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ビー・マイ・バレンタイン

代わり映えしない2月14日を6年連続で一緒に過ごした人よりも、たった一度しかチョコレートを渡せなかった人たちのほうが、不思議とつよく記憶に残っている。
実らなかった恋の思い出は、いつだって美しいものだ。

もちろん、はじめから一度きりのつもりで贈ったわけではなかった。
いつだってたったひとりの特別な彼に向けて、チョコレート売り場で頭をうんうん悩ませては、甘いお菓子に気持ちを託していた。

🍫

17歳のとき、はじめてすきな男性にチョコレートを贈った。
彼は学校の先生だった。結婚している人だったので、告白してどうこうなりたいとは1ミリも思っていなかった。
ただ単純に、普段は素直に言えない感謝の気持ちを、バレンタインというイベントにかこつけて伝えたかったのだ。

LOFTのバレンタイン特集コーナーを訪れると、売り場はたくさんの女性でにぎわっていた。
楽しそうに商品を選ぶお客さんの顔を見ては、彼女たちも大切な家族や友達、恋人にチョコを贈るのだろうかと想像を膨らませた。

ひとまわり以上年上だったあの人に渡すことを考えて、「なんとなく大人っぽいから」という理由でトリュフをつくることにした。
材料の揃った手づくりキットと合わせて、少し高めのギフトボックスも購入した。
トリュフが4つ入るオフホワイトの箱に黒いリボンと、英文メッセージの入ったタグ。
その文言がよほど印象に残っていたのか、当時のわたしが日記に書き留めていた。

"If I had never met you, your birthday would be just another day of the year.
Especially for you"

「もし出会えていなかったら、あなたの誕生日も普段どおり過ごしていたでしょう。特別な人へ」

かくして台所でレシピと睨めっこしながら、慣れないチョコレートづくりに奮闘した。
ひとくちサイズのトリュフを大量生産したのは、本命だけでなく女友達にも配って、「あなたのためだけにつくったわけじゃないんだからね」とカモフラージュするためだった。
普段お菓子なんてつくらないから、見栄えはあまりよくなかったと思う。
それでもいちばん形がきれいなものを選んで、宝物を扱うように慎重に丁寧にラッピングを施した。

バレンタイン当日は、精一杯のおしゃれをして臨んだ。髪を編みこんで、ピンクのアイシャドウとチークを塗りたくった。
朝登校すると、友人たちに「かわいいね!」「気合入ってんねー!」と声をかけられて浮かれる。

そのわりに、いざとなると緊張してしまってなかなかターゲットに声をかけられない。
3年生のクラス担任を持っていたあの人は受験シーズン真っ只中で忙しそうにしており、一日中機会を伺ってはぐずぐずして、結局渡せたのは日もすっかり暮れた放課後だった。

チョコを受け取ったあの人は、とても驚いていた。鳩が豆鉄砲を喰らったような、ってああいう表情のことを言うんだと思う。

「あれ、前にバレンタインとかあんまり興味ないって言ってなかったっけ」

「そうなんですけど、でも今年は友達と交換することになったんで。先生も、もらったら嬉しいって言ってたし…」

あくまでも義理です、とアピールするための言い訳は、相当苦し紛れだったはずだ。
言葉とはうらはらに本命感丸出しのギフトボックスをぶっきらぼうに突き出して、周りの視線を感じながら、恥ずかしくて顔から火が出そうだった。

もっと肩の力を抜いて自然に、なんて17歳のわたしにはできなかったのだ。
あの人が「ありがとう」と言ってくれたことだけが唯一の救いだった。

そのあとも何度かLOFTのバレンタイン特集にはお世話になったけれど、あの浮き足だった空間に足を踏み入れるたび、当時のことを思い出してしまう。
悩みに悩んで選んだ、「特別」を演出するラッピング。
甘くてほろ苦い、小さなトリュフチョコレート。

🍫

彼をすきかもしれない、と思ったきっかけは些細なことだった。
同じタイミングでこの町に引っ越してきた彼とは近所の立ち飲みバーで知り合った。
お互いにダンスミュージックがすきだとわかって意気投合して以来、おすすめの曲をシェアしあったり、おなじく音楽オタクの友人たちと連れ立ってソウルバーやクラブへでかけたりしている。

わたしが仕事のストレスで休職しヤケ酒を煽っていたとき、フレックスのシフトで11時出勤だった彼は、いつもの店でよく朝まで一緒に飲んでくれた。
たまにふたりだけで遊んだりもしていたので、「付き合ってるの?」と周りに訊かれることも増えた。

それまでなんとも思っていなかった彼のことを少しずつ意識しはじめたころ、別の友人を通して彼の生い立ちに関する秘密を知った。
ここで詳しく書くことはできないけれど、彼が音楽を好きな理由も、あまり人に心を開かない理由も、その複雑な家庭環境からきているのだと悟ったとき、思わず泣いてしまった。

よそから聞いた話で、その人に対する印象がまったく変わってしまうこともある。
普段はそんなそぶりを見せないのに、じつは繊細だったり根暗だったり、心に傷を抱えているタイプの男性に昔から弱いのだ。
こんなのもうすきになるしかないじゃん、と勝手に覚悟をきめていた。

今さら「わたしのことどう思ってるの?」なんて真っ向から訊く勇気はなかった。
それでも、ずっと「彼女ほしい」とつぶやいていた彼が、最近知り合った女の子とごはんに行っているらしい、と聞いて少し焦った。

タイミングよく、バレンタインが目前に迫っていた。
ばらまき用とは別に、個人的にチョコを渡そう、と決意する。
臆病なわたしは、そんな手段で気持ちをほのめかすことしかできなかった。

当日、いつものバーで常連さんにチョコを配りながら、遅い時間になっても彼が現れる気配がないのでヤキモキしていた。
もう直接呼び出してしまおうと、「今日来ないの? チョコあるよ笑」とLINEする。
平静を装いながら、心臓がぎゅっと縮むような感覚がした。
すぐに「そろそろ行くよ! 用意して待ってろや!」と返信が来たとき、心底ほっとした。

近所のカルディで調達したボンボンショコラを手渡すと、彼は「え、ちゃんとしたやつじゃん」と喜んでいた。
けれどこの期に及んでわたしはカモフラージュをしかけていて、同じものを他の「特別仲がいい」男友達数人にもあげてしまう。
こういうあまのじゃくなところは、高校生のころから変わっていない。

気持ちが伝わっても伝わらなくても、不自然でない程度に行動を起こすことに必死だったのだ。
もっと言えば、もし彼がわたしのことを少しでも異性として意識しているなら、ホワイトデーに何かあるはずだと踏んでいた。
そんな打算と保身にまみれた計画は、うまくいかなかったときに傷つかないための予防線でしかなかった。

結局そのあと、彼と恋愛関係に発展することはなかった。
複数人での飲み会に誘っても、ごめんその日行けない、と断られることが2回続き、わたしのやわな心はポッキリと折れた。
たまに店で会ったときは普段どおり楽しそうに笑ってくれたけれど、期待していたホワイトデーのお返しをもらうこともなく、日々は過ぎていった。

それでも浅い傷で済んだのは、いきなり特攻せずに、チョコを渡すという軽いジャブにとどめておいたから。
ときには臆病さに救われることもある。相手との心の距離を推し測り、行き過ぎた、と思ったらすぐに撤退することで、良好な関係を維持できる。
彼は今も変わらず仲のいい、大切な友人だ。

🍫

付き合ってはじめてのバレンタインは、なんだかんだでそわそわするものだ。
わたしも今年で28歳だし、10代のころみたいに全力で情熱を注ぐことはもうないな……なんて斜に構えても、相手の喜ぶ顔を見たいという気持ちはいつだって同じ。

この前偶然入ったイタリアンダイニングで、デザートのガトーショコラを頼んだとき、「そういえばバレンタインどうする?」と訊いてみた。

ワインをたくさん飲んで上機嫌な彼は、フォンダンショコラすきなんだよね、と言った。
それに対してわたしは、うーんと唸る。

「一応初回だし、つくったほうがいいかな?
でもフォンダンショコラって難しいよね? 買ったほうが絶対おいしいし」

でもな、どうしようかな、とうだうだ言っていると、彼は「最初だからって理由なら無理してつくらなくてもいいし、気持ちが嬉しいからどっちでもいいよ」と少し呆れたようすだった。

正直なところ、手づくりなんて時間も手間もかかるわりに大しておいしくできないし、少し値段の張るチョコをデパートで買ったほうが数倍いいと思っていた。
でも心のどこかで、「つくってほしい」と言われることを期待していたのかもしれない。彼はバレンタインのチョコが手づくりか売物かで、愛情を測るようなタイプではないのに。

それから数日後。職場の男性陣に渡すチョコを選ぶために、昼休みを利用して後輩とオフィス近くの三越に行った。
彼にあげるためのフォンダンショコラも一緒に探したけれど、「これだ!」というものが見つからない。
無難にウィスキーボンボンにしておくか、と小瓶の形をしたかわいらしいチョコを手にとったところで、ふと思い直す。

ほんとにこれ買うの?
彼はフォンダンショコラがすきって言ってたのに?

楽したい気持ちをぐっと抑えて、ボンボンの箱を棚に戻した。
バレンタインまであと4日。
わたしは数年ぶりに、手づくりキットを買いにいく。

“Valentine”という名詞を辞書で引くと、「バレンタインデーにカードや贈りものをする相手」という意味が2~3番目くらいに出てくる。
転じて、“Be my Valentine”というフレーズは「恋人になってください」という愛の告白として使われる。

叶うことなら、彼に来年も再来年もチョコレートを贈りたい。
ずっとわたしだけの特別な人でいてほしい。

くれぐれも今年のバレンタインが最後になりませんように。
そのためには日頃からもっと感謝の気持ちを伝えなければ、と思いながらも、ひとまずは不格好なフォンダンショコラに頼ることにする。



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