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読書日記「太陽の坐る場所」辻村深月

ーあらすじ

高校卒業から10年。大人になった元同級生たちの話題は、人気女優となったキョウコのこと。クラス会に欠席を続ける彼女を呼び出そうと、それぞれが思惑を巡らせ行動に出る。だが、一人また一人と連絡を絶っていく。これはあの出来事が原因なのか、、、?学生時代の教室内にはびこる悪意や痛み、現在の葛藤、挫折そして希望を鮮やかに描くストーリー。




ー考えたこと

学生時代、同じ青春を過ごしたクラスメイトから遠い雲の上の存在のような芸能人になってしまった”キョウコ”。大人になって仲間内で集まると話題に上がる彼女だが本当にその場にいる全員が彼女を同じ高さで語っているのだろうか。他の芸能人と同レベルで語っているのか、昔の友人という要素を心のうちにとどめ、どこか自らの自慢のように語っているのか。グループというのは遠目から見るとみんな同じ温度に見えるが、実際は全員が自分は違うと一つ上から目線で語っている場合がある。みんなが一つ上の段に立てばみんな同じ高さになるので結局同じになる気もするが。

学生時代にやってしまったことを許せる人はどれほどなんだろうか。
やったことを棚にあげてやられたことを一生覚えている人はどれだけ被害者面をすれば気が済むんだろうか。
視点を変えればそれぞれがある人に対して違う印象を抱いている。それは距離感や性別によって違ってしまうが、噂からの偏見をもっているような人もいる。でも、本当の自分を受け止めてくれる人が一人でもいればいいんじゃないか。私はまだそんな人に出会えていないが、きっと過去を振り返った時にあいつがそうだったと思える日が来ると信じて生きていきたい。

よくも悪くも学生時代と現在の社会における人間らしさがが描かれていると感じた。性格が悪かったって胸張って生きてる。人間だよなあ、、、。




ー感想(ネタバレあり)

個人的に大好きなのが第二章のラストである。登場人物の中で一番近いものを感じたのが里見沙江子で、自分と近しい人間臭さを感じた。中途半端に済ませないようにきちんと注意するものを、集団が弾こうとするのは自分も経験したものだった。別にグループに入りたいわけじゃないのに可哀想がって話しかけられるのが不快なのは共感してしまった。彼女の持つプライドの壁を壊してくれる友人がいてよかった。貴恵ちゃんがマンションに来たときは妙な爽快感があった。一人で地に足をついて歩いてきた彼女が寄りかかれるものを探すのは不思議な話ではない。そこにつけこんだ彼が100悪いとも言えないが、それでも彼を殴ったと聞いたときはないすううううううううう!と思ってしまった。自分の代わりに殴ってくれる友が欲しい!!!それまで私は自分で殴りに行きたいと思う。笑

自分にとっての太陽を見つけられるといい。動かない太陽はそこにあるから、それが見えない夜にあなたを照らしてくれるような光があることを祈る。明けない夜はないらしいが、明けるまでの時間がないわけじゃないので少しでも健やかに寝れること願って。

前向きになった訳では無いけど、前向きにもなれると感じられた本だった。
高間響子も少女だった。青い春がそうさせてたのかもしれない。


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