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【読書録】『野心のすすめ』林真理子

今日ご紹介するのは、作家の林真理子氏の『野心のすすめ』(2013年、講談社現代新書)。

ひとことで言えば、読者に対し、野心を持って努力し続けてほしいと説くエッセイだ。野心いっぱいのご自身のサクセスストーリーも盛り込まれている。

私は、これが出版された2013年頃に、一度、これを読んだことがある。それ以来、しばらくこの本の存在を忘れていた。

その頃、私は、ちょうど、ステップアップを目指して転職を考えていた。タイミング的に、この本は、私の新しいチャレンジを後押してくれることになった。

最近、林氏が、一連の不祥事でイメージダウンしていた日本大学の理事長に就任されたというニュースに接した。それを機に、この本のことを思い出し、もう一度読み直してみた。

再読した結果がどうだったかというと、バブル期を経験した彼女の昭和のテイストが、少々流行遅れだなあとは感じたものの、未だに共感するところが多かった。

以下、例によって、印象に残ったくだりを引用してみる。

まず、お金の重要性についてのくだり。

やはり、お金は大事です。バブルのときに「お金に左右される生き方はヘン」とか「お金なんて実はなんの価値もない」という反動がありましたが、こんな不景気な世の中になっても、本当の意味でお金に取って代わるほどの価値は、誰も見つけることができていません。好奇心の赴くままに行動したり、ここぞというときに前へ進んで行くためにも、人生を豊かにしてくれるお金は不可欠なのです。

p63

最近はミニマリストやFIREなどという言葉が流行っている。その背景には、少ないお金でやりくりできればそれよい、という考えがあるように思う。しかし、お金は、いざというときに役に立つ。やっぱりたくさんあったに越したことはないと思う。それをストレートに言ってのけており、気持ちが良い。

次は、努力をしていると、不思議と「強運の神様」が助けてくれる、というくだり。

 人生には、ここが頑張り時だという時があります。そんな時、私は、「あっ、いま自分は神様に試されているな」と思う。たとえば、仕事や勉強を必死でやらなければならない時なのに、つい気が緩み、ソファに寝そべってお菓子を食べながらテレビを観ているとします。しばらくするとハッとして、「いかんいかん。この姿も神様に見られてるんだから、頑張らなきゃ」と再び机に向かうんです。
 ちゃんと努力し続けていたか、いいかげんにやっていたか。それを神様はちゃんと見ていて、「よし。合格」となったら、その人間を不思議な力で後押ししてくれる。

p64

(・・・)忘れてはなりません。空の上から自分を見ている強運の神様の存在を。強運の合格点を貰うには、ここぞというときに、ちゃんと努力を重ねていなければならないことを。
 その「ここぞという機会」を自分で作り出すのが、野心です。私が強運だと言われているのも、次々といろいろなことに挑戦し続けてきたからだと思います。

p67

少しスピリチュアルに聞こえるかもしれないが、努力は裏切らず、運も努力によって開くことができるというメッセージには、勇気づけられる。

そして、財界で活躍する女性を観察し、成功するための秘訣について説くだり。

(・・・)女性が財界を渡り歩いていくためにはやっぱり権力と仲良くならないといけない。(中略)権力を持つオヤジだちに可愛がられる才能って、これは男も女も関係ないでしょうが、経営者には必要な能力だと思います。成功していく経営者たちって、みんなちょっと「やんちゃ」でジジ殺し。相手がどんな大物であっても、「人を転がす」才能が抜群に秀でているのです。

p147

(・・・)悔しい気持ちや屈辱感を心の中で一定期間「駆っておく」というよりも「飼わずにはいられない」状況下で、その悔しさを溜めて醗酵させるだけではなく、温めて孵化ふかさせた人たちが、野心を実現できるのではないでしょうか。

p148

(・・・)女性が会社に入ってから数年は、やはり「ウサギ」として可愛がられなきゃいけない。最初から「トラ」をやっていると、「なんだ、あいつ。生意気」って嫌われるだけですから。まずは、ウサギちゃんとして仕事を教えてもらったり、人間関係を築いたりする。しかし、いつまでもウサギをやっていると、一生「使われる」立場で終わってしまうから、いつかトラにならなければならない。

p153-154

これらのくだりは、ものすごく昭和の香りがする。たとえば、「ジジ殺し」とか「ウサギとして可愛がられる」とかいう表現などは、レトロだ。

ここ10年くらいで、ビジネス界での女性のハンディキャップはかなり改善されてきた。そして現在は、ダイバーシティ促進の名の下に、働く女性にとっては、追い風が吹いている。しかし、男女問わず、権力者に気に入られなければ活躍しづらい、という構図は、令和の今になっても、まだまだ変わっていないと思う。

本書の終盤では、読者に対して、野心を持って努力してほしいというメッセージが一段と強くなってくる。野心を持つ人と、野心を持たない人の人生の差は、後になって取り返しのつかないほど、とてつもなく大きいものになると説く。

 自分が何を欲しているかわからないまま、「こんなはずじゃなかった」と世の中を呪う寂しさほど惨めなことはありません。自分の欲望さえ把握できない人たちは、何を目指して努力したらいいのかさえ見当がつかない。すると、いっそうの無力感に襲われ、ますます不幸の濃度が高まっていくのです。
 それに比べると、何が欲しいかハッキリとわかっている「走っている不幸」にはいつか出口が見えてくる。走ることを知っている人たちは、諦めるということも知っています。実際に、運が悪い人は見切りが悪い人でもある。いまが楽しくないなら、何かを切り捨てることだって必要です。「新規まき直し」をして、生き方を変えることは運の強さにつながっていきます。

p180-181

 年齢を重ねていくと、野心の飼いならし方もだんだんわかってきます。他人のことは気にならなくなってくる。ひたすら自分の中に向かってくるんです。もっと良い仕事をしたいということだけになり、野心が研ぎ澄まされていくわけですが、自分との戦いほど辛いことはない。しかし、若いうちから野心を持って訓練していれば、その辛さに立ち向かえる強さも鍛えられているはずです。
 そして、挑戦してたとえ失敗したとしても、世の中はほどほどの不幸とほどほどの幸福で成り立っていると達観する知恵者の域にまで達することができれば、もはやそれは「不幸」ではない。野心の達人が至る境地といってもいいでしょう。

p181

 人生に手を抜いている人は、他人に嫉妬することさえできないんです。それほど惨めなことはありません。成功した人、幸せそうな人を見ても、自分が努力していたらまた違う感慨があったのかもしれないのに、「ああ、私は嫉妬する資格すらない」と自覚しているから、いじましく、自らの不幸を呪うことしかできない。
 どうしてこんなに嫉妬するんだろうと思って、自分の弱点が見えてくることだってある。 頑張っている人だけが抱くことのできる「健全な嫉妬心」はまったく悪いことではないと私は思います。むしろそれは宝物、自分が努力してきたことへのご褒美なのです。

p181-182

 平地で遊んでいる人間には一生見えない美しい景色、野心を持って努力をした人間だけが知る幸福がそこにはあります。もちろん辛い試練だって待っているかもしれないけれど、野心という山を登ろうとする心の持ちようで、人生は必ず大きく変わってくる。チャレンジしたからこそ初めて手に入れることのできる、でっかい幸福が待っている。
 人の一生は短いのです。挑戦し続ける人生への第一歩を踏み出してくださる方が、一人でも増えることを祈ります。
 さあ、山に登ろう!

p191

この本を再読して、自分の野心レベルについて振り返るきっかけとなった。アラフォーで本書を読んだ9年前と比べと比べると、私の野心は、かなりしぼんでしまったなと感じた。アラフィフになった今、仕事上の地位も上がり、資産も増え、できることも増えた。他方で、体力、能力などの限界が見えてきて、この先もおそらくできそうにないことや、自分の限界を痛感することも増えた。

しかし、野心をなくしたわけではない。経験や健康なども含め、自分の持っているものを有効に活用して、好きなことを極めたり、さらにやりたいことを見つけたりしたい。第二の人生のための新しい野心を持って、有限な時間と資源を大事なことに集中させて、楽しい人生を送っていきたい。そのように思うことができた。

この本は、特に、若い人たちに読んでもらいたい。景気も悪くなり、活気のない世の中だ。若い人が野心を持つことが、個人や社会の活力や明るさにつながる。若い人には、努力のカルチャーを、暑苦しいと思ったり食わず嫌いしたりせずに、まあ、とりあえず読んでみてほしい。また、林氏が、日大でご活躍になり、若い人向けにどんどんそういうメッセージを発信してくださると良いなあ。

そして、私のように、もう若くない人にも、既に野心をもって努力してきた人にも、この本を読んで、まだまだ頑張れることを実感していただけるとよいと思う。

ということで、この本を、幅広い世代の人におすすめしたい。

ご参考になれば幸いです!

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