉にはそんな広い土地はまず無いし、あっても金額が見合わないので、鎌倉内での土地探しは諦めて、葉山、三浦、大磯、二ノ宮など鎌倉近辺の不動産情報を調べていた時期だった。

けれど私たちは鎌倉の環境も、そこで培った人間関係も、仕事も、全部気に入っていた。鎌倉を離れたくない、でも理想の暮らしも追い求めたい、でもお金が...思考が堂々巡りを繰り返していた。

そんな時に持ちかけられたUターンの話。

・安く土地が手に入る(3〜5万/坪くらい。鎌倉の1/20!!)
・義両親が近くにいるので子育てが楽になる
などのメリットがある一方で、
・友達が居なくて平気なのか?
・仕事は成り立つのか?
・私運転できないし、寒いのも大の苦手...
不安なことはいくらでも浮かんできた。
そして「戻るってことは、お義父さんやお義母さんに何かあった時、私が介護するってこと...だよね?」責任感の強い長男と結婚したからにはいつか考える日が来るだろうと思っていたことも口をついて出たりもした。

「...しばらく考える時間が欲しいけど」
そう前置きしたものの、もう抗えない流れの中にいると心は分かっていた。そして冒頭の言葉へとつながる。
「そういう話が出たってことは
もう、そういう事なんだよ」

その後はっきりイエスと返事をしたか覚えていないけれど、この日を境に私たちは移住に向けて舵をきることになった。

このUターンの話を数年前にされても、私の答えはきっとノーだった。そんなハッキリとは断らないかもしれないけど、のらりくらりと結論を先延ばしにはしていたと思う。タイミングって来るべき時に来るのだと思った。

不安がありつつも移住の決断ができたのは、私が"人生の中で大切にするものの優先順位"が数年で大きく変化していたからだ。それには、ある経験が大きく影響している。

いま私には5歳の息子と0歳の娘がいるが、その間には、生まれて来ることができなかった命があった。今でこそ冷静に話せるけれど、渦中の時は落ち込み、泣き、人生についてすごく考えた。
初期の流産だったので姿形は確認できなかったものの、手術後に、取り除かれた内容物を見せてもらった。
粉々になった命を目の当たりにして、いま、自分が五体満足に生きていられることは奇跡で、なんて幸せなことなんだろう、と涙が出て、同時に感謝した。
新しい何かを追い求めることよりも、自分の持っているものー主人と息子、両親、主人の両親ーをもっともっと大切にしよう、と思うようになっていった。

家族みんなが幸せになるにはどうしたらいいか、ぼんやり考え過ごしていたところにUターンの話。帰省のたびに、祖父母に囲まれて幸せそうな息子の笑顔を何度も見ていたので、結論はすぐ出たのだった。

今思えば、空に帰ってしまったあの子は、私に移住を決断させるために宿ってくれたのかもしれない、とすら思う。

#移住 #Uターン #地方 #家族 #田舎暮らし #流産 #子育て

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