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選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる──『22世紀の民主主義』要約公開

著者:成田悠輔/提供:SBクリエイティブ

『22世紀の民主主義』の中から「B.要約」と「C.はじめに言い訳しておきたいこと」を公開します。すでにnoteにて掲載済みの「A.はじめに断言したいこと」も合わせて掲載しました。ぜひお読みいただけますと幸いです。

A.はじめに断言したいこと

 分厚いねずみ色の雲が日本を覆っている。停滞と衰退の積乱雲だ。どうすれば打開できるのか? 政治だろう。どうすれば政治を変えられるのか? 選挙だろう。若者が選挙に行って世代交代を促し、政治の目を未来へと差し向けさせよう。選挙のたびにそんな話を聞く。

 だが、断言する。若者が選挙に行って「政治参加」したくらいでは何も変わらない。今の日本人の平均年齢は48歳くらいで、30歳未満の人口は全体の26%(※1)。全有権者に占める30歳未満の有権者の割合は13.1%。21年の衆議院選挙における全投票者に占める30歳未満の投票者の割合にいたっては8.6%でしかない(※2)。若者は超超マイノリティである。若者の投票率が上がって60~70代と同じくらい選挙に行くようになっても、今は超超マイノリティの若者が超マイノリティになるだけ。選挙で負けるマイノリティであることは変わらない。

 若者自身の行動も追い打ちをかける。日本の若者の投票先は高齢者の投票先とほとんど変わらないという事実だ。20~30代の自民党支持率は、60~70代とほとんど同じかむしろ高い(※3)。ということは、若者たちが選挙に行ったところで選挙結果は変わらないし、政治家にプレッシャーを与えることもできない(※4)。

 もっと言えば、今の日本の政治や社会は、若者の政治参加や選挙に行くといった生ぬるい行動で変わるような、そんな甘っちょろい状況にない。数十年びくともしない慢性の停滞と危機に陥っており、それをひっくり返すのは錆びついて沈みゆく昭和の豪華客船を水中から引き揚げるような大事業だ。

 具体的には、若者しか投票・立候補できない選挙区を作り出すとか、若者が反乱を起こして一定以上の年齢の人から(被)選挙権を奪い取るといった革命である。あるいは、この国を諦めた若者が新しい独立国を建設する。そんな出来損ないの小説のような稲妻が炸裂しないと、日本の政治や社会を覆う雲が晴れることはない(※5)。

 私たちには悪い癖がある。今ある選挙や政治というゲームにどう参加してどうプレイするか? そればかり考えがちだという癖だ。だが、そう考えた時点で負けが決まっている。「若者よ選挙に行こう」といった広告キャンペーンに巻き込まれている時点で、老人たちの手のひらの上でファイティングポーズを取らされているだけだ、ということに気づかなければならない。

 手のひらの上でいかに華麗に舞って、いかに考え抜いて選挙に行って、「#投票に行こう」とSNSに投稿したところで、今の選挙の仕組みで若者が超マイノリティである以上、結果は変わらない。ただの心のガス抜きだ。それを言ってはいけないと言われるけれど、事実なのでしょうがない。

 これは冷笑ではない。もっと大事なことに目を向けようという呼びかけだ。何がもっと大事なのか? 選挙や政治、そして民主主義というゲームのルール自体をどう作り変えるか考えることだ。ルールを変えること、つまりちょっとした革命である。

 革命を100とすれば、選挙に行くとか国会議員になるというのは、1とか5とかの焼け石に水程度。何も変えないことが約束されている。中途半端なガス抜きで問題をぼやけさせるくらいなら、部屋でカフェラテでも飲みながらゲームでもやっている方が楽しいし、コスパもいいんじゃないかと思う。

 革命か、ラテか? 究極の選択を助けるマニュアルがこの本である。

※1 総務省統計局「人口推計 2022年(令和4年)4月報」2022年4月20日

※2 総務省「国会議員の選挙における年令別投票状況」

※3 2021年衆議院選挙の出口調査によると、世代別の自民党の支持率は、
NHK:18・19歳:43%、20代:41%、30代:39%、40・50代:36%、60代:34%、70代以上:38%
朝日新聞:10代:42%、20代:40%、30代:37%、40・50代:35%、60代:33%、70歳以上:37%
日本経済新聞:10代:36.3%、20代:36.7%、30代:38.2%、50代:36.7%、60代:30.5%、70歳以上:31.6%

※4 実際、19年の参院選では若者の投票率が上がっていたとしても選挙結果にはほとんど変化がなかったことを示すシミュレーションがある。徐東輝「もし若者の投票率が上がっていたら参院選はどう変わっていたのか」(選挙ドットコム、2019年)

※5 「出来損ないの小説」と口走ったことをお詫びする。日本語だけでも井上ひさし『吉里吉里人』、村上龍『希望の国のエクソダス』、島田雅彦『浮く女沈む男』といった独立国家小説がある。

B.要約

 ほとんどの読者には馴染みがないだろうけれど、学術論文にはだいたい要約・要旨(abstract)と呼ばれるものが付いてくる。「要は何を主張したり発見したり証明したりした論文なのか」を短くまとめたもの、つまりアンチョコやカンニングペーパーである。

 この要約が好きだ。忙しい読者はそこだけ読めば要はどんな話なのかざっくりわかる。それをネタに飲み会やカフェでおしゃべりし、著者をディスることもできる。ということで、この本にもはじめに要約を付けてみたい。

 とはいえ、要約はしょせん要約でしかない。この要約だけでは情報の密度が高すぎ、論理の展開が速すぎ、根拠がよくわからない断言が多すぎる。読者は置いてけぼりで「……?」という感じかもしれない。根拠や背景、詳細を与えるのが本体の役割になる。

 ということで、この要約をできれば二回読んでほしい。一回は今すぐ本体を読む前、もう一回は本体を読んだ後だ。そうすることで、この本が何を主張しているのか、前からそして後ろからより立体的につかんでいただけるはずだ。さあ、はじめてみよう。

◯□主義と□◯主義

 経済と言えば「資本主義」、政治と言えば「民主主義」。勝者を放置して徹底的に勝たせるのがうまい資本主義は、それゆえ格差と敗者も生み出してしまう。生まれてしまった弱者に声を与える仕組みが民主主義だ。暴れ馬・資本主義に民主主義という手綱を掛け合わせることで、世界の半分は営まれてきた。

 二人三脚の片足・民主主義が、しかし、重症である。ネットを使って草の根グローバル民主主義の夢を実現するはずだった中東の多国民主化運動「アラブの春」は一瞬だけ火花を散らして挫折した。むしろネットが拡散する煽動やフェイクニュースや陰謀論が選挙を侵食。北南米や欧州でギャグのような暴言を連発するポピュリスト政治家が増殖し、芸人と政治家の境界があいまいになった。

故障

 ただの印象論ではない。今世紀に入ってからの20年強の経済を見ると、民主主義的な国ほど、経済成長が低迷しつづけている。

 平時だけではない。コロナ禍の20~21年にも、民主国家ほどコロナで人が亡くなり、経済の失墜も大きかった。08~09年のリーマンショックでも、危機に陥った国はことごとく民主国家だった。「民主主義の失われた20年」とでも呼ぶべき様相である。

 なぜ民主国家は失敗するのか? ヒントはネットやSNSの浸透とともに進んだ民主主義の「劣化」である。劣化を象徴するヘイトスピーチやポピュリズム的政治言動、政治的イデオロギーの分断(二極化)などを見てみよう。すると、そうした民主主義の劣化が今世紀に入ってから世界的に進んでいること、そしてその劣化の加速度が特に速いのが民主国家であることがわかった。

 加速する劣化と連動して、民主国家の経済も閉鎖的で近視眼的になってきた。民主国家ほど未来に向けた資本投資が鈍り、自国第一主義的貿易政策が強まって輸出も輸入も滞っている。これらの要因が組み合わさって民主主義の失われた20年が引き起こされたようなのだ。そしてコロナ禍の2020年には、民主国家ほど網羅的で徹底した初期封じ込め政策を取り損ねた。有事の公衆衛生でも平時のマクロ経済でも、張るべきところに張れない今世紀の民主国家の煮え切らなさが浮かび上がってくる。

 民主劣化とその経済的副作用は今世紀に入って目立ちはじめた。21世紀の何が民主主義をつまずかせているのか? ウェブ・ソフトウェアビジネスの成長やウェブ上の情報拡散、金融危機、ウイルス感染など、21 世紀の主成分には共通点がある。嵐の前の静けさのような助走や停滞があったあと、常人の直感を超えた速度と規模で反応が爆発することだ。

 超人的な速さと大きさで解決すべき課題が降ってきては爆発する現在の世界では、凡人の日常感覚(=世論)に忖度しなければならない民主主義はズッコケるしかないのかもしれない。

闘争

 では、重症の民主主義が再生するために何が必要なのだろうか? 三つの処方箋が考えられる。(1)民主主義との闘争、(2)民主主義からの逃走、そして(3)まだ見ぬ民主主義の構想だ。

 闘争は、民主主義と愚直に向き合い、調整や改良によって呪いを解こうとする生真面目な営みだ。政治家の注意を目の前の内向き世論だけでなく長い目で見た成果へと振り向けるため、たとえばGDPや平等・幸福度などの成果指標に紐づけた政治家への再選保証や成果報酬を導入するのはどうだろう。

 政治家の直面するインセンティブを改造する「ガバメント・ガバナンス(政府の統治)」案に加え、選挙制度の再デザインの提案も数多い。オンライン投票やアプリ投票はもちろん、世代間格差を乗り越えるための政治家や有権者への任期や定年。「世代別選挙区」や各投票者があとどれくらい長く生きそうかで票を重みづける「余命投票」の導入も考えられる。

 若者に限らず無視されがちなマイノリティ・少数派の声を汲み取る企てもある。政治家の男女別定数や、政党や政治家ではなく政策論点ごとに投票を行って自分にとって大事な論点に多くの票を割りふることを許す液体民主主義などだ。

 とはいえ、実現可能性は心許ない。既存の選挙で勝って地位を築いた現職政治家がこうした選挙制度改革を行いたくなるだろうか? 無理そうなのは明らかだ。

逃走

 そう考えると、民主主義との闘争ははじめから詰んでいるかもしれない。だとしたら、いっそ闘争は諦め、民主主義から逃走してしまうのはどうだろう?

 タックス・ヘイブンへの資産隠しなど、国家からの逃走は一部ではすでに日常である。そして思い出してほしい。今や民主主義も、失敗に次ぐ失敗を市民に課す政治的税にも見えることを。だとすれば、タックス・ヘイブンがあるように政治的デモクラシー・ヘイブンもありえるのではないか?

 既存の国家を諦めデモクラシー難民となった個人や企業を、独立国家・都市群が誘致したり選抜したりする世界。独自の政治制度を試す新国家群が企業のように競争し、政治制度を商品やサービスのように資本主義化した世界だ。

 過激な妄想だと思われるかもしれない。だが、そのような試みが実は進行中である。たとえば、どの国も支配していない地球最後のフロンティア・公海の特性を逆手に取って、公海を漂う新国家群を作ろうという企てがある。お気に入りの政治制度を実験する海上国家やデジタル国家に、億万長者たちから逃げ出す未来も遠くないかもしれない。

 21世紀後半、資産家たちは海上・海底・上空・宇宙・メタバースなどに消え、民主主義という失敗装置から解き放たれた「成功者の成功者による成功者のための国家」を作り上げてしまうかもしれない。選挙や民主主義は、情弱な貧者の国のみに残る、懐かしく微笑ましい非効率と非合理のシンボルでしかなくなるかもしれない。私たちが憫笑(びんしょう)する田舎町の寄り合いのように。そんな民主主義からの逃走こそ、フランス革命・ロシア革命に次ぐ21世紀の政治経済革命の大本命だろう。

構想

 だが、逃走はどこまでいっても逃走でしかない。民主主義に絶望して選民たちの楽園に逃げ出す資産家たちは、民主主義に内在する問題を解決しはしないからだ。では、どうすれば逃走と闘争し、民主主義の再生をはかれるだろうか? 求められるのは、民主主義を瀕死に追いやった今日の世界環境を踏まえた民主主義の再発明である。

 そんな構想として考えたいのが「無意識データ民主主義」だ。インターネットや監視カメラが捉える会議や街中・家の中での言葉、表情やリアクション、心拍数や安眠度合い……選挙に限らない無数のデータ源から人々の自然で本音な意見や価値観、民意が染み出している。「あの政策はいい」「うわぁ嫌いだ……」といった声や表情からなる民意データだ。個々の民意データ源は歪みを孕んでハックにさらされているが、無数の民意データ源を足し合わせることで歪みを打ち消しあえる。民意が立体的に見えてくる。

 無数の民意データ源から意思決定を行うのはアルゴリズム(編集注:問題を解決するための手順をコンピューターのプログラムとして実行可能な計算手続きにしたもの。検索エンジンからおすすめ表示までウェブ上のあらゆる場所で動いている)である。このアルゴリズムのデザインは、人々の民意データに加え、GDP・失業率・学力達成度・健康寿命・ウェルビーイングといった成果指標データを組み合わせた目的関数を最適化するように作られる。意思決定アルゴリズムのデザインは次の二段階からなる。

(1) まず民意データに基づいて、各政策領域・論点ごとに人々が何を大事だと思っているのか、どのような成果指標の組み合わせ・目的関数を最適化したいのかを発見する。「エビデンスに基づく目的発見(Evidence-Based Goal Making)」と言ってもいい。

(2)(1)で発見した目的関数・価値基準にしたがって最適な政策的意思決定を選ぶ。この段階はいわゆる「エビデンスに基づく政策立案」に近く、過去に様々な意思決定がどのような成果指標に繋がったのか、過去データを基に効果検証することで実行される。

 この二段燃焼サイクルが各政策論点ごとに動く。したがって、

無意識民主主義 =
(1)エビデンスに基づく目的発見
        +
(2)エビデンスに基づく政策立案

と言える。こうして、選挙は民意を汲み取るための唯一究極の方法ではなく、(1)エビデンスに基づく目的発見で用いられる数あるデータ源の一つに格下げされる。

 意識的に実行されるものになっていく。人間はふだんはラテでも飲みながらゲームしていればよく、アルゴリズムの価値判断や推薦・選択がマズいときに介入して拒否することが人間の主な役割になる。人間政治家は徐々に滅び、市民の熱狂や怒りを受けとめるマスコットとしての政治家の役割はネコやゴキブリ、デジタル仮想人に置き換えられていく。

 無意識民主主義は大衆の民意による意思決定(選挙民主主義)、少数のエリート選民による意思決定(知的専制主義)、そして情報・データによる意思決定(客観的最適化)の融合である。周縁から繁りはじめた無意識民主主義という雑草が、既得権益、中間組織、古い慣習の肥大化で身動きが取れなくなっている今の民主主義を枯らし、22世紀の民主主義に向けた土壌を肥やす。

 無意識データ民主主義の構想はSF(サイエンス・フィクション)ではない。SFは、想像力の限りを尽くして、ありえる世界とありえない世界の境界に触れ、ありえることを押し広げる営みだ。浮世離れして現実に追いつかれないことが価値になる。

 この本の試みはむしろ逆だ。近未来の浮世に接近してみたい。まだ人々の脳に染みついていないが、いったん語られてしまえば、つい腑に落ちてしまうこと。素直に受け入れられてしまうことが目標だ。「『あり得るべき事件』と正確な予測に限られる点で、自由奔放に想像力をはばたかせる空想科学小説(SF)とは本質的に異なる(※6)」無意識データ民主主義は構想というより予測である。

※6 堺屋太一『団塊の世代』(講談社、1976年)

C.はじめに言い訳しておきたいこと

政治にも、政治家にも、選挙にも、興味が持てない

 この本の目的は単純明快である。選挙や民主主義をどうデザインすればいいか考え直し、色々な改造案を示すこと。それに尽きる。

 ただ、打ち明けておかなければならないことがある。政治にも、政治家にも、選挙にも、私はまるで興味が持てない。どうでもいい……そう感じてしまう。

 お世辞にも絵になるとは言えないスーツ姿のおっさんの群れがピクミンのように溢れ出す風景(※7)。学級委員がそのまま老いたような中高年が原稿棒読みで語る美辞麗句。その裏側で繰り広げられているらしい血みどろのアウトレイジ的権力闘争。議員や大臣という地位や権力・人心掌握の飽くなき自己目的化。楽しく笑顔で生活したい人間は近寄らないに越したことがなさそうだ。

 私は新聞も読まないしテレビもほとんど見ないが、政治(家)や選挙に関するニュースがたまたま目に入るたび、自分がまた一歩つまらなく古臭い人間になった気がしてしまう。ひょんなことから毎週エラい政治家と話す機会があるが、いつも辛い。動物園で珍しい動物を観察したくらいのノリでそっと退散してしまいたい。

 そのことが、しかし、この本を書くきっかけになった。

 私が、そして多くの人々も興味を持てないはずのバケモノが、社会の行く末を、そして生活のなりゆきを握っている。どんな大企業も、いや大企業であればあるほど、政府の規制や方針にビクビクして忖度している。大学も学校も、政府からの補助金がいつカットされるかと震え上がって官僚や政治家のケツを舐めるのに必死だ。気づけばシレッと政府に上げられている消費税や社会保険料で、手取り収入もどんどん寂しくなっている。海外旅行が上級国民だけに許される贅沢品になるまであと一歩だ。というか、もうなっているのかもしれない。

 政治がなにやら大事だと頭ではわかる。だが、心がどうにも動かされない。政治やそれを縛る選挙や民主主義を、放っておいても考えたり動いたりしたくなるようにできないだろうか? その難題に挑戦することがこの本の隠れた目的である。読者のためというより、正直自分のためである。そのために二つの戦略をとる。

(1)政治や選挙や民主主義をちょっと違った視点から眺めることで、考え直す楽しさや面白さを作り出すこと(「内」なる興奮を作り出す)

(2)政治や選挙や民主主義を通じて世の中をちょっとでも良い方向に変えられるかもしれない。そんな予感を与えるため、選挙や民主主義をどう改造してどう参加すればいいか、色々な方向に向かう戦略や構想を示すこと(「外」からの報酬を作り出す)

この本は素人の妄想

 もう一つ言い訳しなければならないことがある。この本のテーマについて私は素人だということだ。私は政治家でもなければ政治学者でもない。政治そのものについても、政治学や政治史についても、素人の部外者である。

 だが、素人だからと見捨てないでほしい。『暴政』という30分もあれば読めてしまう小さな本がある(※8)。ナチス・ドイツや戦前の日本など、20世紀の政治の暴走から学ぶ20の教訓を記した本だ。いくつか味わい深い教訓を抜粋してみよう。

4 シンボルに責任を持とう。
10 真実は存在すると信じよう。
11 自分で調べよう。
12 アイコンタクトと雑談を怠るな。
14 私生活はちゃんとしよう。
15 大義名分に寄付しよう。

 ずいぶんと地味で身近である。こんなんで暴政と闘えるのかと心配になる。だが、ちょっと考えてみればこの生活感は当たり前である。「政治」と私たちが呼ぶ表舞台が海面に顔を出した氷山の一角であるとすれば、その下に隠れる巨大な氷山は無名で素人の個人たちの感情と生活だからだ。個人的なものこそ政治的である。

 天下国家の政治や民主主義について考えるためにこそ、そこら素人の個人的感覚に立ち戻ることが欠かせない。制度や事実に詳しくないからこそ出てくる素朴な疑問や仮説、現場を知らずしがらみがないからこそ勝手きままに思い描ける想像が出汁になる。

 夢見がちな素人感覚と、研究者としてちょっとは培ってきた推論力や分析力、そして様々な場所で触れた政治家の言葉や表情から得たインスピレーションを混ぜ合わせてみる。政治家や政治学者の本にはない謎の跳躍やアイデアをもたらせるか、実験してみたい。

 政治家から見れば、現場から遊離した世間知らずの学者の妄想だろう。政治学者や法学者、歴史学者から見れば、穴やツッコミどころだらけで閉口する素人の雑な暴論だろう。事実誤認も残っているはずだ。

 ぜひ嘲笑してほしい。この本が必要なくなるような分析や思考を専門家に展開してもらいたい。そして、実践者に政治の現場に落とし込んでもらいたい。そのための反面教師となって海の藻屑と消えられれば幸福だ。

 最後に、この本の内容が私独自の新しい見解だと主張するつもりはまったくない。独自性や新規性はほとんどどうでもよく、他人の考えも自分の発見も等しく部品として組み合わせ、未来に向けて走る自転車を作ってみたいという気分で書いてみた。私自身が新たに分析したり想像したり思考したりした情報もあれば、どこかの誰かが言ったり書いたりやったりしたことを意識してか無意識にか拝借したものもある。できるだけ参考文献を引用したが、不十分だろう。「それは私の(あるいは誰それの)言ったことだ」と思われたら、たぶんその通りだ。ありがとうございます。

 逆に、この本の内容を再利用したい場合はジャンジャンやってしまってほしい。私に連絡する必要も名前を記す必要もない。切り抜くなりパクるなりリミックスするなり自由にしてほしい。自分のシマや功績が増えることより、世界や政治がちょっとでも変わることの方が楽しいからだ。

※7 余談だが、日本には政治家を描いた映画がフィクションでもノンフィクションでもほとんどない。絵になる政治家がいないことの表れだと思う。

※8 Snyder, T. On Tyranny: Twenty Lessons from the Twentieth Century.Crown, 2017.(『暴政:20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』慶應義塾大学出版会、2017年)

『22世紀の民主主義』の目次

A.はじめに断言したいこと
B.要約
C.はじめに言い訳しておきたいこと

第1章 故障
  ◯□主義と□◯主義
  もつれる二人三脚:民主主義というお荷物
  ギャツビーの困惑、またはもう一つの失われた20年
  感染したのは民主主義:人命も経済も
  衆愚論の誘惑を超えて
  21世紀の追憶
  「劣化」の解剖学:扇動・憎悪・分断・閉鎖
  失敗の本質 
  速度と政治:ソーシャルメディアによる変奏
  「小選挙区は仕事すると票減りますよ」
  デマゴーゴス・ナチス・SNS
  偽善的リベラリズムと露悪的ポピュリズムのジェットコースター
  そして資本主義が独走する

第2章 闘争
  
闘争・逃走・構想
  シルバー民主主義の絶望と妄想の間で
 ◎政治家をいじる
  政治家への長期成果報酬年金
  ガバメント・ガバナンス(政府統治)
 ◎メディアをいじる
  
情報成分表示・コミュニケーション税
  量への規制
  質への規制
 ◎選挙をいじる
  
政治家への定年や年齢上限
  有権者への定年や年齢上限
  未来の声を聞く選挙
  「選挙で決めれば、多数派が勝つに決まってるじゃないか」
  「一括間接代議民主主義」の呪い
  政治家・政党から争点・イシューへ
 ◎UI/UXをいじる
  電子投票が子どもの健康を救う?
  ネット投票の希望と絶望
  実現(不)可能性の壁、そして選挙の病を選挙で治そうとする矛盾

第3章 逃走
  隠喩としてのタックス・ヘイブン
  デモクラシー・ヘイブンに向けて?
  独立国家のレシピ1:ゼロから作る
  独立国家のレシピ2:すでにあるものを乗っ取る
  独立国家:多元性と競争性の極北としての
  すべてを資本主義にする、または◯□主義の規制緩和
  資本家専制主義?
  逃走との闘争

第4章 構想
 ◎選挙なしの民主主義に向けて
 ◎民主主義とはデータの変換である
  入力側の解像度を上げる、入射角を変える
  データとしての民意1:選挙の声を聞く
  データとしての民意2:会議室の声を聞く
  データとしての民意3:街角の声を聞く
  万華鏡としての民意
  歪み、ハック、そして民意データ・アンサンブル
 ◎アルゴリズムで民主主義を自動化する
  エビデンスに基づく価値判断、エビデンスに基づく政策立案
  データ・エビデンスの二つの顔
  出力側:一括代議民主主義を超えて、人間も超えて
  「しょせん選挙なんか、多数派のお祭りにすぎない」
  闘争する構想
  「一人一票」の新しい意味
  無謬主義への抵抗としての乱択アルゴリズム
  アルゴリズムも差別するし偏見も持つ
  選挙vs.民意データにズームイン
  ウェブ直接民主主義から遠く離れて
 ◎不完全な萌芽
  グローバル軍事意思決定OS
  金融政策機械
  マルサの女・税制アルゴリズム
  萌芽の限界:自動価値判断とアルゴリズム透明性
  無意識民主主義の来るべき開花
 ◎政治家不要論
  政治家はネコとゴキブリになる
  「民度」の超克、あるいは政治家も有権者も動物になる
  政治家はコードになる
  夢みがちな無意識民主主義

おわりに:異常を普通に

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