「時間配分とタスク管理」の苦悩と人生ゲームの大きな気付き
これまでに時間運用やタスク管理の話は死ぬほど考えて、いろいろ記事にも書いてきた。日々改善しながらブラッシュアップしていたがここ数ヶ月の仕事ラッシュでいろいろと新しい事実に気づいた。それは…
「(おそらく)永遠に時間配分は見誤る」
という事実だ。もともと完璧な管理や配分なんてできないとは思っている。しかし、改善はできるはずだと四苦八苦しながら戦ってきた。結果なにがおきたかというと「ここに至る3年の間で仕事のスケールが拡大」していった。
実際、この3年間様々な改善をしていった。その試みは過去日記を見ていただけると理解いただけると思う。改善箇所が見つかるたびに色々考えて行動していった。結果、時間運用もタスク管理も個人的にはしっかりできていた。のに、時間配分もタスク管理も対応が難しくなってきたのだ。どういうことやねん。
バタバタとする中、どうしてこうも従来の方法で対応してるのに時間配分が狂うのか、結果タスクもスタックするのか。めちゃくちゃシンプルな答えとして、「抱える責任のレベルが成長した」ってことに気づいたのだ。そう成長しているのだ弊社。普通成長すると、スコアは改善すると思う。これを思いちがっていた。それって小学生とか中学生の50m、100m走のタイムのように思っている節があった。違うのだ…大人の場合、このメートルが伸びる!そんな驚くほどシンプルなことに今更気づいた。
3年前のタスクを掘り起こして見てみた。今のタスクと見比べると…見るからに課題レベルが小さい。今なら半分の時間で運用できそうなタスクが並んでいる。そこでやっと自分自身の成長を理解し、今のうまくいかなさを理解する。これはゲームが別のものに変わっているのだ。
正直、毎月のように改善を重ねてきて多忙を極めだすと何が行けないのか探す癖がついた。小さいところも大きいことも試しながらよくなる方へコツコツ重ねてきた結果、今並ぶ仕事たちはおそらく弊社初年度では対応し切れないほどのキャパを持つ相談が並んでいる。正直、最近は想定とあまりにずれ込むので鈍ったのかと落ち込んだりしていた。
それを先日息抜きの流しそうめん祭に参加している際の光景でハッとした。いつものキャパを超えてお客さんがきて、素麺不足に陥る。そこを改善しようとあれこれ必死に動くスタッフ。しばらくして現場を覗くとまだ人がいっぱい。それがものの数時間のうちに回転がよくなっている。なんならそうめんの流す速度をコントロールする技術まで身に付けていた。わーすげー成長してる!倍の人数捌けるじゃん!って思わず声がでた。そう人は成長するのだ。たった数時間でパターンを学ぶ。
自分でいうた矢先に、これだ!と気づいた。これが次ソーメンじゃなくなると全く新しいゲームに変わる。この期待は話題を読んで人は常に増え続ける。お店はその期待に答え続ける。常にいっぱいいっぱいの状況を重ね、改善し、余白を生み、次の期待に手を伸ばす。まさに自分たちはこの状態のなかになるのだ。そう思えるようになった。
責任はそれを背負える人の元にしか配給されない。
この責任の別の名を期待とも呼ぶのだろう。
多忙の中、自分の不出来に悩んだ日々でもあったが、同時にありがたいなと思ってもいた。こういう時代にもかかわらずたくさんの相談が僕らの会社に舞い込む。この有り難いという感情は大きな期待を感じているからだと思う。その期待に必ず答えたい。そういう日々だった。
流しそうめんオペレーションを眺めながら、とても大切なことに気づけた。人は正しい環境にいれば常に成長していくものだ。その成長を促すのは自分自身がもてる責任のちょっと上。それを重ねていたのだ。結果、今はたくさんの期待が集まっている。この手からこぼさないように常に変わるゲームルールと自分自身の力量を今までと変わらず見定めて行こうと思ったのだった。
いつか調子に乗るかもしれない自分に自戒を込めて今日の日記とする。
調子に乗ったら終了だぞ。
いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。