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【読書録】『温泉めぐり』田山花袋

今日ご紹介する本は、田山花袋の紀行文集『温泉めぐり』。私が持っているのは、冒頭の写真の岩波文庫版。

著者の田山花袋は、明治~昭和初期時代の小説家。明治40(1907)年、小説『蒲団』を発表し、私小説という文学スタイルを確立し、自然主義文学の代表的作家となった。

本書が世に出たのは、大正7(1918)年。今からまさに100年以上前、一世紀以上前の作品だ。

この『温泉めぐり』は、そのタイトルどおり、全国の温泉をめぐった田山花袋が、色々な温泉地について、自身の温泉めぐりの経験を踏まえて綴ったエッセイ集だ。

以下、本書を読んで感じたことを縷々述べてみたい。

まず、本書で言及されている温泉地が、非常に多岐にわたることだ。

ざっと書き出してみると・・・。

伊豆、箱根、伊香保、磯部、草津、上田、鹿沢、野尻湖、赤倉、浅間、上下諏訪、下部、有馬、熊野、竜神、和倉、瀬波、日光、塩原、那須、白河、湯岐、東山、飯坂、蔵王、鳴子、浅虫、大鰐、高湯、三朝、霧島、別府、登別

などだ。

そして、現在の日本の温泉のみならず、台湾の北投温泉と、朝鮮半島の温泉にも言及されている。この時代、台湾や朝鮮が日本の統治下にあったからだろう。

今と比べて交通網が未整備であった一世紀前に、これほど多くの温泉に足を運んだり、調べたりした田山花袋は、筋金入りの温泉マニアだ。彼が温泉や温泉旅行にかけた情熱は、もはや変態的なレベルと言えるのではないか。

語り口は、淡々としている。難解な言葉は、あまり多くない。大正時代の作品であるにもかかわらず、サクサク読める。

温泉おんせんというのはなつかしいものだ。

p11

山の温泉、平野の温泉、海近く湧き出している温泉、あるい潟湖かたこの中に湧き出している温泉、それぞれ皆特色があってい。

p11

次に、視点が、幅広い。温泉の泉質についての描写もあるが、温泉地をとりまく自然や風物、文化などの描写が特に興味深い。たとえば、田舎町なのか、歓楽街なのか。どんな食事が味わえるのか。交通手段はどうか。温泉そのもの以外に旅行者を楽しませる要素はあるのか。

(・・・)物資の豊富なのは、やはり海に近い温泉だ。別府べっぷあたりは、殊にそうした感が深い。生魚せいぎょはあらゆる種類のものがある。鯛、平目など殊にうまい。町々の大通を魚屋は「ぎょぎょ」と言ってれて売って歩いていく。

p12-13

(・・・)この温泉は、東京から出かけていくのはかなりに遠いが、それでも人のよく其処に出かけて行くには、その途中に見るものが多いのも、確かにその一原因を成していると思う。

p30

種類によって、色々な温泉がある。信州のしぶの温泉は何処どこか渋のようにベタベタする。それからまた熱海あたみ塩類泉えんるいせんなので、いやにチカチカと身体にあつい。

p41

蕨狩わらびかり茸狩たけがり、そうした楽しみは十分に此処ここにあった。蕨は少し山に入れば何処どこでも手に余るほど取れた。初茸はつたけは昔は沢山なかったのであるが、近年松の植林を渋川道しぶかわみちの附近に実行したので、それが大きくなって、今ちょうど初茸の出ごろで九月の末から十月の初めにかけては、女子供でもちょっと行ってざるみ満つるほど取ってきた。

p78

(・・・)そこではいかにも温泉場らしい温泉場、女と男と戯れ合った温泉場を見ることが出来た。そうした温泉場にとまって見るのもまた旅の一興であろう。

p262

そして、著者の温泉地に対する感想や評価を、きわめて率直に綴っている。そこには忖度など全くない。ダメなものはダメと、バッサリ切って捨て、はっきりと厳しい評価を示す。けっこう主観的である。

こうした汚い温泉が何処どこにあるであろうか。私の家にある風呂を少し大きくしたくらいの浴槽ゆぶねに、それも湯でも多くあることか、入ってようやく肩がかくれるかどうかと思われるくらい、その上、浴客が三人も四人も押寄せて来ていて、ゆっくり入ってもいられないという光景である。

p60

箱根はこね以西、東海道とうかいどうの沿線には、これと言って名にきこえたような大きな温泉場はなかった。(・・・)山の中に入れば、二、三あるにはあるかも知れないけれど、要するに田舎の温泉で、都会の人たちを引きつけることは出来なかった。

p162-163

しかし何と言っても、温泉は別府べっぷだ。(・・・)別府に比べたら、伊豆の熱海や伊東などは殆ど言うに足りない。

p355

さらに、大雑把で、ムラがある。目次に記載している温泉の中には、必ずしも自身で訪問したことがあるものばかりではなく、他人から見聞きしたことがあるだけの温泉地も含まれている。突然、師匠からの手紙や友人との会話を長々と引用してみたり、ふと思い出した文学作品の紹介をしてみたりと、気のむくままに書き綴っている。

そんなふうに、田山花袋が、自由気ままに綴った温泉紀行文だ。

だから、ひとつひとつの温泉地や、泉質そのものについて、当時の客観的な情報を知りたいというニーズは、あまり満たさないだろう。

しかし、この本を読むと、今でも現存するたくさんの温泉地が、それぞれ長い歴史を経てきたことがよくわかる。古くからの温泉地が、現在まで人々に愛され、大切に守られてきたことに、感動を覚える。まだ自分がこの世に存在していなかった時代の描写であるにもかかわらず、何ともいえず、懐かしい気分になる。

そして、田山花袋のような温泉愛好者が100年以上前の昔から存在し、温泉に対するマニアックな愛情を注いできたことについて、親近感を覚える。

ああ、温泉は、なんと素晴らしい、自然と文化の宝庫なのだろう。まさに、日本の宝。現代の日本で気軽に温泉に浸かれることの幸せを再認識させてくれる。

温泉めぐりに出かける際には、この本の目次を開いて、その温泉地についてのページをめくってみると良いと思う。田山花袋が、その温泉地を100年前にどう評価したのかをチェックするのである。そうすると、令和の現在、その温泉地が、大正時代と比べて、どう変化したのか、あるいはしていないのか、五感を使って比較することができる。そうすることによって、温泉めぐりの旅を、より一層、深く味わえるようになると思う。

温泉好きな方には、是非、ご一読をおすすめしたい。

ご参考になれば幸いです!

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