私は昔から思い出を可視化させる手段に執着があった。写真もパンフレットもその時の気持ちも、全部形に残しておかなきゃ消えちゃうような気がして。

 

心の中を片付けるためには物理的にも片付けが必要なのではないかと思い久しぶりに開けた引き出しの中から大量のレシートが出てきて、片付けどころか脳内も心臓の奥の方も散らかってしまった。

 

他人から見たらゴミとしか思えないような紙の山に紛れた一枚だって、私にとっては食べたものの表記ひとつでその時の情景を思い出せてしまう引き金だ。乗ったタクシーの値段で乗った場所も行き先すらも即座に蘇る。買ったお土産の品でその時誰と仲が良かったのかも。レストランのどの席に座って、何を考えながら誰の顔を見て料理を口に運んだのかも。

 

こんなことでもないと忘れている記憶の断片をいつまで大事に持ち歩いてしまうんだろう。でも私の大部分は、すぐに頭に浮かぶような大きなものじゃなく、なにかのきっかけをもらえないと思い出せない小さなことの詰め合わせで出来ているような気がする。

 

文字が消えないようにしっかりと裏向きにして畳んだ小さな紙を開くと、薄れてしまったインクがそこにはあった。どんなに頑張っても時間が経つと消えてしまう文字みたいに、私の記憶も無理なくゆっくりと消えてくれますように。

 

今はとりあえずこの思い出の山をゴミ箱に放ってみます。


2019/7/25 16:23:07

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