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ルッキズムと向き合う

「自分のことかわいいと思ってるでしょ?」と頻繁に言われる。
「自分のことかわいいと思ってなにが悪いの?」とそのたびに心の中で反発していた。

美しくいるため、自分自身に膨大なお金と時間を投資している。
定期的に美容室へ通っているし、髪質改善のために良いシャンプーとトリートメントを使っている。ローンを組んで全身脱毛と歯列矯正もしている。自分に似合うメイクやファッションを日々研究する。
鏡を見るのは好きだ。そこに絶世の美女が映っているわけではないけれど、努力を重ねて磨き上げた今の姿を見ると、とても誇らしくなる。

ルッキズムに支配されている、という自覚はある。
それがなぜなのか、理由もわかっている。

10歳くらいのときに仲良くなった女の子が、やたらとわたしの外見を褒めてくれた。
学校で顔を合わせるたびに「ふーちゃんはかわいいね〜」と言われ、それまであまり自分や他人の容姿に関心がなかったわたしは、漠然と「そうか、わたしは人と比べてかわいいほうなのか」と意識するようになった。
彼女からの賞賛をなんの疑問もなく受け止めた結果、自分の顔に自信を持つようになった。

その自信が仇となったのは、中学に上がってからのことだった。
思春期を迎え、周りの女子たちは眉毛を手入れしたり、トイレに行くたび制服の胸ポケットからコームを取り出して前髪をとかしたり、色つきのリップクリームを塗ったり、スカートを折って短くしたりしていた。

皆と同じように自分の身体的特徴に多少のコンプレックスはあったし、もっとこうなりたいという理想もあった。
でも、「なんだかんだわたしかわいいし」という自負のせいで、身だしなみに無頓着な部分が大きかった。

太くて硬い髪は広がってボサっとしていたし、眉毛も生やしっぱなしで、黒縁で度の強い眼鏡をかけていて、スカートも長かった。
思い返すと典型的な「芋」だったけれど、「元の素材を活かしている」気でいた(あまりにも痛々しくて、これを書いている今、相当恥ずかしい)。
眉毛を剃ることやスカートを短くすることは校則で禁止されていたので、当時いわゆる優等生だったわたしは、むしろ「ルールを守っているわたしが正しい」という気持ちだった。

同じクラスの女子に「キモい」と悪口を言われはじめたのは、中学2年、クラス内のヒエラルキーもはっきりしてきた梅雨の時期だった。
いじめのターゲットになったきっかけは、見た目がダサかったのと、大人しい性格だったからだと思う。
出席番号がわたしのひとつ前だった彼女は、後ろの席のわたしに授業のノートやプリントを回すとき、汚いものを触るようにつまんで落としてみせた。
授業中に発言をすると「キモーい」と周りに聞こえるように言われたし、近くにいると「なんか臭くない?」と嘲笑された。
黙っていればそのうち飽きるだろうと耐え続け、季節は夏になり、長期休みが来るとほっとした。どこか浮かない気持ちで過ごしながら、休みが明けたら彼女が他のターゲットを見つけていますように、と祈った。

秋になり、状況は変わるどころかエスカレートしていた。クラスの担任に相談はしていたけれど、なにか対策をしてくれたことは一度もなかった。
11月頃に限界が来て、とうとう学校を休んだ。2、3日登校拒否をしたのち、部活の顧問が家まで来て、無理やり引きずっていかれた。
加害者と突き合わされて、形だけの謝罪の言葉を受けたけれど、周りの好奇の目に晒されて、屈辱でしかなかった。
その日を最後に、卒業まで中学校に足を踏み入れることはなかった。

性格が歪み、人が嫌いになり、サブカルにどっぷりと浸かりはじめたのはいじめがきっかけだったけれど、その話はまた別の機会に書こうと思う。
学校に行かなくなり、校則から解放されたわたしは、思い切って縮毛矯正をかけた。
ゴワゴワとしていた髪がさらさらになり、「あ、おしゃれって楽しい」と思った。眼鏡を外してコンタクトにし、眉毛も剃ったら一気に垢抜けた。

高校は誰も自分のことを知らないところに行きたくて、地元から遠く離れた名古屋まで通うことを選んだ。
制服を着崩すことや、髪を巻いたり化粧をすることに対しては寛容な学校だったので、それまでの反動のように思いっきりスカートを短くした。
初恋を経験し、メイクの基本を勉強し、@cosmeと2chの美容・化粧板に張り付き、駅前のドラッグストアで色々な基礎化粧品やコスメを買い漁った。

見た目に気を遣いはじめてから、以前に増して「かわいい」と褒められるようになり、ブスだのキモいだのと乏しめられることはほぼ皆無になった。
15〜20歳くらいまでは黒髪ストレートヘアを貫き、ファッションも個性を意識していたけれど、思うところがあって赤文字系の服装に変えたり髪を染めて巻いたりして、とっつきやすい外見になってからは近付いてきてくれる人が男女共に増えた。

周りの友人たちの支えもあり、幾らか難は残るものの性格の歪みは少しずつ改善されていった。
よく笑い、人懐っこく、自分の考えをはっきりと口に出す、中学時代とは正反対の今の自分が形成された。

ただ、「他人からどう見られるか」という意識が人一倍強く、「美しくいなくてはならない」という強迫観念に縛られるようになってしまった。
ボサボサの頭では絶対会社に行けないので毎朝髪を巻くし、眼鏡をかけると途端に芋くさくなるのでコンタクトでしか外に出られない。

街で身だしなみに無頓着な人を見かけると、つい「うわっ」と思ってしまう。
元の顔の造形がどうこうではなく、あくまで外見に気を遣っているかどうかの話だ。
それは多分、いじめられていたときの自分を思い出したくないからだ。

「自分のことかわいいと思ってるでしょ」という指摘には、自分が一番だと思っていて、他人を見下してるでしょ、というニュアンスが含まれる。
特定の誰かの容姿を直接論って批判したわけじゃなくても、無意識のうちにわたしの中のルッキズムは顔を出していて、それが周りを不快にさせているのだと知ったとき、とてもショックだった。
そしたらわたしは、あのとき自分をいじめたあの子と同じじゃないか、と。

先日、職場全体の懇親会でも上述の言葉をかけられた。
お酒の勢いも手伝って、「本当にかわいい! 一番かわいい!」と言われたので「いや〜、そんなそんな〜」といつも通りへらへら笑っていたら、「自分が一番かわいいと思ってるでしょ? そうじゃなかったら、そんな服着れないから!」と褒められているのか貶されているのかよくわからない状態になってしまった。
他部署だけれどよく飲みに誘ってくれる大好きな人だっただけに落ち込んだ。
それに、自分の肌の色や体型に似合う服を選んで着ているだけなのに、何でそれをとやかく言われなくちゃいけないんだ、と若干イラッとした。

その帰り道、彼氏にLINEをした。
「自分かわいいって思ってるでしょってイジられた〜(熊が泣いている絵文字)」と送ったら、「いいイジりだな笑」と返ってきた。
酔った勢いで、「昔芋ブスだったから外見コンプレックスはあります」とマジレスした。
「今かわいいんだから関係ないでしょ。周りが言ってくれるのを待つのもいいよ」というマジレスが来た。
努力してるんだから褒めてほしい、という願望がだだ漏れてしまっているらしいわたしの現状を暗に指摘しつつ、優しく励ましてくれる彼に惚れ直した。

深く根づいているコンプレックスを今すぐ無かったことにするのは、容易な業ではない。
けれど醜い自分から逃げず、向き合わないことには対処もできない。
自分の見た目を好きだと思えて、自信が持てているのは長所でもあるから、誰かが褒めてくれたときにそれを否定したくはないのは事実だ。
ただ今よりもう少し謙虚な心が持てれば、少しずつ変わっていけるのだと思う。

うわべだけでなく、内面の美しさも磨くこと。
今後の目標のひとつである。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます! ♡のリアクションはオールタイムベスト映画のご紹介です🎬