「モノからコト」についての疑問


僕は常々思っている疑問があります。それは「モノからコト」という言葉です。
この言葉を初めて聞いたのはデザインの世界の人達と付き合いができてからのこと。またこの頃から経験価値という言葉を聞くようになり、ユーザーエクスペリエンスという言葉も耳にします。

あ、ちなみにweb業界で言われているUXは、実際にはUIだと思っています。

なぜ「モノからコト」が疑問に感じるかというと、僕は経営経済学の研究者として、行政や町づくりなどに参加しましたが、「コト」のために「コト」しか作っていないからです。
この「モノからコト」は特に製品などを指して言われていますが、これもやはり違和感を感じます。特に産業界などで偉業をなした人達は、昔から「人の役に立つ」という表現をしている人が少なくありません。むしろそうした志のある人ほど成功したと言っても過言ではないでしょう。
そのためかなり失礼な言い方になってしまいますが、時々デザイナーの方が言う「モノからコト」が「モノのためのコト」に聞こえることがあります。

つまり最初から「コト」ありきということになります。

ではなぜ今「モノからコト」なのでしょうか。

これは特にプロダクトデザイナーの方から聞いた話ですが、バブル期、つまり作れば売れた時代に、企業は作りたいものを作ったことから「モノ」ありきになってしまったということでした。
確かにバブル期には、様々な革新的な製品やいわゆる「とがった」製品が生み出されました。しかしこの説明には少し違和感を感じます。大企業ではそうかもしれませんが、バブル期でも売れない製品はありました。しかもバブル崩壊から既に30年、あまりにも時間が経っています。

この疑問について僕は以下のように考えました。
1つ目の理由は、社会の要求が変化したことです。1980年代、アメリカでビジネススクールが人気になりました。この頃経営学が求められたのは、ビジネスモデルでした。1990年代になると、冷戦の崩壊や世界的な景気の後退に加え、IT残業の急速な発展により、経営学は未来予測が求められました。2000年代はアメリカの同時多発テロに始まり、世界的な企業の不祥事、情報隠蔽の発覚から、経営学は社会や企業の在るべき姿を求められるようになりました。2010年代に入ると、世界的な二極分化や貧困などの問題から、経営学は、本当の豊かさの基準を求められるようになりました。こうした社会の要求の変化が、価値の変化をもたらした要因の1つだと考えます。
2つ目の理由は生産や流通、情報の変化によって、多くの製品が以前のような利益を得られなくなったためではないでしょうか。コンピューターやITの発展は様々な生産技術を発展させ、生産コストを劇的に低下させました。また流通の変化や製販統合により、流通業も大きく再編されました。しかしこうした変化を下支えする中小企業の経営形態は変化しておらず、大企業の要望と慣行に合わせるうちに、ほとんど利益を得られなくなってしまいました。
3つ目の理由として、上述の変化を受け入れるだけだった世の中が、いつの間にか「コトなかれ主義」になってしまったのだと考えています。奇しくも現代、大人も含めて国語力の低下が問題視されています。うわべの情報や価値観に流され、消費者が自分の目で価値を判断しなくなってしまったのではないでしょうか。

それでは今後どのように考えればよいのでしようか。

僕が最も感じるのは、価値という概念の見直しです。
例えば僕は経営学やマーケティングの講義で、「サービス」という言葉の説明をします。
これはよく語られる話ですが、サービスという言葉は「おまけする」という意味で使われます。しかし元来、サービスという言葉はにディスカウントという意味はありません。例えばスポーツ、バレーボールやテニスであれば、サービスから試合が始まります。
サービス業はボランティア(そもそものボランティアとも違いますが)ではありません。実はサービスにはとてもお金がかかります。なぜならコストの大半が人件費だからです。
しかし日本は技術や労働力に対して、正当にお金を払うという感覚が薄いです。これには日本の企業が長らくメンバーシップ型雇用によって組織を構成しており、いわゆる「プロフェッショナル」が少い社会であることが挙げられます。加えて戦後復興から発展の中で、「次の世代のために」休みを返上して頑張った人達の働きを当然のものとし、適切な人件費を支払ってこなかったことも問題です。

「モノからコト」という言葉は、価値基準を「数字や思い込みで価値を表したモノ」から「人が成したコト」に変えなければならない。

僕はそんな風に感じます。

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