「よかれと思って」は親の自己満足
出口保行
『犯罪心理学者が教える子どもを呪う言葉・救う言葉』序章より
犯罪や非行、問題行動の背景には、どのような家庭環境で育ったかという問題が大きく関わっています。しかし、家庭環境といっても、虐待や育児放棄、貧困といったわかりやすい問題だけではありません。
実は、親がよかれと思って投げかけた言葉が「呪いの言葉」となって子どもの未来を壊してしまう場合が多いのです。
そう、親の子育ての、ほんのちょっとした不注意こそが問題なのです。
これは、私が1万人を超える犯罪者・非行少年の心理分析を行った経験から、確信したことです。
私は現在、大学で心理学を教える立場にありますが、以前は、法務省に勤めていました。法務省の心理職として22年間勤める中で、現場としては、少年鑑別所は青森、横浜、高知、松山の4か所、刑務所は重大犯罪者を集めた宮城刑務所、拘置所は国内最大の東京拘置所に勤務しました。
そのほか霞が関にある法務省矯正局や法務省大臣官房秘書課、法務総合研究所などでの勤務経験があります。
現場で心理分析を行った犯罪・非行のタイプは多岐にわたります。
東京拘置所に勤務していた当時は、犯罪件数が戦後もっとも多かった時期でした。万引き犯からオウム真理教の関係者、指定暴力団や大規模窃盗団、外国人犯罪者集団など、わが国で起こるすべての種類の犯罪について心理分析を行いました。また、宮城刑務所は、無期懲役を含む長期刑の受刑者を集めて収容する刑務所でしたので、強盗・強姦殺人、テロ殺人、保険金殺人といったあらゆるタイプの凶悪犯罪について心理分析を行いました。少年鑑別所でも万引きや覚せい剤使用から殺人までさまざまな非行少年の心理分析を試みました。それぞれが印象深く、いまも鮮明に記憶に残っていることばかりです。
犯罪・非行自体は決して許されることではありませんが、非行少年たちを見ていると、ある意味では親をはじめとする大人たちの「犠牲者」だと感じることがあります。その少年がひとりで勝手に悪くなったわけではないのです。
冒頭の繰り返しになりますが、一見何の問題もないように見える家庭で、保護者としても「よかれと思って」していることが子どもにとってはそうではないという「ボタンのかけ違い」が問題化している場合も多いのです。(「はじめに」より抜粋)
「よかれと思って」が犯罪につながるのはなぜなのか
第1章に入る前に、この章では子育てで大事な前提をお伝えします。
親は子どものためを思って、「ああしなさい」「これはしてはダメ」とさまざまな声かけをするものです。人間は社会の一員として生活することが求められ、ひとりでは生きていけませんから、社会性を身につける必要があります。「人の物を盗ってはいけない」「暴力をふるって人を傷つけてはいけない」といったことも、親が教えなければならない社会のルールのひとつでしょう。社会に出て困らないよう最低限のルールを教えるのは親の務めです。
私が見てきた非行少年の親の中には、あまりにも放任主義で親としての責任を放棄しているように感じる人が一定数いました。子どもが何か問題行動を起こしたとき、「子どものしたことであって自分には関係ない」「自分の責任ではない」という態度をとり続けるのです。こうした態度が子どもにいい影響をおよぼすわけがありません。
少年院に収容された非行少年の親について、少年院の先生(法務教官といいます)が問題だと感じていることを調査したデータがあります。これによれば、もっとも問題とされているのは「子供の行動に対する責任感がない」(62・5%)。次いで「子供の言いなりになっている」(50・2%)、「子供の行動に無関心である」(49・1%)となっており、親の責任感の乏しさを問題として認識している先生が多いことがうかがえます。
子どもに対して社会のルールを教えることもせず、問題を起こしたときに「子どもが勝手にやったことだから知らない」という親のもとでは、子どもは責任について考えることができません。当然ながら更生への道も険しいものとなります。
一方で、「ああしなさい」「これをしてはダメ」といった、社会性を身につけさせるために言った言葉の数々が子どもをがんじがらめにし、非行へ向かわせていることがあります。
「よかれと思って」
非行少年の保護者から何度聞いたかわかりません。
子育てを放棄しているわけでもない、虐待をしているわけでもない、自分なりに一生懸命やってきた。子どものためを思って、よかれと思っていろいろな言葉をかけてきた。そう思っている親も多いのです。
「うちの子がまさかそんなことをするなんて……」
よかれと思ってしたこと・言ったことがいったいなぜ、非行・犯罪につながってしまうのでしょうか。
客観的事実と主観的現実は違う
「はじめに」でもお話しした通り、私はこれまで1万人を超える犯罪者・非行少年の心理分析をしてきました。
ここで、犯罪心理学における心理分析とはどういうものなのか簡単にご説明しておきましょう。
そもそも心理学は「科学」の一分野です。何らかの事実に基づいて分析する学問であって、いわゆる占いや予言とは別のものです。バラエティ番組でも占いのように「心理を当ててください」と期待されることがありますが、「当てる」というのとは違います。あくまでも証拠やデータに基づき、分析をするのです。
現場で行っていることを具体的に言うと、「1対1の面接」「心理テスト」「行動観察」の3つです。
面接では、生育歴や家族のこと、学校生活についてなどを丁寧に聞いていきます。とくに家庭環境、家族一人ひとりがどんな人なのかといったことをじっくり聞くことから始まります。当然ながら1回で終わることはありません。
なぜこんなことをするのか。その人の中でどのような記憶がどのように人格形成に影響しているのかを調べるためです。これを省いて心理分析を行うことはできないのです。
面接では事件に至るまでのプロセスについても調べるので、「警察の取り調べとは違うのですか?」と聞かれることがありますが、全然違います。警察の取り調べは、客観的事実を時間軸に沿って追っていくのが基本です。何時何分にどこで何をしたのか。供述を記録したものが、裁判資料になります。ここで重要なのは客観的事実です。
一方、心理分析で重要なのは「主観的現実」。私たちももちろん客観的事実について聞きますが、本人がどうとらえたかが問題です。はたから見ると些細な出来事であっても、本人にとっては大きなショックだったということはあります。
たとえば親が何の気なしに言った「もうちょっと頑張らないとね」という言葉が、ものすごく重たいものになっていたということが実際にあります。親が「頑張らないとね」と言ったのは客観的事実ですが、それを「自分は何をやってもダメなんだ、だからお母さんは決して認めてくれないんだ」と受け止めたのは主観的現実であるわけです。
心理テストは、その人の特徴を知るための検査です。面接では主観的現実に注目しますが、同時に心理テストによって客観的な測定・評価も行います。
質問に答えることで、「あなたの特徴は~です」と表示されるゲームのような心理テストが巷に多くありますが、犯罪心理分析で行うものはプロしか扱えない専門的なものです。心理テストを実施し、解釈することも心理分析のひとつなのだということです。
それから「行動観察」をします。
面接では、少しでも罪を逃れようと「いい人を装う」「反省しているフリをする」人も多いのが現実です。「大変なことをしてしまいました。心を入れ替えて真面目に生きていきます」と涙ながらに訴えていた人が、ひとりになったら寝転がって「フン!」と言っている。そんなケースはいくらでもあります。面接以外で観察をするのも非常に重要です。
家庭裁判所が精密な調査を求める非行少年の場合、少年鑑別所で約4週間にわたりこういった心理分析を行います。その結果をもとに家庭裁判所で処分を決めることになります。少年院に入院する場合は、この心理分析結果が少年院でも活用されます。
どんな人も更生できる
このように、心理分析は多面的に行うものです。犯罪者一人ひとりに対して、時間と労力をしっかりかけて行います。すべては更生プログラムに活かすためです。
よく誤解されるのが、犯罪心理学とは「なぜその犯罪が起きたのかを分析する学問」だということです。もちろん、犯罪の原因を調査するのは大事なことです。「なぜやってしまったのか」を分析することは求められるのですが、それが目的ではありません。
犯罪心理学の目的は、更生への指針を示すことです。罪を犯してしまった人が社会に復帰して、自律的に生きていくための教育を施すことなのです。更生プログラムを作るために、じっくり時間をかけて心理分析をしています。そのプログラムは、一人ひとり違うオーダーメイドです。
あまり知られていませんが、少年院に限って言えば日本の更生率は非常に高いです。
少年院を出た後、5年以内に再犯して戻ってきてしまう率は約15%(出典:令和3年版犯罪白書[法務省])。つまり、8割から9割が更生できているというわけなのです。
そもそも少年院に行く子ども自体の数も少ないです。家庭裁判所で扱った非行事件約4万4000件のうち少年鑑別所入所者は約5200人、少年院へ入所するのは約1600人。つまり、少年鑑別所まで行くのは全体の12%、少年院まで行くのは全体の4%ということです(出典:令和3年版犯罪白書[法務省])。
少年院まで行くのは、一般的に言えば「どうしようもない悪いヤツ」と思われている少年です。普通にしていたら「社会生活ムリでしょ」「また犯罪するでしょ」と思われている少年が、少年院に入って1年ほどで社会復帰し、多くは再犯することなく生活ができるようになっているのです。こう考えると、驚くべき数字ではないでしょうか。
これには犯罪心理学の分析結果に基づいた矯正教育における的確な更生プログラムと、丁寧な教育実践が功を奏していると考えられます。
きちんと心理分析をし、それに基づいて個別の教育をきちんと行うことができれば、どんなに「どうしようもないヤツ」と思われている人でも、社会の中で自律的に生きていくことができるのです。私はそれを信じてやってきましたし、実際に教育を行っている少年院の先生もそうでしょう。
親のよかれは子どもにとっていいとは限らない
ただ、正直に言うと厄介なのは保護者のほうです。子ども自身は、変わることができます。しかし、親が変わることを拒むと、子どもの更生が難しくなるのです。
私は多くの非行少年の更生にも立ち会ってきました。その中で、たとえば親に対し「お子さんの言うことを否定するのでなく、いったん受け入れてから指導してもらえませんか」と伝えたとき、これまでのやり方が子どもを苦しめていたことに気づき、変わる親もいました。「私が悪かった。気づかなくてごめんなさい」と子どもに謝り、良くなかったところを変える努力をするのです。
この場合、非行少年の更生は決して難しくありません。一度は罪を犯したという非常に重たいものはあるけれど、これがきっかけとなって良い方向へ向かうことができます。
ところが、同じように伝えても聞く耳を持たない親もいます。「私は私のやり方でやっているんです! あなたに何がわかるんですか!」「そんなこと言われなくてもわかっています! 私はちゃんとやっています!」とキレる人さえいるのが現実です。
親自身は「子どものためを思ってやってきた」という認識である場合、「それが子どもにとってはいい迷惑だった」と言われてもなかなか受け入れられないのでしょう。その気持ちもわかります。
しかし、親が良いと信じていることでも、子ども自身にとってはいい迷惑という場合は多いのです。そして、最初は小さなボタンのかけ違いだったものが、次第に取り返しのつかない事態になっていく……。
これはすべての親が陥る危険性のあることです。「よかれと思って」「子どものために」という言葉が出たとき、「それは本当だろうか?」と自ら顧みる姿勢が必要ではないでしょうか。大事なのは子どもにとっての「主観的現実」です。これは何度でも強調したいことです。
親が陥りがちな確証バイアス
そもそも親は「確証バイアス」によって、子育ての方針を修正するのが難しくなります。「確証バイアス」とは心理学の用語で、自分に都合のいい情報ばかりを無意識に集めてしまうことを言います。自分が正しいと思うことを支持する情報に目が行き、否定するような情報は無視する。その結果、思い込みが強固になり、かたよった判断をするようになるというものです。
これは子育ての方針に限らず、あらゆる情報について起こることです。普通にしていると誰もが陥りやすいものですから、バランスのとれた考え方をするためには、意識して自分とは別の考え方を知る努力が必要になります。
ただ、子育てに関してはとくに確証バイアスが働きがちになります。子育てや家族の中のことは、まわりが口出ししにくいからです。
「お子さんの話をもうちょっと聞いてあげたらいいんじゃない?」などと周囲の人が思ったとしても、口に出せば「余計なお世話」と言われるでしょう。「うちにはうちの方針があるから」と言われたら、何も言えません。虐待などよほどのことがない限り、外からの介入が難しいのです。虐待にしても、「これはしつけだ」と言い張られたら、簡単に介入できるものでもありません。
こうして、家族というある意味閉鎖的な空間の中で「うちの子にはこれがいい」と確信を持ってしまうと、他の情報が入ってこなくなります。
すると、どうなるか。子どもの発するSOSにも気づかなくなります。
子どもは、「もっと自分を見てほしい」「認めてほしい」というときもそれをストレートに伝えることはなかなかできません。ちょっとした口答えや、やるべきことをやらなくなるなど、小さな変化で表現します。SOSはわかりにくいものなのです。確証バイアスが機能すると、こういった変化の意味を理解することなく、そのまま突っ走ってしまいます。そして、何かのきっかけで子どもは不満を爆発させます。
親の「よかれと思って」が非行・犯罪まで行き着くことになるのです。
もちろん、いまの子育て方針でうまくいくこともあるでしょう。問題ないのであればいいのです。ただ、確証バイアスが働きやすいことは知っておいてほしいと思います。
一方的押しつけになっていないか考える機会を持つ
子育ての確証バイアスから抜け出すためには、「子どものため」と思ってやっているあれこれが押しつけになっていないか、検討する機会を持つことが大事です。難しく考える必要はありません。夫婦で、保護者間でよく話し合えばいいのです。自分以外の人の見方、考え方を知ることで、バイアスに気づけるかもしれません。家族の中でなら、思い込みに対する指摘もできるのではないでしょうか。
たとえば、妻は「子どもにはいろいろな習い事をさせたい。子どもの能力を伸ばすため、最初のきっかけは親が与えるべき」と思っているとします。一方で、夫は「習い事で忙しく、友だちと遊ぶ時間が減るのはかわいそうだ。このくらいの年齢の子にとって、自由に遊ぶ時間が何より大切だ」と思っている。
よくあるケースです。夫婦で話し合うことで、お互いに「確かにそういう考え方もあるな」と思い、ちょうどいいところを見つけられれば最高でしょう。子どもも、自分のために両親が話し合いながら考えてくれていると感じられます。話し合うというプロセス自体が重要です。
最悪なのは、それぞれが別の方針で子どもに向かうことです。
「お母さんはああ言っているけど、お父さんはこう思うぞ」と子どもに言う家庭がありがちですが、子どもは混乱します。ある程度までは「お母さんに見せる顔」「お父さんに見せる顔」と使い分けようとします。しかし、いつまでも続けられるわけがありません。子どもにとって大きなストレスとなり、いつか爆発することになります。
少年院に入った子の保護者に対するアンケートでは、子育ての問題として「夫婦の子育ての方針が一致していなかった」が高い比率で選択されています。
また、もっとも多いのは「子供に口うるさかった」というもので、母親の約7割がそのように回答しています。
ここから読み取れるのは、子育ての方針が一致していないことを不満に思っている夫婦像です。「私は子どものためを思ってこんなにやっているのに、夫は協力してくれない。何もわかっていない」と思い、子どもへの口出しがエスカレートしてしまう。自分が指導しなくてはいけないと思っているのです。まさにバイアスが強化されています。
実際、私が面接で「お父さんとお母さんで話し合ったことはありますか」と聞くと「そんなもん話すわけないじゃないか」「この人に言ったって何も聞きゃしないんだから」と不満そうに言う人は少なくありません。そして、お互いに「相手が悪い」と主張します。これでは、自分のバイアスに気づくどころの話ではありません。そのしわ寄せが子どもにいくわけです。
夫婦同士がお互いにもっと話し合い、自分と違う考え方も理解しようと少しでも努力をしていれば、こうはならないはずです。
問題なのは「一致していなかったこと」そのものではありません。
夫婦もそれぞれ違う人間ですから、価値観の相違は当然です。子育ての方針が一致しないなんていうことはいくらでもあるでしょう。むしろそれが普通です。一致しなくてもいいから、話し合うことが大事なのです。
ひとり親家庭で話し合う相手がいない場合は、公的機関に相談することをおすすめします。自分の親やきょうだいなどで親身になってくれる人がいればいいですが、意見が食い違うときに本当に話し合えるかといえば難しいのではないでしょうか。そのような場合には、専門家を頼るのが一番です。とくに問題が起きていなくても、「こういう子育ての仕方をしているが、大丈夫だろうか」と相談すればいいのです。
もちろん、自分の確証バイアスに気づくという意味では、セルフチェックもひとつの手です。本書ではセルフチェック法についてもお話しします。
方針を修正するときに大事なこと
親は子どもが自律的な社会生活ができるよう、指導する立場にあります。同時に、愛するわが子に「こうなってもらいたい」「こうやって活躍してもらいたい」という思いもいろいろあることでしょう。これが、「子育ての方針」になります。これまでお話ししたように親は確証バイアスに陥りやすいので、その方針を折に触れて見直すことが重要です。
とはいえ、誰もが子育ての方針を明確に持って子どもに向かっているわけではないと思います。自分自身がされてきたこと、体験をベースに何となくいいと思ってやっている場合も多いのではないでしょうか。そういう場合は、「子育ての方針を見直す」と言われてもピンとこないかもしれません。そして、何となくそのときにいいと思ったことを続けることになります。
また、いまは情報があふれている時代です。あの子育て法がいい、その子育て法がいいと次々に情報を得て、なかなか方針が定まらないと感じている人も多いようです。
このように、子育ての方針がいまいち明確でない場合も含めて、前提としてお伝えしたいことがあります。
それは、親子の信頼関係こそが重要だということです。
方針が頻繁に変わるのは良くありません。言うことがコロコロ変わる人のことを信頼はできないからです。さらに良くないのは、子どもに黙って方針を勝手に変えることです。なぜ変わったのかわからなければ、子どもは不信感を持ちます。
本文で紹介する犯罪の事例に共通しているのは、子どもが親に不信感を持っているということです。親への不信感に始まり、社会全体への不信感や疎外感を持っています。
子どもにとって、親を含めた「大人を信頼できない」というのはとても不幸なことです。少年院の先生は、「大人は敵ではない、信頼できる人もいる」ということを身をもって教えます。「信じていいんだよ」「大丈夫だよ」ということを伝えるのです。信頼関係を築いたうえで、更生への道を示していきます。どんなに素晴らしい指導法であっても、子どもの側が大人のことを信頼できなければ効果がありません。
そのため、更生プログラムを途中で変更する場合には必ず説明をします。心理分析をもとに丁寧に作った個別のプログラムも、ひとつの仮説にすぎません。実践の中で「方針を変更したほうがいい」「この部分を変えたほうがいい」と思われるケースは出てきます。
そういうときは、「実はこういう仮説をもとに方針を立て、ここまでやってきたけれど仮説が間違っていたようだ。だから、こういうふうに方向転換します」ときちんと話をしてから方針を変えるのです。勝手に変えたりすれば子どもは混乱し、信頼関係も壊れます。勝手に変えるくらいなら、変えないほうがマシです。そのくらい、不信感に対して敏感に対応しています。
たとえば、「お兄ちゃんなんだからしっかりしなさい。きょうだいのお手本になりなさい」と言ってきたけれど、それが子どもにとって大きなプレッシャーとなっていることに気づいたらどうしたらいいでしょうか。
急に「まわりを気にせず、もっと自分のやりたいようにやっていいんだぞ」と言い始めると、子どもは混乱します。「今まで言っていたことは何だったの?」と不信感を持つでしょう。
「これまで、兄としての役割を期待することばかり言ってごめんなさい。それがプレッシャーになっていたのなら申し訳ないことをしたと思う。私はあなたの幸せを思っているから、もうそういうことを言わないように努力をする。きょうだいそれぞれに個性があるし、それを発揮してほしい……」
ちゃんと向き合って話をすれば、大丈夫です。こうやって話をしてくれる親のことを子どもは信頼できるはずです。
子どもが小さいと「話してもわからないだろう」と思うかもしれませんが、そんなことはありません。もちろん、細かい理屈はわからないでしょう。でも、言わんとしていることはわかりますし、何より、きちんと自分に向き合おうとしてくれることを感じとり心から安心します。ちゃんと説明してくれているということが大事なのです。
親だって間違うことがあるし、それを恥じる必要はありません。完璧な人間はいないのです。
もしも、子どもに言っていたことが間違っていた、もっといい方法に変えたいと思ったら、ごまかしたり面倒だからと省いたりせずに、説明することが大事です。
信頼関係さえあれば、人生の中で起こるさまざまな危機を親子で一緒に乗り越えていけるはずです。
『犯罪心理学者が教える子どもを呪う言葉・救う言葉』目次