ドラッカーを‘あまり’お勧めしないわけ

僕の周りでも会社からMBAやビジネススクールへ行かれる方が、少なからずおられます。今日はそうした方から時々受ける質問から。

最近日経ビジネスなどでドラッカーが経営学の世界標準に含まれていないといった記事を見ました。確かに経営学史を簡単にまとめたものには、ドラッカーが登場しないことがあります。かく言う僕も、講義で経営学の成り立ちを話すとき、ドラッカーは取り上げません。

ドラッカーがマネジメントの父と呼ばれ、優れた経営思想家(ここでは敢えてこう記します)であることは事実です。僕自身、大学院以降ドラッカーは当然のように原書を読みました。多くの著名な経営者に多大な影響を与えています。
特に日本及びアジアでは、現在でも絶大な人気を誇り、その著書は多くの方に親しまれています。

しかしそれでも、実は僕はドラッカーの本を‘あまり’お勧めしません。

今回はなぜドラッカーの著書を勧めないのか、ではドラッカーを読むために何が必要なのかを記したいと思います。

1.ドラッカーとは
ピーター・ドラッカーは20世紀初頭のオーストラリアに生まれたユダヤ系オーストラリア人です。職業の傍ら、法学博士を取得し、英国へ移った後、ケインズから経済学を学びます。その後米国へ逃れ、経営学の分野に進出します。当初の著書は政治学者としての視点から組織を考えたものでした。人と組織のあり方を考えるうえで、経営学の父と呼ばれるテイラーや心理学で有名なマズローの影響を強く受けます。初期の経営学は科学的管理から人の生産性、組織論やリーダーシップ論へと発展していきます。ドラッカーの最大の関心事は「人を幸せにすること」であり、その中から、ドラッカー自身が問題意識の中核としてきた、人と組織のあり方を考え、長らく経営学者として活躍しました。

2.ドラッカーの視点
ドラッカーは、上述からわかる通りマルクスを学んでいますし、その問題意識も準拠しています。その後マクロ経済学(呼称当初の近代経済学)を学び、経営学の古典に傾倒しました。その分析は現象学的と言えますし学問の出自から哲学を基盤としています。これがドラッカーを経営思想家と呼ぶ所以です。
加えドラッカーはゲシュタルト心理学にも傾倒しています。人の幸せのあり方を考えるドラッカーは、こうした視点から「組織」を研究対象の中心に据えました。
ドラッカーは本人の言葉として、自身を「社会生態学者」と規定しています。これはとても適切な表現のように思います

3.ドラッカーの問題点
ドラッカーは企業経営において様々な考えを社会に示しました。これらは大変優れた考え方です。しかし一方で、ドラッカーは自論を科学的に証明していません。これが世界標準の経営学に含まれない理由です。またドラッカーは、自信の経営思想(敢えて理論としません)を述べるうえで、様々な実例を挙げていますが、自論に合わせた誇張が多いという指摘があります。これもドラッカーが批判される大きな理由の1つです。
これらは多くの場で、ドラッカー批判として紹介されていますし、マルクス経済学派の経営経済学を学ぶ者としてある部分では同感です。

4.ドラッカーを読むための課題
とはいえ間違ってはいけないのは、ドラッカーが優れた研究者であり、優れた経営思想を残し数多くの影響を与えている事実です。
それではドラッカーを読むためには何が必要なのでしょうか。

・基本的な学問の理解
先にも述べたように、ドラッカーはその著書で論証がなされていないことが批判の対象となっています。米国ではこれは特に致命的です。
しかしドラッカーの経歴を見て解るように、戦前のドイツで法学博士、マクロ経済学の大家であるケインズから経済学を、さらにテイラーやマズローなどを学んだ人物です。僕のような凡人には足元にも及ばない学問的背景を基に思想を構築しています。

つまりかなり高い次元での学問的理解がないと、ドラッカーの言葉の真意を汲み取れないのです。
実際にドラッカーのエッセンス本などやドラッカーの愛読者の話を聞くと、独自の解釈が多く見られます。中にはかなり勝手な解釈もあります。
ドラッカーを正しく読むには、デカルトの「方法序説」からドイツ批判哲学、法学、マルクス・エンゲルス、、、名前を挙げると切りがありませんが、かなり高い次元で学問を学んでいないと本当に理解することが難しいです。

5.それでもドラッカーを読むためには
ここまでくると「素人がドラッカーを読んでも意味がない」と言っているようにとられてしまいます。

まあ、少しそういう気持ちもありますが、、、

教壇に加えて、今企業経営の支援をしている者としては、個人的にはやはりドラッカーをちゃんと読んで欲しいというのが本年です。

しかしそれでは、これまで記してきたことと矛盾してしまいます。
そこで、僕なりのドラッカーの読み方を紹介したいと思います。

①感動しない
これはどんな専門書でも同じですが、感動しないで下さい。例えば僕の拙稿でも「感動した」という方がおられますが意味が解りません。学術書は事実から論証しているだけです。「感動した」と言う方ほど理解から離れてしまいます。
②批判的に読む
ドラッカーを好んで読む方は、僕から見ると「ドラッカー信者」に見えることがます。
以前、僕のnote「よく受ける質問~どんな本を読んだらよいか」でも記しましたがが、傾倒して本を読むと、名言週やハウトゥ本のように、都合よく思い込んで、感銘を受けるだけで何も学ばないということになってしまいます。
批判とは「比して判じる」と説明していますが、自分で判断することが大切です。
③体験に準拠しない
以前、「体験」と「経験」について記しました。人は体験に基づいて考えると、かなり都合のよい答えを導きだし自分勝手な判断をします。

これを哲学では概念論と唯物論に分類します。

かつてビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言いました。この言葉はドラッカーも好んだそうです。
ドラッカーを読むとき、自分の経験から判断しないことが大切です。

④知らないことは素直に調べる
これもどんな本でも同じですが、知らないことは調べましょう。このとき、「知っているつもり」ということがあります。例えば僕が新書などを読むとき、一応知っていても脚注を読みますし、頻繁に調べます。
自分が知っていることでも、納得できなかったり、疑問に感じたときはまず本を正解と考えて調べましょう。

以上、今回はドラッカーの読み方について、僕なりに意見を述べてみました。

皆さん読書の一助になれば幸いです。


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