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53歳からのハローケアワーク

9月18日(水)
99歳のお爺さんが車イスから立ち上がろうとして転倒、顔から床に落ちて、左眉と鼻根部と上唇を負傷する。現場には自分を含め3人いたが、昼食直前でそれぞれ準備に散っていて利用者さんへのマークが外れたところに事故が起きた。ほんの数秒の出来事。ふだんの動きはゆっくりなのに、とつぜん驚くほど速く動いてしまうお年寄りは多い。見守りで事故は防げない、とよく言われる理由が、このイレギュラーな動きにある。
ケアマネは現場の事情をよく汲んでくれる人だが、半分冗談半分本気で「背中にも目を付けるように」と言われる。背中に目はつかんよなあ…と思いつつ、ヒヤリハットの記録を見返すと、ここ数日、急に車イスで自走を始めたり度々立ち上がろうとしたり、不穏な動きが目立っていた。ここを意識していれば、もっと注意を向けきれていたかもしれない。利用者の直近の変化=事故への伏線を記録から読みとって現場で共有する必要がある。
とはいえ、28人を3人で見るのは中々厳しい。「些細な変化」に気付くためには心にゆとりが要る。四六時中テンパってるような現場では第三の目も開かない。


9月13日(金)
介護施設、それもウチのような特別養護老人ホームは365日、24時間営業なので、職員に求められる第一の資質は「休まないこと」になる。
夜勤や遅番など不規則な勤務の上に、歳をとるほどあちこちが不調をきたして体調が万全な日等ほぼ無いので、休まないというのは思ったより大変だ。
自分は前職から今に至るまで、自分都合で休んだのは父の葬儀とコロナ陽性のときだけで、これは丈夫な体に産んでくれた親に感謝である。
介護の仕事をはじめた時にはまず酒をやめた…いや厳密には、毎日飲んでたのを週一にした。入職して半年くらい経ったときに、こりゃ不摂生してたらもたんな、と思ったし、月2回くらいで整体の先生にも通い始めた。
意識が高いとかではなく、そうでもしないとやってられない。
一方で、休む人は簡単に休む。(女性の体の不調はまた別の話だが)「体調が崩れた」は、我々1965年生れの感覚では「鼻水が出た」くらいのものだが、いまでは立派な欠勤の理由だ。「調子がすぐれない」というのもある。すぐれない、とはいったいどんな感じなんだと思うが、そこで「何バカなこと言ってんの、出て来いよ」なんて言おうものならパワハラ炎上野郎の出来上がりである。「肘に違和感が…」という野球選手みたいな理由もあったな。「車が故障して来れません」と電話があり、事務所のスタッフが「最寄りのバスや電車使ってこれませんか」と言うと、周囲に駅もバス停も無くて…と、山奥の限界集落から通ってんのか?という返事があり、もう、是が非でも出勤しないぞ、という強い意志を感じる…
休み癖、というのは確かにある、と思う。コロナで5日間強制的に休まされた時、6日目の朝に腰を上げるのは相当なパワーが要った。


9月10日(火)
スマホで事前に研修用の動画を観ておくようお願いしたところ、
一部の職員から「自宅で動画を観るのは勤務外の業務になりますよね?」との反応が。ケアマネ(60代)に言うと「自己研鑽で観るんだから仕事じゃないよ!何言ってんの?」と激怒していたが、職員の意見は半々に割れた。
勤務時間外に行われる研修への反対意見は昔からあるらしく、反発する人にしてみれば「勉強=仕事」ということなんだろう。
多様性と同じくらいよく聞く、ワークライフバランス、というやつ。
24時間戦ってきた(笑)バブル世代のオヤジにしてみれば、バランスなんて気にしてる奴にいい仕事は出来ない、って感じなのだが、時代が変わったんですよと言われればぐうの音も出ない。
しかし時代の先端にいるであろうユーチューバーやらインフルエンサーやらの皆さんは、口を揃えて「突き抜けたかったら圧倒的に努力しろ」「3年間は死ぬ気でやれ」なんて言ってるし、動画の合間に流れるインチキ臭いCMからは「座ってるだけで毎月何十万稼げます」。
バランスとりたいと死ぬ気で頑張れと楽して稼ぎたいが混在する合間を縫って、自信に溢れた不気味な口調で「スピリチュアルな世界がどうこう」なんて囁く輩も動き出している様に、20世紀の終わりに地下鉄に毒ガスがばら撒かれたあの頃の既視感を感じている。

窓から見える遠くの森の茂みの上に高々と半月が浮かんでいる。


8月31日(土)
朝起きる時に左膝に異常な痛みを感じる。片手をつかないと立ち上がれないくらい。整体の先生に言われた、「ひどいO脚なので、意識的に外側に曲がった膝を内側に向けるストレッチをやらないと爺さんになった時に歩けなくなる可能性もある」が頭をよぎる。風呂に入ってシャワーで温めると少し楽になり、バンテリンを塗ったりして、2時間ほど経った頃には痛みはほぼ引いていた。左利きだからかどうかは分からないが、無意識に左足に重点をかけて立っている。転倒の危険がある利用者が急に立ち上がったりすると反射的に左からばんっと踏み出すので、そういう事も響いてるのかも知れない。

膝や腰をやられてしまうとこの仕事は続けられない。身体が資本であることの危うさを実感する。酒もあまり飲まないようにしてるのになあ。
祖父が幼い僕の脚を自分の胴に巻き付けるようにして抱っこしていたせいでO脚になったと母が言っていたが、それが理由かどうかはわからないし、言いがかりのようにも思える。あと、祖母が幼い僕にぐちゃぐちゃにした豆腐を混ぜたご飯をしょっちゅう食べさせていたので歯並びが悪くなったとも言っていたが、歯並びは遺伝です、と歯医者に言われた。豆腐ご飯の記憶はかすかにあるが、なんであんなものを食べさせられていたのか。

人生の終盤に肉体労働者になろうとは思っても無かったが、悪くはない。介護は感情労働とも言われ、同僚や利用者との関係に心を病んでしまう人も少なくないし自分もそういう部分で何も無いわけではないが、しんどい入浴介助や夜勤を乗り切った後の達成感や安堵がすべてを流してしまう。思いつめ過ぎない性格でよかったと思う。

ネットフリックスで『0.5の男』というドラマを観る。
ある事情で引きこもった男(松田龍平)が、自宅が2.5世帯住宅に改築されたことをきっかけに外の世界との触れ合いを回復してゆく…という話。実際の引きこもりの部屋があんなにきれいなわけはないとは思うが、そこは多分このドラマの「仕掛け」で、当初は両親もそんなに気にしている描写は見せず、引きこもりとは言いながらほのぼのとしたある種の生き方を見せる感じで進めながら、中盤から、両親の切実な感情を少しずつ滲ませてゆく。特に、ポストイットの「伝言」の内容と筆跡(芸が細かい!)の変化で見せる手法が素晴らしい。面白いけどエッジが効きすぎて麻痺しがちな韓国のドラマに飽きれば、こういう作品が観たくなる。


8月26日(月)

午前2時にLINEがあり、夜勤明け一人なんですけど勤務表見たら早番いないようで朝食介助は自分一人でやるんでしょうか、と来たので、ごめんね!と返し、支度して6時に職場に向かう。休日に急な時間外勤務だが、よくある話なので仕方がない。勤務表の担当者も勤務の合間を縫ってバタバタで組んでるので、時々、周囲も気づかず、なぜか早番がいない、日勤者が足りない、なんてことが起こる。ましてやギリギリの人数で回してるので眼もしょぼけるし頭も霞む。怒るなんてもってのほかで、こういう時は皆でフォローし合うしかない。
地方都市の人手不足の介護施設において、ワークライフバランスなんて多元宇宙の別の銀河系の話である。立派なマネジメントの教科書には、管理職が足りない職員の穴埋めをしてはいけません、と書いてあるが、それで事故が起きても教科書は責任をとってはくれない。

会社員時代によく言われた言葉が、
「夏場の氷は冬に準備しろ」。
文字通りすぎて恥ずかしい位だが、しかしながら多くの人が、あれほど言ったのに夏になってから氷を探す。我が施設も、人が足りなくなってから人を探すという失策を犯している。足りないなりに職員が頑張ってしまうからよくない、少人数でもやれるじゃないかと上の人間が勘違いしてしまう、とよく言われるが、現場は仲間とお年寄りのために頑張ってるんだからそりゃなんとかするよ。
しかしいよいよ限界だなと言う気はする。


8月24日(土)
横光利一の小説『機械』は、ネームプレート工場での異様な人間関係の力学を描いた傑作だ。仲間と思っていた相手が敵だったり、自分より(地位が)下だ思っていた者に上位に立たれたり、自分の意志とは別に運命を弄ぶ見えない力(あるいは神のような存在)を主人公は「機械」と呼ぶ。

私たちの間には一切が明瞭に分っているかのごとき見えざる機械が絶えず私たちを計っていてその計ったままにまた私たちを押し進めてくれているのである

横光利一「機械」より

現実の世界でも状況は目まぐるしく動く。
バイデンのオウンゴールと銃撃事件への同情で圧倒的優位に立ったと思われたトランプが、ハリス候補の登場で再びロープ際まで追い込まれようとしている。人気者だった芸能人がたったひとことの失言で引退寸前になっている。最高値を更新していた日経平均が暴落する…
介護現場でも、パワハラ常習のベテランが辞めてくれてホッとしたとたんに超問題児の新人が入ってくる、優等生と思われてた職員が陰で虐待まがいのことをやってた…等々、下級天使か誰かが質の悪い台本を書いてるとしか思えない。
だから、崖っぷちとしか思えない状況になっても楽観していればいいと思う。そのうちきっとひっくり返るし、他人は簡単に手の平を返す。もちろんまた想定外のことが起きるだろうけど、「人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇」であり、さらに遠くの宇宙から見れば取るに足らないアリンコの右往左往みたいなものである。


8月17日(土)
「科学的介護」や「介護過程」といった考え方に反発するような声は多いけれど、ノムさんも言うように、なぜそのやり方を選んだのか、根拠を持つ、意識することは大切だ、というか、そうじゃなきゃ仕事は成り立たない。
なぜそのコースに、その球種で放ったのか。
なぜ家に帰りたいというお婆さんに、その言葉をかけたのか。
うまく行こうと失敗しようと、なんとなく、では他の職員と共有できない。根拠=理由があるから検証できる。検証できるから、皆と共有して改善ができる。
「マニュアルなんか作るとマニュアルに書いてある事しかやらないようになる(からマニュアルは要らない)」とベテランのおばさん職員に言われたこともある。わかったようなわからないような言葉である。
実務者研修でも教わることだが、マニュアルが必要な理由は、「それさえ守れば、新人でも最低限必要なレベルの介護が取り敢えず出来るから」だ。
マニュアルは最低限のレベルを担保するもの、であり、それをベースに「自分なりの介護」を積み上げてゆく。マニュアルに書いてあることで止まったままの人がいたら「そろそろ頭使っていこか」と促せばいいだけのことだ。

反発している人たちは、おそらく、「科学的」とか「エビデンス」とか「マニュアル」とかいう言葉に、人間性を否定した、血が通っていない、どこか冷たい響きを感じているのだと思う。先に書いた「マニュアルなんていらない」おばさんは、好きな人には過剰なくらい世話を焼き面倒を見る一方で、嫌いなやつは徹底して無視していたし、感情は目まぐるしく乱高下し、機嫌が悪い日は誰とも口をきこうとしなかった。人間性が豊か、とはこういうことでもある。こんな人間と働くくらいなら、昆虫性豊かなロボットと組んだ方が快適だろう。
30年以上前、独立したばかりの僕らに「応援してますよ、仕事いっぱい持ってきますから!」と調子のいいことを言っていた男の携帯はすぐに繋がらなくなった。熱く語る奴は信用できない、という教訓はそれ以降ずいぶんと役に立った。


8月16日(金)

利用者の状態は日によって変わる。
昨日は茶碗から勢いよく掻き込んで咽るほどだったのに、今日は放心して一点を見つめたまま手はいっさい動かず全食介…といった具合に。
機嫌よく薬を飲んでもらえる日もあれば、鬼の形相で口に入ったものすべてが吐き散らされる日もある。説得と懐柔でなんとか飲み込んでもらえた薬をオブラートごとつまみ出された時は泣きそうになる。

近代介護では「すべての行動には理由がある」と考えるので、便秘やら脱水やら諸々検討すべきなのだが、あまり頭でっかちになるより、「この人はこういう生き物なんだろう」と鷹揚に構えた方が職員のメンタルヘルス的にもうまくいきそうな気がする。
そもそも、認知症で記憶や判断が鈍った状態でいきなり知らない場所で知らない人たちと一緒に暮らせと言われてるのだから、パニックになるのも当然で、それは分かっているのだけれど、30人のお年寄りを実質3人で見ているような状況では、意味不明な行動に笑える時もあればイラつく時もある。
それでも6年近くやってると、自分の感情を冷静に飼いならすことに「多少は」慣れてくる。アンガーマネジメントなんて立派なものではないけど、自分のなかに心の置き場所が出来てくるというか。喜びはこの辺、困惑はこの辺り、怒りはちょっと奥の引っ込んだところに、みたいな。頭の中を倉庫に見立てて、感情の棚卸しをするようなイメージ。

なんで今日は皆手にうんちが…と思ったら、お祭りイベントでチョコバナナが出ていた。


8月10日(土)
前職は販売促進というかマーケティングがらみの営業をやっていたが、どんな仕事か、ということを一言で言えないので、イベントやったり企画立てたりカタログやノベルティも作りますよ、なんて言えば言うほど胡散臭くなるのである。「つまり何でも屋さんですか」みたいにまとめられると、すっかり価値が低くなる。じゃあ価値が高いのかというと、別に無かったら無かったで困るわけでもない仕事ではあるので、おのずと自虐的な風を纏うことになる。同業他社の名刺に「総合広告代理店」とあったのでそれを真似することにしたが、電通みたいに大きな仕事はしていないので卑屈さを押し殺しながらの営業活動となった。じゃあつまらなかったのかというとそんなことはなく、たまに褒められたりコンペに勝てた日は酒も美味かった。
会社を作ってから20年以上が経ち、いつの間にか徐々にコンペの勝率が下がり、提案も内容は気に入られても受注につながらない事が増えてきた。アイデアやセンスのことばかり気にしていたが、今思えば単純に「営業としてのしつこさ」が足りなかったということだ。それでも自分をさらけ出して裸で踊る気はさらさらなかった。「お前はどこか頭が高い所が抜けない」と上司から言われた。実力も無いのに変にプライドだけ高い、というのは、さいきん辞めた数人の職員に思ったことだが、昔の自分もあきらかにそっち側だったのだ。20年もやってりゃそこそこ「何かある」筈だが、自分の欠点を見て見ぬふりを続けるうちに痛い勘違い野郎が出来上がってただけの話だ。
いま気持ちがいいのは、仕事を聞かれて「介護福祉士です」と言えること。どんな仕事か一発でわかってもらえること。仕事で色々あっても「正しく悩める」こと。まさか自分に第二の人生があるとは思いもしなかった。

8月9日(金)
悪貨は良貨を駆逐する。
介護の現場は慢性的に人手不足なので、問題のある職員がいても中々首を切れない。ただの怠慢社員ならまだいいが、利用者への不適切な行いや、同僚に暴言を吐いたり面倒な仕事を押し付けたり、毒のようにストレスをまき散らす者もいて、これはトップが毅然とした対応をとるべきなのだが腰砕けの対応になりがちで、結果、真面目な職員が嫌気がさして辞めてゆく破目となる。だったら、少々しんどくても早々に切った方がよかったのにと思っても後の祭りで、しかもこういう職員に限って面の皮が厚いというか、自分に非があるとはこれっぽちも思っちゃいない。すべて他人が、会社が、世間が悪いのである。逆に羨ましくもある。こんな風に人の評価を気にせずガサツに生きられたら楽でいいよな、とも思う。恥を知らないのは幸せ者である。

いままさに我が施設では、この幸せな恥知らず(Q君とする)が問題化していて、僕も尊敬する人格者のリーダーW君がどんなに諭しても知らぬ顔で好き勝手を続けている。優しくて常識のある人間は、想定外の狂人に出会うと固まってしまう。W君もフリーズしかかっている。他のユニットのことなので口出しはしにくいが、Qは僕が今まで出会った問題社員の中でも特に酷い。以前、利用者のトイレの要求を無視し続けていたので注意したら一ヶ月ほど無視されたどころか、僕にパワハラを受けたと各所に触れて回り往生した。とうとう偉い人が辞職勧告に動くらしいが、「Qが辞めて業務がひっ迫したり残業が増えたりしたらどうすんだ、そもそもQをまともな職員に指導できなかったリーダーが悪い」と、頭のおかしなことを言いだす者も出てきた。泥棒よりも鍵を掛けなかった方が悪い、という理屈だ。記録的な猛暑もあって皆判断が鈍ってきている。そうだ、なにもかも太陽が眩しかったせいだ、そういうことにしよう。

8月6日(火)

マクロン派のグローバリストも、文化左翼化した左派も、「人民の集団的自律」という民主主義の基本を忘れ、国民に選ばれたわけでもないEUのエリート官僚がブリュッセル(EU本部)で重大な決定をし各国の政策を縛ることを容認し、グローバル化から取り残され生活苦に陥る人々に寄り添っていない――。そうした不満を抱いた人たちが、まがりなりにも「国民」というまとまりを訴え、国家主権、国民主権を取り戻そうという右派を支持していることこそが重要です。RNが彼らを育てたのではなく、むしろ、そういう「見捨てられた」人たちがRNを、自らの声を代弁する「道具」にしていると見るべきです。

朝日新聞 2024年8月5日

怒れる欧州の人民に「置かれた場所で咲きなさい」なんて言うとぶん殴られそうだ。

フランスに限らず日本の与党も野党も、世襲とか元芸能人とかキャスターとか松下政経塾とかJCとかそんなのばかりなのでどこか浮世離れしていて、「見捨てられた」人たちの本当のところを理解できないだろう。
僕の叔父も、かつては半導体産業の雄と謳われた九州の某メーカーで管理職まで行ったものの、台湾や韓国の新興企業にやられまくって、つまりグローバル化の波に翻弄されてリストラ対象となり奥さんに八つ当たりした挙句三行半、一家はバラバラになってしまった。再就職した弁当工場で知り合った女性と再婚したが、父親(彼にとっては長兄)の法事で会った時には、あんなに風を切っていた肩幅も随分狭くなっていた。僕が会社を潰したのは自業自得だが、叔父のような人は「こんな世の中」をどう見ているのだろう。会っても気まず過ぎて何も聞けないけど。

自分もいい歳して家族もなくアパート暮らしの人生負け組ということになるのだろうが、エッセンシャルワーカー界最底辺の介護職でありながらなんだかんだ食ってはいけてるので、特にお上に(暴れるほどの)不満はありません。だから日本の労働者はだめなんだよと怒られそうですが。

8月5日(月)
どうして介護(福祉)の仕事をやろうと思ったんですか、
と聞かれて、なにか立派な理由でも言えたらいいのだが、
実際は、会社が潰れて一文無しになって取り敢えず食ってゆかねばならなくて50過ぎの大して取り柄のない者を雇ってくれる会社なんて介護くらいしかなくて、というのが本当のところで、事実そういう感じのおじさんが時々入ってくるのだが、たいてい皆心が挫けてすぐに来なくなる。
介護職の給料が安いのは誰でもできる仕事だから、と言われるが、誰でも出来る仕事だから誰でも優秀な介護士になれるわけではない。営業も誰でもできる仕事だが本当にできる営業マンは一握りしかいないように。無事是名馬ではないけど、いい介護士とは毎日休まずちゃんと来るやつ、と言ってもいい気がする。
僕も、偉い人からは当初「こいつは続いても半年だな」と思われてたらしいが、結局5年以上居座り続けている。これは、うちの施設の職員の皆さんの人柄による部分が大きく、嫌なやつばかりだったら辞めてたと思う。温暖な地方都市特有の呑気な気風というか、良くも悪くも皆切迫感に欠ける(ピリついてない)のです。あとあれですかね、年下の先輩に色々指示されてもなんとも思わない性格とか。こういう事に耐えられなくて辞めていくオヤジは多いらしい。
この間、大手のメーカーをリストラされた人たちが介護の仕事に再就職して云々というドキュメンタリーを観ていたら、「本当は辞めたいけど家のローンがあるから辞められない」「大企業で肩で風切ってた俺がいまじゃ落ちぶれて」な風がビシビシ漂っていて、一人で狭い休憩室のような所で弁当を食べている絵が悲壮感を煽っていた。この人にとっては、安泰と思っていた職場を追い出されて理不尽な罰ゲームをやらされてる感じなんだろうが、不貞腐れた顔してやってたらどのみち運なんて向いてこないと思うぜ。
置かれた場所で咲け、とか小賢しい理屈は言わないが、結局どこに達成感を感じるか、なんだと思う。自分が満足、納得できる線をどの辺で引くか。
ちなみに僕は、一人夜勤の明け方、洪水のような水様便をパニックに陥らず見事に回収して片づけ切った後の達成感、ですかね。

8月3日(土)
便座に座ってくれないお爺さん。
水様便が多くて座ってもらわないと困るのだが、にこにこして手すりを掴んだまま、頑として膝は伸びきっている。
少し力を入れて腕を引いてみると、びくっと怯えたような顔になったので止める。これはよくない。
座らなかったから押さえつけたのか、押さえつけたから座らなくなったのか、お爺さんの微笑みを見つめても答えは無く、座りましょうかと目を見ながらしゃがんでみると一緒に座ってくれた。俺も6年目にして中々じゃないかと調子に乗って次も同じ手でやってみたが、そうは問屋が卸さない。そんなこんなで色々試してみたが、まあ、勝率は3割である。

人手不足でぱんぱんに詰まったスケジュールをこなしながら、お年寄りが思い通りに動いてくれないとイラっとしてきつい言い方になり、イラっときた自分に失望する。凹んでいると「どうしたの?」と、その動いてくれないお婆さんが心配そうに覗き込んでくる。そういう繰り返しでお給料をいただくという、不思議な商売が介護である。

7月30日(火)
持病のために「来れたら来る」という職員(Z君)がいる。
来れない時は来れないわけで、今月は6日間しか勤務実績がない。
昨日も直前に「体調が悪く行けません」と連絡が入り、止むを得ず、夜勤明けの職員に時間外労働をお願いすることになった。
こんな状況なので、誰もZ君を当てにしていない。2回しか会ってないという職員もいる。勤務表も彼をいないことにして組んである。病気は同情すべきだが、「幽霊社員」を放置すると職場内の空気がすこしずつ澱んでゆく。
さすがにこれだけ来なかったら解雇も仕方がないのではと思うが、偉い人はそうしたがらない。Z君を雇う時に紹介会社へ支払った多額の手数料があるからだ。いわゆる「サンクコスト効果」というやつで、ここまでお金を使ったんだから今さらクビに出来ないという貧乏根性が、社内の士気の低下というもっともおそるべきリスクを見えなくしている。


7月27日(土)

見ず知らずのお爺さんに道端で唾を吐きかけられた、とする。
だとしても、お爺さんの頭を叩く、ということは滅多にしないだろうが、施設の中ではけっこう普通に起きている。
特にトイレの中は密室なので、うまく座ってくれないとか、便を触ってあちこちに着けるとか、介助中に思い通りに動いてくれない時に「やってしまう」職員は結構多い、と思う。
慣れてない新人だけとは限らない。有資格者のベテランだって、悪い状況が重なれば新聞沙汰になるようなことをやってしまう。
学校もそうだが、閉鎖空間ではいびつな関係性が生まれやすい。ましてやウイズコロナの時代でもあり、外部(家族や地域)との交流は制限され、クライアントであるあずの利用者が介護士の顔色をうかがうという、倒錯した力関係ができてしまう。

漫才の突っ込み程度に軽く小突く、くらいのことでも立派な「虐待」であり、高齢者虐待禁止法に触れる行為である。
介護と無関係な頃は、自分も「お年寄りに暴力ふるうなんてクズ以下やな、ありえん」等と思っていたが、いまはその追い詰められた感情がよく分かる。とくに人手不足で疲弊しきっている施設には、暴言や暴力の衝動が常に付きまとう。
いい加減な職員より、律儀に仕事をこなそうとする人ほど、その傾向が強いかもしれない。

あるスタッフから、虐待(と受け取られかねない)行為を見たという報告があり、近くヒアリングをしなければならない。
大抵の人間は自分のやったことを過少申告する。嘘をつく者も、開き直る者もいる。他にもやってる奴がいるのになんで自分だけ言われるんですか、そんなに疑うなら辞めてやる、なんて脅迫もある。
気が重い。とりあえず焼酎でも飲むか。

7月21日(日)
「令和5年度人材紹介手数料実態調査報告」によれば、
紹介業者を介して採用した介護職員のうち、約6割が半年以内に退職、
業者に支払った手数料は一人当たり平均約89万円(!)だという。
うちの施設も、6月~7月にかけて人材紹介会社経由の職員が3人辞めた。
いずれも半年持たずに辞めていて、上記の資料にならえば270万円近くをドブに捨てたことになる。
こういう例えは無意味だが、その金があればどこが修理出来て何が買えただろう。センサーも足りず、あちこちガタが来ている老朽化特養にとっては貴重なお金だ。ていうか身も心もズタボロの職員に還元してほしい。

“ソフトなヒモ”という言葉を聞いた。
同棲している彼女が正社員で安定した収入があり、男の方は一応働くつもりはあるけれど長続きせず、派遣やバイトを転々としている。ベース(彼女)の定収入があるので、ちょっと嫌なことがあったり仕事がきつかったりすると速攻で辞めてしまう。もはや普通に“ヒモ”でいいと思う。

まともな人は皆正社員として囲われてしまっているので、紹介業者や派遣から来るのには訳アリしか残ってないらしい。同僚のP君の経験値では、まともな派遣が来る確率は10人に1人だという。その「まとも」という基準も、仕事ができる云々以前の、「挨拶が一応できる」「とりあえず休まずに来る」「指示が通る(こちらの言いたいことが理解できる)」というレベルらしいが。


7月18日(木)
アパートの窓から、向かいの家の屋根に立つアンテナが見える。
先の大雨の日、アンテナの上で黒い野鳥が濡れそぼっていた。
鳥は自由でいいなとか言うけど、彼らのほとんどは一日の八割近くを餌取りに費やす。自分や雛たちが十分なカロリーを得るための虫やらミミズやらを獲るのは至難の業で、働きづめの過酷な日々が鳥の一生だ。
頭から尾羽までびっしょりな姿は疲れ果てたサラリーマンのように見えなくもない。

特養も一日のスケジュールはびっちりである。やるべきことが次々に押し寄せてくる。
午後のおやつの後から夕食前にかけて多少は余裕のある時間帯もあるが、油断しているとトイレに行こうとしたお婆さんがコケて事故になったりするので、結局常に気は抜けない。
辞めたZ君も、もうちょっと隙間があってダラダラできる、楽でマイペースな仕事をイメージしていた節がある。ご飯やおやつを出して、お茶やコーヒーを出して、体操とかやって、あとは簡単な掃除や片付けとお年寄りとの世間話で一日が静かに過ぎてゆく…みたいな。こんな戦場みたいな職場とは思ってなかったらしい。
お金を稼ぐのはそんな呑気なもんじゃないよとか言うと今では老害認定されしまうが、母方が代々の農家で百姓の血を引く僕としては、やることや考えることが沢山あってぼんやりする時間が無いくらいが丁度いい。
時々、「それじゃ社畜じゃないすか」みたいな台詞を吐く若手がいる。「社畜」は80年代くらいのエコノミックアニマルたちが自虐的に使っていた旧い言葉で、若い子の口から出てくると違和感しかないが、働きたくない自分を正当化する言葉としてはお誂え向きなんだろう。
自分は社畜上等っす。


7月15日(月)

「ここの(施設の)雰囲気はいいね」と新しく入ったお爺さん。
エアコンが不調だったり床板が剥がれかけてたり、我々からするとボロボロなのでちょっと恥ずかしい。
うちに来る前は病院にいて、そこでは(忙しいという理由で)半強制的にオムツを付けられていたそうで、「オムツにするんだったら言ってください、自分に(選ぶ)権利はないので」と言う。いやいや、権利はあなたにあるんですよ、トイレに行きたい時は遠慮なく言ってください。
「風呂も気持ちよかった」
この人は座って入るタイプの機械浴で、お風呂もエアコンがやられていて設備も破損が目立つのでどんな顔をしたらいいのか分からないが、結果オーライと言うことで、介助した人が巧かったんだろう。
職員に気を遣う利用者も多いので鵜吞みには出来ないけど、嫌な気はしない。人は現金なもので、このお爺さんへの態度は2割り増しくらい柔らかくなったりする。数年前にいた元銀行員の偉そうな爺さん(怒ると三点杖を振り回す)にはちょっとだけ、バレない程度に冷たく当たっていたし。
こんないい人ばかり入ってくれたら楽なんだけど、うちは赤字施設なので、ちょっとヤバい、他所では預かれないレベルの人がやって来ることが多い。
客筋を見たらそこのゴルフ場の「格」が分かる、と前職の社長が言ってたっけ。俺はゴルフなんてやらないからわからないけど。
他所では断られるような人でも受け入れる、というのは一つの戦略としてはあり得るのだが、うちは結果的にそうならざるを得ないだけで、設備も人も、そのようには配備されていない。

ネットフリックスで宮藤官九郎の『新宿野戦病院』というドラマを観ている。前にやってた不適切がどうたら…よりずっと面白い。主人公の女医(小池栄子)が、いわゆる医療ものにありがちな「天才外科医」じゃない所がいい。うちも、下剤が効きすぎてオムツの中で水様便が爆裂した時には野戦病院みたいになりますけどね。

7月11日(木)
かねてより欠勤の多かったZ君から、
「辞めます」とのLINEが届く。

面接の時に聞いてたのと仕事の内容がちがうとか、 
周りにいいように使われてるとか(新人は使われてナンボですよ)、
数日休んだ後の皆の視線が冷たいとか(そりゃそうやろ)、
自己正当化と悪口の嵐で、ちょっとムカついたので、
休んだ後に「ご迷惑をおかけしました」の一言もないやろ? 皆が忙しそうにしててもおしゃべりばかりしてるやろ? そういうところやと思うぞ、とド正論で返したら、あっさり「すんません」と返ってくる。
“臆病な自尊心と尊大な羞恥心(山月記)” なんて常套句も頭に浮かぶ。

ただ、こういう人は多いのだろうな、という感じはする。努力は嫌だけどちやほやされたい。ありのままの自分を評価してほしい。
偉い人にも言ったけど、人手不足すぎて、焦ってよく分からない人物を入れてしまって後からヤバいやつだと気付いて大混乱、というパターンが多すぎる。

明日からまた綱渡りの勤務調整が始まる。湿度も上がってきて嫌な感じしかしない。

7月8日(月)
熱があるので3日ほど休みます、という連絡の後、
3日が5日になり、5日が1週間になった(笑)。
Z君、きみが次々に休みを延長するので、勤務表が修正に次ぐ修正でたいへんなことになっとります。ただでさえ殺人的な猛暑のもと、スタッフ全員振り回され、僕は休みを一日潰しました…
1週間がさらに延長されない保証はなく、そうなるともういっそのこと辞めてくれた方がこっちは計画が立てやすいので、
「辞めてもらった方がいいんじゃないすかね」と偉い人に言うと、
「まあそう言うな。あんたはせっかちだからいかん」と怒られた。

熱が出る⇒数日休む⇒そのまま来なくなってフェードアウト…というパターンで辞める人は多い。会社は紹介業者に多額の手数料を払ってるので、例えが正しいかどうかは別として、泥棒に追い銭状態である。現場スタッフの教え方が悪かったのでは?とか、コミュニケーションのとり方に問題があったんじゃないのかとか、我々も色々言われて泣きっ面に蜂状態である。
しかし、連絡もせず、置手紙もなくやめていく時の気持ちってのはどうなのだろう、夜逃げに近いメンタルなんだろうか、最近は代行してくれる業者もあるらしいよ、などと喋ってたら、ベテランの姉さんから、「なんも考えてるわけなかろうが!」と一蹴された。

YouTubeで限定公開中の『金融腐蝕列島 呪縛』を久しぶりに観た。
1999年公開の映画なのでパソコンが最先端のツールとして描かれている。
総会屋への利益供与を止められず不良債権の山を築いた銀行の取締役=老害たちを揶揄するように「頭がインターネットしていない」という台詞が出てくるが、荒涼たるSNS人間砂漠を生きる2024年の我々スマホピープルにとっては、「頭がインターネットしている」人とは、おつむの中が陰謀論とリベラルへの嫌悪と教科書が教えない真実の歴史でいっぱいになったシニア右翼のような人しか思い浮かばないから、時の流れは残酷である。


7月5日(金)

コール頻回、なんてレベルじゃない。
22時の夜勤中。
ほぼ5分おきにコールが鳴り続ける。行っても用は無い。
「これ(ナースコール)が付いてると押したくなっちゃうので外してほしい」とお爺さん。
「すんません、外せない決まりになってるんです」
「じゃあ押さないようにするね」
「でもなんかあったら押してくださいよ(用も無く押すなよ)」
…そんなわけでコールは止まない。どんな呼び出しであっても誠実に対応するのが介護士の掟で、無視すると「ネグレクト」という立派な虐待になる。
万歩計が爆発するくらい動いたと思う。
現役時代、酒、ギャンブル、女遊び、すべてやり尽くして家には帰らず、たまに戻ると妻や娘に暴力をふるい続けたお爺さん。今では左手と両脚が麻痺して動かず寝返りもままならない。パッドを当てる時に「キンタマが痛い」と言うので、今までしてきたことの報いですよ、と返すと唇を歪めて笑う。
そのうちコールの頻度は下がったが、断続的に朝まで鳴り続けた。太腿の付け根が痛い。

6月30日(日)
ここは御国を何百里…
夕食前、「戦友」を口ずさむお爺さん。テレビでは広島・巨人戦が2死満塁のクライマックスに沸いている。
アリラン アリラン アラリヨ…
いつの間にか別の歌に変わっていて、おしぼりを口に突っ込みかけていたので「ごめんねー」と言いながら抜き取る。
意味不明な言葉を叫びながら車椅子で自走し始めたのをゆっくり追いかけてたら、雨がバラバラと窓を打っていた。
ここに入りたくて来る人はいない、と言うが、そもそもここがどこだか分かってない人が大半だ。しかし、なんとなく「家から追いやられたような感じ」は意識の上と下を行ったり来たりしているらしく、分からないながらも出口を探している。
「窓は開かないのか?」と聞かれたので、
「ひどい雨なんで。濡れちゃうでしょ」ととぼけると、「ああそうか」と、未練がましく曇天を眺めている。

6月29日(土)
さいきん入居した認知症のお婆さん。
晩御飯は食べない、とぐずっていたが数分後にはお腹減ったと言っている。
お風呂は嫌、と暴れながら、脱衣所に入ればすすんで服を脱ぎ始める。
しかし我々だって、機嫌はコロコロ変わるし、意見もコロコロ変わる。悪人も改心するし善人も闇に染まる。
「人間」として俯瞰すれば、認知症もそうじゃない人も大した変わりはなく、まあこんなもんでしょう、ってな感じです。

6月28日(金)
BCP(事業継続計画)がどうした、
虐待研修がこうした、
口腔チェック義務化が、感染症対策が…と、
お国のお申しつけで、今年度から提出書類が爆増し始めた。
介護職員の皆さんがもっとも不得手なジムシゴトである。
僕は介護の前に30年以上も会社員やってきてたので、PC触ってなんやかや資料作ったり書類をいじるのは苦にならないのだが、介護プロパーの皆さん、特に僕と近しい世代の方々はエクセル一つに大騒ぎなわけで。
うちの施設も遅ればせながら今年から(!)記録が全部タブレットPCになったのだが、死にそうな蒼い顔をして、仇のように液晶をにらんでる人もいる。まあ、排泄チェックなんて手書きの方が早くて楽なんだけど。

エクセルで表を作っていたP君が困り果てている。
この行がどうしても増やせないんですよ、と言うので見てみると、余白が2センチ近くあるので、余白減らしたらいけるやん、と答えると、
そんなやり方があるんですか!と驚いている。
ずっとデフォルトの余白をいじらずに表を作っていたらしい、というか、そもそも余白という概念がなかったらしい…

6月26日(水)
「辞められたら困るからね」
偉い人が言う。
辞められたら困るから、あまり強い言葉で叱るのは避けて欲しいし、過度な励ましの言葉もプレッシャーになるので良くないらしい。
結果、平気で遅刻するし制服も着てこないし髭剃ってないし…みたいなのが増えた。トイレ介助中にお婆さんを便座に座らせた後アイフォンいじり始めるような奴も現れた。これは流石に怒ったけど。
以前、ズームでリモート研修を受けた時、数十社の施設の人に「若手育成で困っていること」という質問が出され、ぶっちぎり一位の悩みごとが「敬語が使えない」だったっけ。
振り返れば自分も若い頃は相当酷かったのだが、敬語くらいは普通に使ってたし、下手すりゃクビが飛ぶという縛りが、タガが外れるところまで行かずに済んだ理由だと思う。
辞めてもいくらでも行くところがある、クビになる恐怖が麻痺している、という状況は、若い子たちにとっては恐ろしい環境だと思う。やさしい地獄。まあ、本人たちはいたって極楽とんぼですが。

6月23日(日)
「体調がすぐれないので休みます」と新人さんから電話あり。
これで5、6回目で、今月は数日しか出社していない。辞めるのも時間の問題だろう。何が原因なのかと考えるのも鬱陶しいが、以前、元自衛官の
人も数日で来なくなったらしいから、介護、中でも特養は相当の根性がないと務まらない仕事ということか。
「ちょっと調子悪いくらい我慢して這ってでも来い」なんてのは僕らの世代の台詞で、今ではハラスメントになるので死んでも言えない。しかし現場の連中は、若い奴も、心の中では「這ってでも来いよ」と思っている。

介護事業所の倒産件数は増えているらしいが、人手不足は相変わらずだ。特に有資格者は引っ張りだこなので、「いつでも仕事はある」「気に食わなかったら辞めりゃいい」という甘えが確実にある。僕のような、会社を破産させて奈落に落ちた人間(自業自得なんですけど)には、そういう甘えのオーラが見える。戦争のドキュメンタリーばかり観てると分かるが、慢心こそ地獄への入り口である。
…などと「修羅場くぐった人」気取りでかっこつけているが、テレビで見た、インパール作戦の生き残りのお爺さんの、あの洞窟のような、深淵から覗き返されているような「目」こそ、真に地獄を見た人の姿であって、自分なんて負け犬の耳垢みたいなもんである。

6月22日(土)
盗食に異食、徘徊に転倒、暴力と、全部入りの凄まじいお爺さんが入所。
子供たちは年金を食いつぶすロクデナシなので、後見人が窓口との事。その方がやり易い。気の毒な爺さんではある。暴れたくもなるよね。
いまのところは猫のように大人しいが、さてさて。取り敢えず夜勤者に情報のLINEを送る。

6月21日(金)
NHKオンデマンドで、映像の世紀『ノルマンディー上陸作戦』。ネットフリックスもアマゾンもピンとくる映画がないので、NHKのドキュメンタリーばかり観ている。寡聞にして、あの日のオマハビーチにキャパ(報道カメラマンとして)もサリンジャー(兵士として)もいたという事実に驚く。
こういうのを観ると、戦争はよくないとか、嫌だとか、もちろんその通りなのだが、もっと強烈な、どうしようもない人間の宿業のようなものに圧倒される。俺たちはいつまでこんなことをやってるんだろう、と言うより、やりたいんだろう、なんだかんだで戦争好きなんでしょ?としか思えない。
それから、戦闘でも商売でも、負ける理由は慢心と油断しかないな。


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